舞台 「夜明けの寄り鯨」 観劇レビュー 2022/12/03
公演タイトル:「夜明けの寄り鯨」
劇場:新国立劇場 小劇場
劇団・企画:新国立劇場
作:横山拓也
演出:大澤遊
出演:小島聖、池岡亮介、岡崎さつき、阿岐之将一、森川由樹、荒谷清水、楠見薫、小久保寿人
公演期間:12/1〜12/18(東京)
上演時間:約95分
作品キーワード:ヒューマンドラマ、捕鯨、LGBTQ、青春
個人満足度:★★★★★★★★☆☆
新国立劇場が、2022年から2023年にかけて日本の劇作家の新作を届けるシリーズ企画「未来につなぐもの」。
その第二弾として、演劇ユニット「iaku」を主宰する、今の演劇界において大注目の劇作家である横山拓也さんの新作公演を上演とのことだったので観劇。
横山さんが脚本を手掛ける舞台作品は今回で5度目の観劇。
今回の横山さんの新作脚本は、演劇ユニット「空っぽ人間」の主宰をする大澤遊さんが演出を務める。
大澤さんはフリーでも演出活動をしているが、私自身は大澤さんの演出作品の観劇は初めて。
今作の物語の舞台設定は、和歌山県の太地町をモデルとした架空の町「戎町(えびすまち)」となっている。
太地町は、和歌山県の南東部に位置する海沿いの町であり、クジラ古式捕鯨発祥の町としても知られている。
今作でも戎町は、捕鯨によって栄えた港町という設定で物語が進んでいく。
戎町は、昔から座礁鯨(なんらかの理由で浅瀬に打ち上げられて自力で泳いで海に戻れなくなる鯨のこと)が現れるスポットとして有名で、住民たちはその座礁鯨の鯨肉を市場に売り出して栄えていた。
三桑真知子(小島聖)は一人で戎町を訪れる。
そこで、一人の若い男性サーファーの相野由嶺(池岡亮介)に出会う。
真知子は、何十年も昔の大学時代に専攻仲間とこの町に旅行に来たことがあった。
その時作成した旅のしおりを引っ越しの際に見つけ出して、あの時一緒に旅行に行った「ヤマモトヒロシ」という男性を探し求めて、この町に再びやってきた。
次第に明らかになっていく真知子の過去の記憶と、ヤマモトヒロシの行方。
真知子が過去犯してしまったトラウマと、捕鯨問題とが交錯していく物語。
舞台セットは、ステージの床面が広々とした浅瀬をイメージしたような浮世絵のような波の文様が描かれた清らかな装飾だった。
それが、舞台天井に吊るされている巨大な四角い鏡の板に映されてなんとも美しかった。
そして天井に吊り下がった鏡の板は、鏡になったり映像を投影するプロジェクターになったりと舞台美術としても秀逸だった。
それ以外に何もセットがなく、だだっ広いステージ空間だからこそ、田舎の港町の静けさと過去の記憶を描くのにぴったしの舞台空間で、大きな劇場の良さを活かした公演として仕上がっている点に好感を抱いた。
主人公の真知子は過去にトラウマがあって、そのトラウマをなんとかこじ開けようとする姿勢と、そこから溢れ出てくる残酷な過去の描写が、なんとも横山さんの戯曲らしくて好きだった。
若かったからこそ残酷にも相手を傷つけてしまった愚かさと、そんな過去をなんとか時を経たからこそ解決させれるのではないかと奔走する現在の愚かさと。
しかし、その現在の行動力が止まっていた過去の記憶を再び駆動させ、時間が進み始める感じが本当に脚本として優れていて感動した。
俳優陣も少々ベタな演技だったが、そのくらいの方が横山さんの作品には似合っているので素晴らしかった。
個人的には、池岡亮介さんの威勢はあるけれどとぼける感じとズレる会話が、今作に上手く笑いを与えて緩急をもたせているように感じて、良い効果を与えていた。
アニメーション映画「海獣の子供」のように、アニメーションにして夏休みに映画化しても良いくらいの万人ウケする作品だったかなと思う。
