舞台 「夏の砂の上」 観劇レビュー 2022/11/04
公演タイトル:「夏の砂の上」
劇場:世田谷パブリックシアター
企画:世田谷パブリックシアター
作:松田正隆
演出:栗山民也
出演:田中圭、山田杏奈、西田尚美、松岡依都美、粕谷吉洋、尾上寛之、三村和敬、深谷美歩
公演期間:11/3〜11/20(東京)、11/26〜11/27(兵庫)、12/3〜12/4(宮崎)、12/10〜12/11(愛知)、12/16〜12/17(長野)
上演時間:約120分
作品キーワード:会話劇、シリアス、田舎、家族、考えさせられる
個人満足度:★★★★☆☆☆☆☆☆
1990年代の静かな会話劇の代表作ともいえる、松田正隆さんの戯曲である「夏の砂の上」を、日本の演劇業界を代表する演出家である栗山民也さんの演出によって上演。
「夏の砂の上」は、今年(2022年)1月に上演された玉田企画による公演で一度観劇している。
また栗山民也さんの演出作品は、「彼女を笑う人がいても」(2021年)、「恭しき娼婦」(2022年)に続き3度目の観劇。
物語は、長崎のとある田舎の港町を舞台とし、造船場に勤めていたものの会社が倒産して無職になってしまった小浦治(田中圭)の元へ、彼の妹の川上阿佐子(松岡依都美)が自分の娘である15歳くらいの川上優子(山田杏奈)を仕事の都合で預かって欲しいとやってくる所から始まる。
今作は小劇場で上演されることによって、その狭い空間から響く微かな廊下の物音だったり、役者の繊細な発話や表情を楽しむことが醍醐味だと思っていたので、それを世田谷パブリックシアターという大劇場で上演されるというのは一体どんな演出になるのだろうと非常に興味を唆られていた。
しかも演出家が栗山民也さんという実力者なので非常に気になっていた上、楽しみでもあった。
今や、映画やテレビドラマでは大活躍の田中圭さんや、映像方面で頭角を現し始めた女優の山田杏奈さんを起用するなど、豪華キャスティングによって実現した公演だったが、個人的な感想としてはどうしても玉田企画版の上演と比較してしまうとしっくりこない箇所が際立って、終始首を傾げていた。
今回の上演で「夏の砂の上」自体が初見の観客であれば、その静かで繊細な会話劇に目が釘付けになるのかもしれないが、私が玉田企画版の公演で感じた今作の魅力は十分に今回の上演では反映されていないように感じた。
特に、今作の戯曲のテーマである「乾き」と「潤い」という描写について、役者の心情変化と演技がリンクしていないように感じて、劇中の前半部分と終盤部分であまりその差分が感じられず、その結果治と優子の2人で雨水を飲むシーンに説得力を感じなかった。
キャスティングにもしっくりこなかった部分が個人的にはあったものの、田中圭さんの筋肉質な体が、タンクトップ姿の容姿からよく分かって造船場であくせく働いていた感じを上手く醸し出していた上、あの脱力した感じが地方の閉塞感を反映していて素晴らしかったのと、山田杏奈さんが初舞台にしては堂々と可憐な女性を演じきっていて素晴らしかった。
戯曲を熟知されている方なら私のように違和感を抱く方もいるのではなかろうかと思いつつ、舞台全体としては上質で繊細な作品なので、普段会話劇に馴染みがない方でも引き込まれる内容になっているのではないかと思う。
↓戯曲『夏の砂の上』
【鑑賞動機】
今年(2022年)1月に玉田企画の公演で初めて拝見した「夏の砂の上」が非常に演劇として素晴らしい作品だと感じた上、好きになったので、また上演の機会があったら観劇したいと思っていた。
そして今回は、演出家としても実力を有している栗山民也さんの演出での上演だったので観劇することにした。先述したように、「夏の砂の上」は小劇場で上演してこそ戯曲の醍醐味を堪能できる作品だと感じていたので、世田谷パブリックシアターという大劇場で上演されたらどう観えるのか、感じるのかを楽しみにしていた。
栗山民也さん演出ということで期待値は高めだった。
【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)