多くの人、特に演劇にあまり馴染みがない方でも存分に楽しめる舞台作品だったように思える。
【鑑賞動機】
私の好きな脚本家である横山拓也さんの新作だったから。横山さんの脚本は過去4回観劇したことがあるが、どれも心温まる話が多くて感動させられるので、今回も観劇したいと思ったから。
また「夜明けの寄り鯨」というタイトルにも惹かれた。観劇前のあらすじを辿ってみると、和歌山県の港町をモチーフにしているという点でも面白そうだと思ったので、観劇してみることにした。
【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)
ストーリーに関しては、私が観劇して得た記憶なので、抜けや間違い等あると思うがご容赦頂きたい。
三桑真知子(小島聖)が、戎町の浅瀬にやってくる。
映像で、「ヤマモトヒロシ」という男がどうやら行方不明になってチャットで騒がれている光景が描写される。そもそも「ヤマモトヒロシ」という男の存在自体を知らない人もいるようである。自殺したんじゃないかと言う人もいた。
真知子の元へ、一人の若い男性サーファーがサーファー姿でサーフボードを持って現れる。その男性は相野由嶺(池岡亮介)という。真知子が相野の方をジロジロ見るので、相野は自分のサーフィンが下手だと思われているんじゃないかと慌てる。
相野は、以前この戎町にあった戎水族館でクジラショーのトレーナーをやっていた。しかし、この前戎水族館が閉館してしまったことで職を失い、この町に留まってサーフィンをしながら自分の進むべき道を考えているのだと言う。真知子は、何十年も前の大学生時代にこの町に旅行で訪れたことがあり、その戎水族館のクジラショーを観覧していた。
ここで、現在の真知子と相野の現在の時間軸と、真知子が大学時代の専攻仲間と合宿でこの町を訪れた過去の時間軸が同時進行で描かれる。
真知子と一緒に戎町へ旅行に来ていた同じ専攻の新美紗里(岡崎さつき)と波須川永嗣(阿岐之将一)、和泉景子(森川由樹)は、みんなで戎水族館のクジラショーを観覧しながら興奮して楽しんでいた。
その後、大学生たちは和泉の実家がこの戎町にあって宿屋を営んでいるので、和泉の実家に泊まらせてもらうことになっていた。和泉の父親である和泉照彦(荒谷清水)と、母親である和泉美雪(楠見薫)は温かく大学生たちを迎えて宿屋に招き入れる。
真知子は相野に語る。真知子は今は東京に住んでいてフィアンセがいる。引っ越しのタイミングで家から見つけた、当時の旅行のしおり。その旅行のしおりには、仮想の町の地図が書かれていた。その地図を書いたのは、旅行を一緒にした専攻仲間のヤマモトヒロシ(小久保寿人)であった。ヤマモトは変わり者で、いつも一人でいる男子学生で、仮想の町の地図を一人で書いているのが大好きだったようだった。
でも今はそのヤマモトがどこにいるか分からず、もしかしたらこの戎町にいるかもしれないしいないかもしれないと思い、真知子は戎町にやってきたのだと言う。
旅行の時、ヤマモトは一人戎町の海岸にいた。そこへ真知子がやってくる。真知子はヤマモトに君のことが好きだと告白する。ヤマモトは驚いた顔をするが、その告白には乗ってくれない。真知子は、さてはヤマモトは自分ではなく他に誰か好きな人がいるなと類推する。そこで真知子は、ヤマモトは"ゲイ"であり、永嗣のことが好きなのではないかと問う。ヤマモトはその言葉に戸惑って返す言葉を失っていた。真知子は、ヤマモトが永嗣のことが好きであることを認めていないにも関わらず、その戸惑ったリアクションからヤマモトが彼のことが好きであると決め込んでしまう。
夜、景子の両親が営む宿で、景子と永嗣は仲睦まじく女子部屋で談笑していた。そこへ紗里がやってきて、生理になってしまって調子が悪いと景子に言う。しかし、永嗣がいたことを見落としていて生理と言ってしまったとハッとする。永嗣は部屋を出ていく。
女子部屋では、真知子が景子と紗里に、ヤマモトは"ゲイ"かもしれず、永嗣のことが好きかもしれないという噂を立てる。他の2人の女子たちは、それは本当なのかとどぎまぎする。2人は、ヤマモトがそれを認めていたのかと真知子に聞くが、言葉を失っていたと言う。だから"ゲイ"なのかもしれないと。
明け方、戎町は皆早く起きて大騒ぎしている。景子の両親によると、戎町の浅瀬に巨大な鯨が打ち上がっているとのことだった、通称座礁鯨である。景子の話には、景子自身も両親から話を聞いたことがあったが、座礁鯨をまじまじと見るのは初めてだと言う。それくらいレアな出来事なのだと。
永嗣は眠たそうな顔で起きて、その座礁鯨の様子を見に行く。景子の両親たちは、この座礁鯨を恵比寿天という神様だと思って崇め奉っていた。この座礁鯨の鯨肉はきっと素晴らしい食材になるだろうと。
朝、紗里は再び戎水族館へ行きたいと言い出す。誰も乗ってくれないので、彼女は一人で水族館へ行ってしまう。
永嗣とヤマモトは2人で話をする。
永嗣は、ヤマモトが一人で仮想の町の地図を書き出す奴だったので、距離を置いていた。しかし、いざ2人で話をしていると結構楽しい奴だったということに永嗣は気づいたようだった。
その後、永嗣はヤマモトと2人でいる所を景子に見られ、ヤマモトは永嗣のことが好きだという噂があることを告げられる。永嗣は驚く。
話は現在に移り、ここで相野が自分のことについて語り出す。
実は戎水族館が閉館した理由は、飼育していたクジラが海に逃げてしまったからだと言う。具体的には、戎水族館と海が繋がっていて、その中間地点にあった柵が何者かによって開けられていたからだと言う。そこからクジラは海へ逃げてしまったのだと。相野は暫くすれば、クジラたちは水族館へ帰ってきてくれるだろうと思っていた。しかし帰ってこなかった。
相野の仲良くしている先輩に、セーリング選手がいた。その先輩がセーリングの表彰式に立つことになったので、それを見物しに相野は仕事を休んでまで見に行った。しかし、いざ表彰式が始まったその時、反捕鯨団体がプラカードを掲げてその表彰式に乱入してきて台無しにした。結局、その日のセーリングの大会は中止となってしまった。
今まで相野は、そういった団体の存在自体は知っていたのだが、いざ実際に目の前で遭遇した時に、彼らに初めて憤りを感じた。それから、そういった団体と立ち向かうためにも、この地に残り続けて何かしたいと考えていた。
話は真知子に戻る。真知子はその旅行以来、ヤマモトに会っていない。それは、その後旅行先でとある出来事が起きてしまったからであった。
景子の両親が、この前の座礁鯨の鯨肉を使った竜田揚げを一緒に食べようと大学生たちに声をかける。紗里以外は喜んでご馳走になろうとするが、戎水族館から帰ってきたばかりの紗里だけは猛烈に反対する。紗里は、座礁鯨を食用に解体するときに海を血だらけにして汚してしまうのでしょ?と、そんな環境破壊に繋がるようなことで食卓に運ばれた竜田揚げなんて食べないと。周囲の人間は皆驚く。照彦は、紗里をなだめるように説明するが、紗里は全くそれを聞き入れない。永嗣が紗里を止めようとするが、それを勢いで振り払ってしまう。
紗里は続けて、鯨自体の数が相当少なくなっているのに、そうやって鯨を食用にしてどういうことなのですかと、照彦に食いかかる。照彦は鯨には食用にして良い鯨としてはいけない鯨がいて、基本的には食用にして良い鯨しか食べていないという。しかし紗里はそれに反論し、その事実もどうやら正しいようであった。