ストーリーに関しては、私が観劇して得た記憶なので、抜けや間違い等あるかもしれないがご容赦頂きたい。
真夏で蝉の鳴き声がする、長崎のとある田舎の港町に位置する木造建ての古い一軒家。小浦治(田中圭)は買ってきた弁当をテーブルで食べている。白い下着一枚の姿で。
そこへ妻の小浦恵子(西田尚美)がやってくる。彼女は、治が昼の1時に起きてきてご飯を食べ始める姿を見て心配する。治が以前勤めていた造船所も倒産してしまったというのもあり、恵子は治を心配する。恵子は亡くなった息子の位牌を取りにやってきていた。
その時、玄関から人がやってくる。それは、治の妹の川上阿佐子(松岡依都美)だった。突然のことだったので兄である治ですらもどうして尋ねてきたのか分からないと訝しげながら彼女を家の中に入れる。
阿佐子は、治の勤めていた会社が倒産してしまったことに驚いており、電話をかけたら警備員が電話に出たそうで知っていた。阿佐子は東京で暮らしており、今度福岡で憧れの仕事をすることが決まったため、娘である優子(山田杏奈)を預かって欲しいという相談だった。優子は中学を卒業したばかりだという。優子は恐る恐る屋内に入ってくる。そして挨拶をするように阿佐子は優子に小言を言っている。
阿佐子は治から借金をしていた。いつ返済するんだと彼女に尋ねると、今度の福岡で始める事業がきっと成功するからその後返すと約束する。
治と恵子が認めたわけでもないのに、まるで優子は今日から治の元で暮らすことが決定事項であるかのように、既に近くに掲示されていたアルバイトの募集に応募してきてしまっていた。そしてあとはよろしくと、優子を置いて阿佐子は出ていってしまう。ちょっと待てと治は阿佐子を追いかける。
恵子と優子は2人きりになる。テーブルには阿佐子が東京のお土産で買ってきた「ひよ子」が置かれていた。恵子はその「ひよ子」のお菓子を見ながら、明雄が「ひよ子」を食べるときに頭から食べるかしっぽから食べるかで悩んでいたと言う。恵子は、以前明雄という息子がいたことを優子に語る。4歳で亡くなってしまったのだと。5歳の誕生日を迎える直前で。
恵子は優子に対して、窓の外に見えるとある光景を指して説明する。恵子は居間を去る。
優子は一人になる。そして窓から見える恵子が指し示していた遠くの景色を見ていた。
暗転
夜になる。そこへ酔っ払った男たちの大声が3人聞こえる。そして居間へ上がりこんでくる。それは治と、治の倒産した会社の同僚の陣野(尾上寛之)と持田(粕谷吉洋)だった。特に持田はかなり酔っ払っている様子で声がでかい。そして持田は歌を歌いだす。優子もやってきて、治によって陣野と持田が紹介される。
最初は3人とも楽しそうに談笑していたが、やがて仕事の話になると彼らの会話の様子はやがてシリアスになっていった。持田は会社が倒産してからタクシー会社に転職したが、どうやら仕事が大変そうな様子だった。そして治は会社が倒産して無職になっても一向にハローワークなど職安に行こうとしないことを陣野に指摘され、治は不機嫌になっていく。そして治は家の冷蔵庫が無くなってしまったのだが、心当たりはないかと陣野に尋ねる。治は自分の妻である恵子が陣野と不倫していることに気づいており、そこについて言及した。陣野は笑いながら色々と誤魔化そうとするが治は鋭く追及していく。
そこへ2階へ引っ込んでいた優子がやってくる。そろそろお開きだと言う陣野は、タクシーを呼ぶようにと優子へ電話させる。その間に持田は居間で眠ってしまった。
タクシーが来るまで治と陣野で会話をする。治と陣野の仲は冷え切っていた。
陣野は気まずくなってタクシーの音が聞こえたんじゃないかと、聞こえもしないことを言ってそそくさと治の家を立ち去る。
居間で眠ってしまった持田に声をかける治。持田は寝ぼけながら先ほど見た恐ろしい夢の話をする。大きな鉄板のようなものに追いかけ回される夢。持田は奥の部屋へ入って再び眠り始める。