紗里の勢いは誰も止めることは出来ず、照彦はその怒りを景子に向けることになってしまう。そして照彦は不機嫌になってしまう。
そこへヤマモトが、紗里に対して鶏の飼い主だってフライドチキンを食べると反論する。それに火がついた紗里は、ヤマモトが"ゲイ"であり、永嗣のことが好きだという噂があることを公言してしまう。ヤマモトはそれに傷ついてしまい、その場を立ち去って行方を眩ませてしまう。
そして真知子は、これ以降の旅行先での記憶が無くなっていた。
雨の中、真知子と相野は以前宿泊した景子の実家を訪れる。看板は出ているが古びていてもうやっていない可能性があるが訪ねた。
年をとった美雪が顔を出す。真知子は自己紹介をすると美雪はすぐに思い出してくれたようだった。どうやら照彦は4年前に亡くなってしまい、景子は今は実家にいて漁師を引き継いでいるという。
景子が家へ戻ってくる。真知子は景子に挨拶するとびっくりした表情で迎え入れる。
和泉家の人たちに案内されて、真知子と相野は家の奥へとあがる。景子は今は独身で10年前まで漁師界隈ではモテていたけれど結婚したら男性陣同士で喧嘩してしまうのでしなかったと、そして婚期を逃したという。紗里は相変わらずSNSで反捕鯨活動を行っているらしい。真知子は東京で結婚することになり、永嗣と結婚することを告げてびっくりする。
真知子は、景子にヤマモトはどうなってしまったかと聞く。景子は何を今更といわんばかりに、あの旅行中に行方不明になってしまったではないかと言う。
数十年前の旅行した時に遡る。大雨が降りしきる。
ヤマモトがあの後突然行方不明になってしまい、皆で町中を探し続ける。永嗣が、海岸の灯台の向こうの方へ階段を降りていったヤマモトを目撃したとびしょ濡れになりながら言う。しかし照彦は、こんな大雨でそっちの方へ行ったら非常に危険だと言う。やむを得ず、ヤマモトの捜索は断念することになる。
その後も、地元の警察がヤマモトを探し続けたが見つからなかった。他の大学生たちは帰ることになり、大学にも被害届を提出したが、如何せんヤマモトは身元が特定出来る人間ではなかった。
美雪がリュックを持ってくる。それは、ヤマモトがその日に和泉家に置いていったリュックだった。そのリュックの中からは、いくつものヤマモトが書いた仮想の町の地図が出てきた。
それを見て真知子は心動かされ、一緒にヤマモトを探そうと言う。景子は驚く。今更そんなヤマモトを探すなんてと、永嗣は何かヤマモトについて言ったの?と聞く。永嗣は、旅行のことについて全く話してくれないのだと言う。他のことについては赤裸々に語ってくれる人間なのに。
景子はそれは永嗣も、旅行のことついては一切触れずになかったことにしたいからではと、真知子の提案を相手にしてくれない。しかし、真知子の尋常ではない熱量から、真知子がヤマモトのことが好きだったのではということに気がつく。
なら一緒に久々にみんなで集まってヤマモトを探そうと景子は言う。ここで上演は終了する。
鯨(げい)と男同士の愛の"ゲイ"は掛かっていて、真知子は"ゲイ"、つまりヤマモトをずっと探し続けていて、相野は鯨(げい)を探し続けている。いつかは戻ってくるんじゃないかと思って。真知子は何十年も前にヤマモトが行方不明になってしまって、暫く時間が止まったようになっていたが、ヤマモトが旅のしおりで書いた地図が出てきたことと、相野と出会ったこと、そして和泉家にあったヤマモトのリュックを見つけることで、ヤマモトを探そうという意欲が込み上がって時間が再び動き出している。
過去何十年も化石のように動かなくなったものが、今現在に触れることによって再び動き出し、未来をつないでゆく感じが凄くテーマに沿っていて素敵だった。