優子は水道の蛇口から水が出ないと言う。治はなぜ水が出ないのか訝しむ。持田がトイレで目覚めても、トイレの水が流れなかったと言って戻ってくる。
治は優子に明雄のことについて語る。明雄は4歳の時、大雨の中まさか外に出ているとは思わなくて、そしたら川に流されて死んでしまったのだと。
暗転
昼、優子は立山(三村和敬)という大学生を連れて治の家にやってくる。治はどうやらハローワークに行ったらしく夕方まで留守にするとのことだった。だから優子は立山を連れて2人きりで治の家にいた。
立山は優子のアルバイト先の同僚らしく、今はナナオという立山が異性として気になっている人が担当で、優子も今の時間担当らしいのだがサボっている様子だった。
優子は立山に対して、優子が東京で中学生時代を過ごした時のハナムラという友達についての話を始める。ハナムラは太っていて体も大きいのだが非常に優しい友達だったのだと。そしてハナムラはブラスバンドをやっていて、水筒を飲み干す水が凄く美味しそうなのだと言う。
優子と立山は2人で良い雰囲気になる。そして優子と立山は奥の部屋へ行く。
その時、突然治がハローワークから帰宅する。優子は夕方帰ってくるものだと思いこんでいたので、慌てて服を着て現れる。立山も慌てて現れる。
どうやら持田が交通事故で亡くなってしまったらしく、その連絡をもらって急遽治は自宅へ帰って通夜へ向かう準備をするみたいだった。治は喪服に着替え始める。
そこへ陣野の妻である茂子(深谷美歩)がやってくる。茂子は腕と頭に包帯を巻いた状態で喪服を着ていた。茂子は治に陣野のことについて訴えてくる。茂子は持田の通夜に陣野と行った所、受付の人手がいなかったもので駆り出されていたが、自転車で転んで怪我をしたこの姿で受付をするのは見窄らしいと、陣野に家に帰ってろと追い出されてしまったのだそう。自分が自転車で転んで大怪我した姿を憐れむこともなくぞんざいに扱うことに対して怒り浸透だった。そしてその陣野が恵子と不倫していることに関しても怒っていた。
そんなタイミングで、恵子がやってきてしまう。その場が凍りつく。治は恵子に対して、なぜ今のタイミングでここにやってきたのかと問うと、恵子は持田の急な訃報を聞いたからだと言う。
茂子は恵子に対して、陣野からもらった冷蔵庫でしっかり頭を冷やしなさいと嫌味を散々言い放った挙げ句、包帯などで恵子に対して怒りをぶつけて出ていく。
恵子は奥の部屋で喪服へ着替える支度を始める。治はその奥の部屋へ入っていって散々暴力を振るった後で家を出ていってしまう。
その様子を部屋の隅で小さくなって見ていた優子と立山は、そっと奥の部屋にいる恵子の様子を見に行って、「大丈夫?」と声をかける。恵子は優しい声で返答し、優子に首の後ろのファスナーを閉めてくれるように頼む。
ある日、また優子と立山は2人きりで治の家にいた。お互い下着姿であった。今日こそは治はハローワークで夕方まで帰ってこないだろうと優子は踏んで2人きりの時間を過ごしていた。優子はバイトをクビになったことを立山に伝える。きっと店長は自分が何を考えているかわからないからだろうと言う。
優子はガラスの破片のようなものを持っていて、それで二の腕を切ってしまったらしく出血していた。立山は治の家のことをよく知らないはずなのに救急箱を持ってきて手当する。優子は救急箱を探してこれる立山を尊敬する。長年住んでいる治でもそれが出来ないだろうからと。
そして優子は調子に乗ってガラスの破片で反射させた光を立山に当ててくる。立山はキレる。そして、今度はいきなり立山のほっぺたをつねってくる。そして痛いだろなんなんだよ!的なことを言って怒鳴りつける。
今度は、明雄が持っていた天体望遠鏡で立山の家をいつも覗いているんだと言う。明雄って誰?と立山は聞くと優子は秘密と答える。立山はますます訝しむ。立山の家には母が2人いると優子は言うが、立山は違うと答える。
そして、優子は窓の外の遠くを見つめながら、以前この町ってピカーってなったんだよね?のようなことを立山に聞く。立山は自分が生まれるずっと昔の話なと答える。