そして横山さん戯曲だなと感じたのは、過去にやらかしてしまった罪によって、相手の人生を変えてしまったことに対して、ずっと後ろめたい気持ちを引きずっていて、その気持から解放されようと行動する所。いつもの横山さんの脚本であったら、そこが解消されるハッピーエンド的な終わり方をするが、今作は決して何かが解決する訳でもないし、ヤマモトは見つかるのだろうかと考えると、見つからないだろうと思ってしまう。しかし、フォーカスはそこではなく、あくまで行動を起こしたことであるからこそ、私は気持ちよく今作を観劇出来たのではと思っている。
捕鯨問題と絡めた考察は考察パートで行う。
【世界観・演出】(※ネタバレあり)
非常にシンプルで研ぎ澄まされたような清らかな舞台美術だった。舞台セットの印象が大きいが、映像、照明、音響も素敵だった。
舞台装置、映像、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。
まずは、舞台装置から。
新国立劇場小劇場の奥行きの広い大きなステージ空間に、目一杯に白色の床が敷かれていた。ステージ奥へ行けば行くほど坂になっていたような印象だった。その白い床面には、和歌山の浅瀬を彷彿させるような浮世絵のような波打ち際が描かれていて、個人的には非常に「和」を感じた。横山さんの戯曲に馴染みそうな清らかな装飾だった。
ステージ空間が広々としているので、とても静かな浅瀬を想像出来て作品に合っていたし、大きな劇場だからこそ上演出来る作品なのだろうなと感じた。小劇場でも上演出来ないことはないと思うが、広大なステージ空間があるからこそ、この作品が醸し出す空間がぴたりと合う気がした。
そして、そのステージの天井には巨大な1枚のパネルが吊るされていた。その板というのは、基本的にはステージの床面の鏡となっていて、床面の清らかな浅瀬の装飾を映し出していた。これがまた見事な演出だと感じた。劇中の大部分の時間が、この天井のパネルが鏡になっていたので、舞台上の役者の演技が上から鏡で映し出されるように見られる。どこか観客は、舞台上のシーンを覗き見しているようなそんな演出に感じさせられた。おそらく、このパネル自体は床面の浅瀬の装飾を見せたいがために設置されたパネルなのではないかと思っていたが、役者の演技を脳天から観られるという構造も面白かった。
次に映像について。
天井から吊り下げられている巨大な1枚のパネルは、大部分は鏡として機能していたが、映像が投影するスクリーンとしても機能していた。
まずは、物語序盤で登場する、ヤマモトヒロシが行方不明になって、噂されるチャットでの学生たちの会話のやり取り。なぜこのシーンだけチャットでそのような描写が追加されたのかはよく分からなかったが、序盤で登場することによってしっかりと「ヤマモトヒロシ」が重要人物になるという伏線が張られて良かった。
次に、物語終盤で映像として映し出されたヤマモトヒロシが書いた仮想の町の地図。凄くファンタジー性の高い映像で個人的には好きだった。グチャグチャと色々な所に不思議な記号が書かれていたり、至る所に矢印が書かれていたり、こんな映像があったからこそファンタジー作品としてアニメーションでの映像化もいけるのではと考えてしまった。
パネルが鏡として床面の浅瀬を映し出しながら、そこに水面を映像として投影する演出も見事だった。特に雨のシーンのそれは、それがまるで雨が降っているような感じを想起させたので、こんな舞台の見せ方もあるのだと新鮮だった。
次に舞台照明について。照明は特に印象的なシーンがいくつかあった。
一つ目は、明け方に座礁鯨が戎町に打ち上げられた時の照明。明け方なので、ちょっとばかり赤い朝焼けっぽい照明であったように思える。座礁鯨が出現するというのは、戎町でも珍しいことなので、そこを神秘的に、そして劇的に描く照明演出は功を奏していたと思う。