しかしあまりにも意味不明な言動を繰り返す優子に対して、立山はついていけなくなっていた。
ある日、治の元に陣野がやってきて、2人で居間にいた。どうやら治は転職先が決まったらしく働き始めていた。治は陣野にどこへ行くのかと聞くと、福岡で造船事業に携わる仕事に就職するらしく長崎を後にするとの挨拶だった。そして、恵子も一緒に連れて行くのだと。恵子も今一緒に来ているからと、恵子を家の中に引き入れ、陣野は玄関へと向かって治と恵子の2人の時間を作ってあげていた。
優子が家へ帰ってきた。そのまま2階へと行ってしまった。
治と恵子は2人で話し始める。恵子はこうやってお互い本音で語れるようになって物凄くスッキリしていると言う。今までずっと陣野のことが好きだったけれど、それを治に伝えることは出来なくて居心地が悪かったけれど、今はそれがなくて気持ちが楽になったのだと言う。
恵子は持っていた明雄の位牌を仏壇に戻す。そして線香を上げる。りんの音がする。
恵子は治の元を去って陣野と共に去っていく。電話が鳴り響く、どうやら立山からの電話だった優子に電話が来ている旨を伝えるが、居留守を使うようにと言うのでいないと立山に返事をしておく。それでもしつこく聞いてくる立山にしつこい!と怒鳴り電話を切る治。治は物思いに耽る様子だった。
治は片方の手の指を切ってしまっていた。鶏肉をまるでロボットのように捌く仕事をしていて、それで誤って切ってしまったのだと。
2階から降りてくる優子。そこへ雨音がする。
雨だとはしゃいだ優子は、急いで洗面器を持って外に出て水を貯め始める。治も同じことをする。そして洗面器に水が貯まると、優子と治はその水を2人で全部飲み合う。そして満足そうな表情をする。
暗転
治の家には阿佐子がやって来ていた。阿佐子はどうやら福岡での仕事もうまく行かなかったらしく上司の悪口を叩いていた。ケチで人使いが荒くて、そのくせマネージャークラス程度でハズレだったと。そして今度はカナダで仕事を始める機会が得られたからそちらで成功させると言う。お金はカナダで成功させたら治に返すと約束する。
優子は、初めて治の家にやってきた時と同じ服装で2階から降りてくる。そして阿佐子はしっかりと優子に治へお礼の挨拶をさせて家を出ていく。
しかし、少し立って優子は治の元に戻ってくる。そして麦わら帽子を治にかぶせる。そして、おそらく自分がこれから向かう先はカナダではなく、カナダよりもずっとずっと遠くてずっとずっと寒い場所だと告げて再び去る。ここで上演は終了。
今回は「夏の砂の上」の観劇が2度目であったため、ストーリーに関しては思い出すような形で観劇していた。それでも改めてよく出来た戯曲だなとつくづく思った。
詳細な脚本の考察は、考察パートで深堀りすることにする。
【世界観・演出】(※ネタバレあり)
世田谷パブリックシアターという大きな劇場で、長崎の田舎の旧家がセットされていて、「夏の砂の上」らしい静かで空虚な舞台空間が広がっていた。
舞台装置、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番でみていく。
まずは舞台装置について。
ステージ中央には小浦家の10畳以上は確実に広さがありそうな畳部屋が広がり、そこで会話劇が繰り広げられていた。畳部屋の中央には大きな木製のテーブルが置かれていて、畳エリアの上手手前側には扇風機が置かれている。畳エリアの奥は、上手から下手に伸びる木造の廊下があり、その下手側には木造の階段がある。この階段を登っていくと優子の部屋(旧明雄の部屋)があるとされている。
畳エリアの両端は何も仕込まれていない一段下がったエリアがあるが、優子がそちらに移動して躍動的に演技をされていたのが印象的だった。
ステージ奥側の廊下の下手側は、恵子の居室があると思われる部屋があり、そこでおめかしや着替えをしたりしているようだった。廊下の上手側は玄関に通じているようで、持田の就職祝いの飲み会後の酔っ払った治、持田、陣野の笑い声はそちらから聞こえてきていた。
玉田企画版の「夏の砂の上」では、北千住BUoYという小さな小劇場での上演だったため、長崎の田舎の民家が非常にその空間に似つかわしくて素敵だったのだが、世田谷パブリックシアターで長崎の田舎の民家をどう再現するのか非常に想像もつかなかったが、さすがは栗山民也さんと言わんばかりの、大劇場にしっかり似合った民家を再現されていて素晴らしかった。
暗転中に、ステージ奥側上部にある横に細長い長方形の装飾が印象的。夕方のシーンではオレンジ色に、夜のシーンでは幕によって覆われて、劇中の空と対応していて印象に残った。
次に舞台照明について。舞台照明に関しては、申し分ないくらいハイクオリティに仕上がっていると感じていて素晴らしかった。
特に私が印象に残ったのは、ステージ中央にある畳を照らす黄色と白色の中間のような照明。私の客席が2階席だったので、見下ろすような形で畳を照らす照明を見ていたのだが、その照らし方が本当に素敵だった。畳を照らしながら白いタンクトップ姿の治に当たるスポットなのだが、その感じがどことなく悲哀な感じがして、田舎の空虚感、そして虚しさを感じさせるのだけれども、でもなんとも美しくて非常に素晴らしい光景があった。この演出を堪能できるのは2階席以上ならではだと思うし、ここに関しては大劇場であるという劇場のキャパを活かした素晴らしい演出だったと感じた。
あとは、序盤の優子が治の家にやってきた夕方のシーンの、夕焼けを表す照明も好きだった。オレンジを強めに押し出すのではなく、淡くオレンジっぽく当てる控えめな感じが本当に自然に感じられて好きだった。
また、それに続く持田の就職祝い飲み会後の夜のシーンも、全体的に外は暗くて畳部屋だけ電気の明かりで明るい感じを照明で出すあたりも凄く素敵だった。
舞台後半で、優子演じる山田杏奈さんが下着姿で畳のエリアから飛び出して、移動しながらひとり語りをするシーンがあるのだが、そのときに彼女にあたる白い光も彼女の可憐さ、美しさを引き立てる効果になっていて非常に好きだった。
次に舞台音響について。舞台音響については正直、やっぱり「夏の砂の上」を大劇場でやるのはちょっと違うんじゃないかと思わせる演出が多かった印象だった。
蝉の鳴き声に関しては、非常に大劇場に響き渡る感じがあって個人的には好きだった。しかし、玉田企画版では存在しなかった途中途中のピアノの音楽が個人的にはピンと来なかった。たしかに商業公演ということで、大きな劇場でやるとなると、音楽が全くかからない感じはたしかにそれはそれで違和感を抱くかもしれない。しかし、役者の演技がピアノのポロリポロリというメロディに助けられている感じを受けてしまって、今作の持ち味であった自然でリアリティな感じが失われた気がして、個人的にはしっくりこなかった。
「夏の砂の上」の作品の性質上、ステージの外で起こっている物音によって、裏で起こっているシチュエーションを観客が予想して解釈する場面が多々見られる。例えば、治が身支度をしている恵子の元へ飛び込んで彼女に暴力を振るう描写、恵子が明雄の位牌を置いていって仏壇のりんを鳴らすシーン、立山から電話がかかってきて治が怒鳴って追っ払うシーンなど。ただ、ここに付随する全ての効果音が大きな劇場だとあまり舞台空間上において大きな影響力を持っていないように感じられて、あまり説得力がなく感じられてしっくりこなかった。
あとは玉田企画版で非常に好きだった、廊下を歩く音、玄関から聞こえてくる酔っぱらいの笑い声といった生音による演出も、大きな劇場だとやっぱり舞台空間中における影響力がどうしても小さくなってしまって、良さを上手く引き出せていないように感じた。
最後にその他演出について。
ここでは玉田企画版と比較して、良かったと感じた演出について触れておく。