大雨の中、ヤマモトを探すシーンのちょっと暗い感じの照明も良かった。今作の一番の山場だと思うけれど、その緊迫感がよく伝わってくる照明効果だった。
あとは、本当にラストのシーンでヤマモトが一人で舞台上に登場するシーンがあるが、そこにぼんやりと黄色く、ちょっと不気味な感じで照明が当てられていたのが印象的だった。真知子が探し求めているヤマモトの存在が、幻のように感じられる演出で印象に残った。
舞台音響について。
音楽はかかっていたかもしれないが、あまり記憶に残っていない。その代わり、効果音が印象に残る。序盤に流れる波の音、それから雨の音。あとはクジラショーのクジラの鳴き声と、水しぶきの音。
ヤマモトヒロシが行方不明になった時のチャットの映像のタイミングで流れる音声も印象に残った。
最後にその他演出について。
まず、現在という時間軸と何十年前の真知子の大学時代の旅行の時間軸が交錯しながら描かれるのが、非常に演劇的で面白かった。真知子は若返るわけでもなく、何十年前の世界でも現在でも同じ姿で描かれるのが興味深い。それを言い出したら景子もそうであるが。でも景子の母親の美雪は歳を取っていたので、そこの描写に統一感があった方が良かったのではないかと思った。
あとは方言について。景子のご両親が話す和歌山弁的な方言は凄く味があってよかった。大学生たちが基本的には標準語をしゃべるので、その対比がくっきりと浮かび上がって、よりその地域に暮らす人たちな感じを受けた。
演出面に関しては、脚本の素晴らしさと役者陣の素晴らしさ、そして舞台セットのお金をかけて凄いものを用意している感じがあるので、私個人としては満足だったのだが、よくよく考えてみると天井のパネルって床面の浅瀬を見せるためだけだよなとか、美雪だけ現在の時間軸で年取っているなとか演出の手法の使い方という面で粗さがあったような気がした。でも、全体的には満足度の高い演出だった。
【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)
新国立劇場主催の公演ということで、新国立劇場演劇研修所修了生の多い顔ぶれで、非常に演技も皆素晴らしかった。
特に注目したキャストについてここでは触れていく。
まずは、主人公の三桑真知子役を演じた小島聖さん。小島さんの演技を拝見するのはKAKUTAプロデュース「往転」(2020年2月)以来なので約3年ぶり。
今回の小島さんが演じる真知子役は、たしかに歳は少し取っているけれど、晩婚化が進む今の社会とも対応していて、まだまだ勢いと若さを感じさせる役であり、そこがしっかり小島さんの演技とはまっていた。
印象に残るシーンは、まずはヤマモトに好きだと告白するシーン。本来の時間軸であったら大学生であるはずなのだが、若いメイクをして登場する訳でもなく、今の時間軸の格好で演じる。でもそこに全く違和感はなくて、きっとそれは真知子が今でも彼に対して思い続けている感情だからなのかなと思った。
あとは、ラストの景子とのシーンで、和泉家にあったヤマモトのリュックから、彼の書いた地図が沢山出てきて、そこからさらにヤマモトに対する感情が止めどもなく溢れて感情的になる様が非常に良かった。いくつになっても熱い想いを直接的に表す姿がとても印象的だった。おそらく、勝手な想像になってしまうが、この小島さんの演技を観て年配の方でさえもまだまだ頑張ろうと、そう思えるラストになっていたのではないかと思う。若くなくても、まだまだ希望を捨てずに前へ挑戦することが出来る。そう勇気を奮い立たせてくれる小島さんの演技が印象的で素晴らしかった。
また、和泉家にお邪魔する時に、余計なことを言う相野を叱咤するのも個人的には好きだった。