これは個人的には良かったのかは微妙なのだが、役者陣が全体的にポジティブで明るく輝かしさがある方が多かったので、玉田企画版ではあまり笑いは起きなかった記憶だったのだが、今回の上演では場面によっては笑える箇所もあったのが良かったのかもしれない。例えば、茂子が治や恵子と口論するシーンで、小劇場であればその緊迫感から絶対に笑いなんて起こらないのだが、商業公演で大きい劇場でもあるせいか、笑いを起こせる隙があって、客席の緊張感を一時緩めてくれる印象があった。観劇慣れをしている私だったら2時間笑える箇所のない演劇を観ていても楽しめるのだが、今回のような商業公演だと演劇を初めて観るような観客も多いと思うので、そこは商業公演として上手く機能していたような気もした。
あとは、今回キャスティングで大注目の優子役を演じた山田杏奈さんをしっかり役者として見せる演出になっていた点も、商業公演として振り切っている点を感じた。印象的だったのが、下着姿の優子が軽やかに畳部屋を抜け出して身体を使って演技をするシーン。ファンサービスとも捉えられるが、個人的にはこれはこれで見入ってしまうしありかなとも思った。
個人的に好きだったのは、劇終盤で長崎に雨が降ってくるシーンで、治と優子が2人で雨水を桶で飲み合うシーン。これと全く同じ描写はたしか玉田企画版ではなかった気がする(玉田企画版では、少なくとも2人が一緒に同じ桶で水は飲んでいなかった)。そこの場面に閉じた感想で言えば、優子と治が雨水によって乾きを潤すことによって、お互いが歩み寄り打ち解けあっているシーンのように感じられてちょっとばかし救われた感じがした。
【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)
実は今回は豪華キャスティングではあったものの、個人的には役者の演技についてはこの戯曲に合っていない感じがしてしまったし、そもそもキャスティングが合っていないようにも感じてしまった。
それでも演技として素晴らしかった点はあったので、あくまで私の感想として注目した役者について紹介していきたい。
まずは、主人公の小浦治役を演じた田中圭さん。田中さんといったら誰もが知っている今人気の若手俳優の一人だと思うし、私自身もドラマや映画等で演技を観てきているが、舞台で演技を拝見したのは初めて。
治役を演じた田中さんの生の演技を拝見した第一印象は、白いタンクトップ姿であるのもあったせいか、とても筋肉質でたくましい体型が目に止まった。しかもそれが、田舎の造船所で働いていたというイメージとしっくり合っていて、むしろ玉田企画版で治を演じられていた奥田洋平さん以上に似合っていた。
それと、田中さんが演じられる治の脱力感も良かった。今作は田舎町の空虚感と乾きを描くので、役者に対しては威勢の良さよりは無力感の方がぴったり来るのだが、その無力感を上手く出されていた印象だった。そしてその脱力感が演技にはありつつも、田中さんという人気のある実力俳優であるからか、非常に見応えがあって気力の感じられない演技なのに妙に引き込まれてしまうあたりが素晴らしかった。
長崎弁に関してはちょっとあどけなさがありつつも、個人的には治役に関しては大満足の配役と演技だった。
次に、川上優子役を演じた山田杏奈さん。山田さんも最近では映像方面で大活躍の女優さんであり、なんと今回が舞台初出演だそう。
まず、舞台初出演であるにも関わらず、世田谷パブリックシアターという大きな劇場で、優子という非常に重要な役を演じ切られている点は素晴らしいと感じた。栗山さん自身も山田さんにかなり見せ場を与えて、大きな挑戦をさせて作品作りをしているのだろうなというのを感じられる。
ただ、優子役に山田さんのキャスティングが適切だったのかというと、最終的には私はそうは感じなかった。山田さんは非常に可憐で清楚でまさにアイドルのような透き通った女優さん。その儚い存在は、序盤の優子のシーンではそこまで違和感を感じなかったのだが、後半で決定的に違和感を抱いてしまった。それは、優子という脚本上の役が非常にミステリアスで何を考えているか分からない人物像であるから。そのミステリアスさが山田さんの醸し出す女優のオーラからだとずれがあった。玉田企画版では祷キララさんがこの役を演じていたが、彼女の方がしっくりきていた。祷さんは、素晴らしい女優でもありながら、どことなく何を考えているのか分からない印象があってミステリアスさという文脈ではピタリとはまっていて良かった。山田さんの次回出演舞台では、もっと彼女の背丈にあった配役で演技をして欲しいと望む所。