次に、サーファーの相野由嶺役を演じた池岡亮介さん。池岡さんの演技は、舞台「熱海殺人事件 ラストレジェンド」(2021年1月)、劇団「悪い芝居」による舞台「愛しのボカン」(2022年3月)以来3度目となる。
ちょっと砕けた調子に乗った若いお兄さんという感じで、鼻につくようなキャラクター設定が良かった。池岡さんはそんな役を演じるのが得意なんだなと思った。
和泉家に真知子の付き添いでお邪魔する時に、余計なことを言って真知子に叱咤される光景は滑稽で個人的には好きだった。物語の主軸とはあまり関係ないので、蛇足という意見もあるかもしれないが、個人的にはそういった緩急をもたせたシーンづくりは好きだった。
一方で、戎水族館でクジラのトレーナーとして働いていて、反捕鯨活動団体への憎しみをずっと抱き続けている熱い心も持っていて好感が持てた。まだそれは行動としては表れていないが、きっと真知子のその行動力を垣間見て、今後彼も何か行動を起こすんじゃないかなと未来を想像出来るので、キャラクターとしてもこの作品に必要な登場人物だったと思った。
次に、和泉景子役を演じた新国立劇場演劇研修所第6期修了生の森川由樹さん。
森川さんの演技を拝見するのは初めてだったが、もちろんポジティブな意味で、凄く研修所の修了生といった感じで養成所で訓練された印象を受けて、演技がとても上手だった。
甲高い笑い声など凄く元気いっぱいな演技をされている点がとても印象に残っていて、それだけでも観客側としては元気を貰えたし、演劇を観たという実感が湧いた。
ここは、新美紗里役を演じた岡崎さつきさんもそうだったのだが、序盤のクジラショーを観覧しているシーンでの、あの大学生らしい青春を感じる元気いっぱいな感じが好きだった。
新国立劇場演劇研修所の修了生は、今日演技を拝見した感じ非常に素晴らしい俳優さんが沢山いらっしゃったので、もっと色んな公演で演技を観てみたいなと思った。
和泉照彦役を演じた荒谷清水さんと、和泉美雪役を演じた楠見薫さんも素晴らしかった。和泉家の老夫婦は非常に息がぴったりで、本当に田舎に住む夫婦といった感じの温もりがあって良かった。
特に、照彦が紗里をなだめるシーンが印象的。紗里の反捕鯨意見に対して、なんとかなだめようと、そしてなんとか怒りを抑えながら(お客さんだから)説得している感じは本当に素晴らしくて、観ていてずっとハラハラして手に汗を握っていた。いつ爆発するのかとヒヤヒヤだった。
【舞台の考察】(※ネタバレあり)
ここでは、脚本の構成と捕鯨問題について触れながら物語の感想についてつらつらと書いていくことにする。
私は今作を観劇するまで、あまり捕鯨問題についてしっかりと考えたことはなかった。もちろん一般常識として、環境問題によって浅瀬にクジラやイルカが大量に打ち上げられることが多くなったというニュースは見たことはあるし、反捕鯨活動をする団体がいて、数少ないクジラの乱獲を世界的に取り締まる集団であることは何となく聞いたことがあった。しかし、打ち上げられたクジラを鯨肉として食する地域があったり、クジラショーとしてクジラを飼育することが反捕鯨団体からバッシングを受けているということは全く知らなかった。
まず、今作を観劇したことによってそういった捕鯨問題に対して少しでも教養がついたことは非常に良かったことだなと思う。和歌山県の太地町は、クジラ古式捕鯨発祥の地として知られている。何百年も前からその土地に暮らしていた住民たちはクジラを「えびす」天という神様だと崇めて、鯨を畏れ大切にしてきた。だから決して捕鯨したり座礁鯨を鯨肉として食用にすることは乱獲ではないし、彼らの暮らしを支える伝統文化であるのだから、もし本当に彼らのその伝統をないがしろにするようなことが、反捕鯨団体の連中からあったのであるとすれば、それは個人的には非常に許しがたいなと感じてしまう。