まだ舞台初出演というのもあってか、やはり大きな劇場だと彼女の声に迫力は感じなかった。まだ舞台慣れしていない感じが否めなかった。ただ、山田さんだけが出せるあの透き通るような演技と内々に秘めているたくましさは絶対これから女優として花開いていく兆しを感じているので、1〜2年後には彼女は大化けして立派な舞台女優になっている気もするから、今後のご活躍が本当に楽しみである。
次に、小浦恵子役を演じた西田尚美さん。西田さんの演技拝見は今回の舞台が初めてとなる。
正直、西田さんの演技に関しては小浦恵子のキャラクターにはハマっていなかったと感じ、かなり違和感を感じてしまった。西田さんという女優さん自体が凄く元気いっぱいで威勢のある女優さんなんだろうなと感じていて、そこに関しては西田さん自身の個性であって良いのだが、その感じが恵子の役とははまらなかった。
恵子自身も治と同じく、昔5歳になる手前で息子を亡くしており、そこからずっとこの民家で暮らしていて、正直人生を潤わせる嬉しいことは全くなくて、身も心も乾ききったキャラクター設定であるはずである。なのに、物語序盤からやたらと演技に威勢があったので違和感を覚えた。
また、陣野と一緒になって小浦家を離れていくシーンで、戯曲上の恵子はここで今までの治との人間関係だったり、なかなか本心を言い出せなかったい居心地の悪さから開放されて、人間関係が清算されて清々しい気持ちで家を出ていくシーンであるはずなのに、序盤と終盤での恵子の演技にギャップを感じられなくて、ここでも違和感を感じたしそれによって戯曲の持つ良さを引き出せていない印象を感じた。
そのため、玉田企画版での恵子役を演じていた坂倉奈津子さんは適役だったと改めて感じた。
西田さん自身の演技は素晴らしかったので、もっと彼女のイメージに合う役で芝居を観てみたい。
陣野役を演じた尾上寛之さんも、役者としては非常に好きなのだが、あまり今回の役ははまり役だったとは思えなかった。
尾上さんの演技は東京夜光の「悪魔と永遠」(2022年2月)など、何度か舞台でお目にかかっているが、尾上さんのひょうきんな演技がとても好きで、そこに彼の演技の面白さを私自身は見出していた。
しかし、今回の陣野の役は尾上さんが持つひょうきんな演技を活かす余地はない役だったのでしっくりこなかった。玉田企画版であれば、治と陣野が口論するシーンなんかは、本当に直視できないくらい緊迫感があって、それが非常に良い効果を生み出しているように感じたのだが、今回はどうしても緊迫感は起きなくて、商業公演ということもあってそこまで緊迫感の張り詰めた演出にしなかった意図もあるかもしれないが、個人的にはしっくりこなかった。
尾上さんのひょうきんで笑える役柄が観たいものである。
その他でいうと、川上阿佐子役を演じた松岡依都美さんははまり役だと感じ良かった。また、立山役の三村和敬さんは、舞台慣れはしていなくて演技が素晴らしいかというとそうは感じなかったのだが、あのあどけなさが立山という役にはハマっていて良かった。
【舞台の考察】(※ネタバレあり)
今年(2022年)1月に玉田企画版として50席程度の小劇場で「夏の砂の上」を初めて拝見し、同じ年の11月に栗山民也さん演出で、世田谷パブリックシアターで商業公演として同じ戯曲の2度目の観劇をした。憶測だが、おそらく1990年代の静かな会話劇をもっと多くの観客に届けるべく今回の企画がスタートして、それで世田谷パブリックシアターという大きな劇場で、ロングラン公演で、しかも豪華キャスティングで実現した公演だったのではないかと思う。しかし、小劇場での同作の上演を観劇している自分にとっては、今回の上演はこの戯曲が持つ素晴らしさをかなり潰してしまっている感じが否めず残念だった。