ここにはよくよく考えると、伝統文化を守るという行為と、地球環境問題といった現代の社会問題の衝突が脚本に織り交ぜられていて興味深かった。これはきっと捕鯨問題だけに留まらない対立構造だと思っていて、かなり普遍的なテーマだと思う。
そんな脚本にはもう一つ、現代的な問題が織り混ざっている。それは、LGBTQ問題である。
最初今作を観劇したときに、そこに無理にLGBTQを織り込まなくてもと思った。しかし、そんな要素が物語に加わることで付加される解釈もあって面白かった。
たとえば、真知子が大学生の頃は何十年も前の昔だが、まだその頃はここまでLGBTQ問題が顕在化されていなかった時代だと思われる。だからこそ、そういった同性愛に対する周囲の理解というのもままならず、それによって昔は傷ついてきた人も沢山いるのではないかと思う。
しかし、今はそういった同性愛に対する理解が世間的に昔よりは示されるようになった。だからこそ真知子のように、昔に罪もなく無意識に傷つけてしまったことに時間が経ってから気づいて辛くなることもあるのかもしれないなと思った。そういった意味で、真知子がヤマモトを探しだそうという行為そのものは、ただ単純にヤマモトが好きだったからという理由だけではなく、その何十年も前に自分が犯してしまった罪から解放されたいという気持ちもあるのではと思う。ヤマモトが失踪してしまったのは、最初の原因は真知子にある。だからこそ、その罪の重さから解放されたかったのではとも捉えられる。そしてそれは、時間の経過によってどんどん重くなっていく辛い罪のようにも感じられる。世間的にLGBTQ問題が顕在化して、同性愛に対する差別を訴える時代になっているから。
また、先述したとおり「鯨」と「ゲイ」を重ね合わせる点も興味深かった。相野は戎水族館の「鯨」を探し、真知子は「ゲイ」と疑われたヤマモトヒロシを探し求めた。相野と真知子にとって、鯨・ゲイは自分らを夢中にさせてくれた存在。彼らを失ったことによって、その感情のぶつけ所を探しているという点においても、相野と真知子は似た者同士に思えてリンクした。
今作は「未来をつなぐもの」シリーズということでの上演だったそうだが、私が今作のラストで最も感じたことは、もう過去のことだからと諦念していたらきっと分からなかったり、知る善しもなかった事実が、行動することによって、まるで化石を掘り出すような感覚で発掘されて、さらに行動に磨きがかかるということ。そして、それは他者へも影響を与えて時は動き始めることがあるのだということ。
真知子は、引っ越しの際に旅のしおりの地図を見つけたことがきっかけで再び戎町にやってきた。そこで景子がまだ戎町にいること、それから戎水族館でトレーナーをやっていたサーファーが、捕鯨団体を憎んでいたこと、そして和泉家にはヤマモトのリュックが保管されていたことが、新たにわかって再び当時の出来事が蘇ってきて感情が高まっていった。
そして景子自身も、最初はそんな昔のことと忘れようとしていたが、真知子がヤマモトのことが好きだったのではないかと勘ぐる言動をしたことで、過去の記憶の解釈が変わっていって気持ちも変わっていったこと。
これは凄く劇的な展開に感じるが、でもそんな過去のトラウマな出来事は多くの人にあることだと思うし、可能性を感じさせてくれるラストだったかなと思う。諦めかけていたことに、再び火が灯り始める。そんなラストだった。
そういったきっかけを作ってくれる旅先というのは良いものである。私も久々に旅行をしたくなった。
↓横山拓也さん脚本作品
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