ここでは、「夏の砂の上」の戯曲、そして演劇が持つ魅力と私が感じた違和感について考察していきたいと思う。
「夏の砂の上」は、先述したとおり閉塞感のある地方の田舎町の空虚感を描いた会話劇である。そこに暮らす小浦治と小浦恵子の夫婦は、5歳にまもなくなる息子を水の事故によって失っている。過疎化による人口減少が起こっているであろう地方の田舎町というだけでも閉塞感があるというのに、さらに大事な息子を亡くしてしまっているという事実は、小浦夫婦の感情をさらに空虚なものにしたであろう。
亡くなってしまった息子はもう戻ってくることはない。しかし、そんな暗い事実をずっとひきずったまま小浦夫婦はこの田舎町で細々と暮らしていた。彼らの感情はまるで乾ききったかのように干乾びていたはずだ。
そして治は、勤めていた造船所の倒産によって無職になってしまう。妹の阿佐子に貸している金は帰ってこない。
しかし、恵子はそんな未来に明るさもなにも感じられない閉塞感のある生活に絶えられなくなったのか、陣野と不倫することになる。そして、物語の終盤では陣野とともに恵子は小浦家を出ていくことになる。それによって、恵子は今での苦しい過去を断ち切り、清算することによって人生に潤いを取り戻していくことになる。
劇中で恵子が明雄の位牌を置いて長崎を立ち去るシーンが印象的である。
しかし、恵子の演技を拝見していると、陣野と一緒になることによって乾ききった恵子の心に潤いが満たされる感じは決して感じられなかった。だからこそ、彼女が仏壇でおりんを鳴らすシーンでもしっくりくることはなかったし、その後長崎に雨が降ってきて優子と治が2人で喜びながら雨水を飲むシーンで、治の心が潤ったようにも感じられなかった。
また先述したとおり、優子役を演じた山田杏奈さんがそこまでミステリアスな役に感じられなかったから。立山と優子が仲違いしてしまった部分もしっくりこなかった気がした。
優子は、長崎に来る前の都内の中学校で、友達はハナムラというブラスバンド部の女の子しかいなかったと言っている。それは優子がちょっと変わっていてとっつきにくい女性だったからであろう。
さらに、優子は長崎でもアルバイトをしていたが、店長から突然クビにされている。自分自身では、それは自分が何を考えているか分からないからではないかと言っていた。その描写からも、優子はミステリアスな女性であるキャラクター設定であることが伺える。
立山と喧嘩してしまったのも、立山が優子の不可思議な行動についていけなくなったからだと解釈している。だから立山は、本当は優子のことが好きだったのだけれど、すれ違ってしまったのではと解釈している。
しかし、山田さんのあの感じの演技だとそういったミステリアスな優子のイメージとは少し違うかなと思う。その結果、優子がアルバイトをクビになったことも、立山と仲違いしてしまったこともしっくりこなくて、その結果長崎に雨が降ってきたときに乾きが潤う描写とリンクしてこないんじゃないかという気がした。
私が今回の観劇で感じた違和感は、何もキャスティングだけではなかった。舞台空間に響く「音」に関しても、今回はかなり魅力を引き出せていない結果になっている気がする。
特に、舞台空間中に響く生音である。廊下を歩く音、玄関から響く酔っ払いたちの笑い声、小劇場という狭い空間だからこそ響くとノスタルジーを感じて良かったものが、大きな劇場になるとその魅力を減少させているようにも思えた。
こんな具合で、私は違和感を沢山覚えたので書いてしまったが、静かな会話劇がこうやって豪華な俳優たちによって演じられ、大きな劇場で上演され、多くの人の記憶に残ってもらえるようになったということは決してネガティブなことではないし、今回この芝居を初めて観る方々の多くは、会話劇の素晴らしさ、そして日本人が紡ぎ出す芝居・戯曲の繊細さに心を動かされることだと思っている。
多くの人々に、この演劇の良さが伝わり、記憶に残ってもらえたら演劇好きとしては凄く嬉しいことである。
↓玉田企画版
↓栗山民也さん演出作品
↓尾上寛之さん過去出演作品