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シン・エヴァを観に行けないのでTV版エヴァンゲリオンの思い出を語ろう

 ちょっとーー!!!!!!!
 どうして!私が観たいアニメ映画は!公開が子どもの長期休暇にかかるんですかぁーーー???????????!!!!!!!!!!!

 という訳で、春休み前最後のシン・エヴァンゲリオン劇場版:||鑑賞チャンスを逃したあかりんぐです絶望よコンニチハ。ちなみに先日NHKで放送された『プロフェッショナル』の庵野監督回も、録画したもののネタバレっぽい何かが入ってたらいかんと思って視聴できないでいる。放送直後はツイッターでの盛り上がりに乗れなくて悲しかったのだが、何ですか?エヴァって言うより監督不行届なんですか??見てもいい???
 映画はGW以降も公開してるかな、してるといいな、しててください。半泣きで祈る毎日である。

 さて、ネタバレは踏みたくないけどエヴァの話がしたい。なんせ待ちに待った完結編の公開が始まったのである。世界では劇場版公開と時を同じくして南極で新たな生命体が発見され、中東では死海文書の断片が見つかった。世界がエヴァを推している。
 エヴァとは一体何なのか、庵野監督は何をこの作品に込めたのか、テレビ版が完結しても、新劇場版が公開されても、その真意は全く分からないどころかむしろ謎は深まるばかりのこの作品。そして何を隠そう、エヴァという作品は私の青春の一部である。何なら、エヴァが完結しないせいで私は齢40にして未だに青春の一ページから抜け出せていない。早い所シン・エヴァンゲリオンを観てスッキリと大人の階段上りたいのだが、それが叶わぬ今、私は声高く語ろう。私とエヴァンゲリオンの思い出を。

※当記事は私が自分語りするだけのマジで誰得案件です。検索で辿り着いてしまった方が居たら申し訳ありません。エヴァについての詳しい説明はありません。その代わりテレビ版も含めたネタバレもしません。未履修の人はテレビ版から見るように。

見知らぬ、テレビ局

 『新世紀エヴァンゲリオン』がテレビアニメとして放送されていた当時、私は東北の田舎に住む高校生だった。実は、私はエヴァ世代のガチヲタでありながらリアルタイムでテレビ版を観ていない。なぜなら我が田舎ではテレ東系のテレビチャンネルが映らなかったからである。何ならTBS系もなかった。ついでに言うとテレ朝系のチャンネルが入ったのがエヴァ放送のたった数年前で、当時『なかよし』を愛読していた私はセーラームーンがリアルタイムで見られる事実にうち震えたものだ。テレ東と言えば、田舎のオタクたちにとってはアニメチャンネルと言っても過言ではないくらいの憧れのチャンネルである。我々田舎のオタク達は、義務教育時代から既に情報格差社会を身に染みて感じていたのだった。
 そんな情弱高校生の私がエヴァに出逢ったのは、放課後の美術室だった。私が在籍していた美術部にはオタクが多く、年2回の展示会作品制作期間を除けば活動内容はほぼオタ活だった。二次創作同人誌を作る部員の修羅場にみんなで写植したり、TRPGしたり、推し作品の話をしたりしていた。そんなある日、後輩がやや興奮気味に1本のレンタルビデオテープを部室に持ち込んだのである。

瞬間、心、重ねて

 後輩の指示で、美術室の窓には全て暗幕が引かれた。授業ですらほとんど使わないブラウン管のテレビデオをみんなで引っ張り出して、壁側の中央に配置する。元々机は端に寄せてあったので、椅子だけを持ち寄って並べたらちょっとした映画館のようになった。ちなみに地元には気軽に行ける距離に映画館などなかったため、我々の少なくとも半数は映画館未経験者であった。映画館のよう、とは、当時の妄想力逞しい高校生オタクたちの概念に依る所も大きいことを念のため申し添えておく。
 「行くよ」とテンション高めの合図をして後輩がビデオデッキの再生ボタンを押すと、今まで見たこともないようなハチャメチャにかっこいいオープニングが流れた。なんだ、これは。鳥肌が立った。1話のタイトル画面にも衝撃を受けた。フォント、配置、潔さ、こんなの見たことない。また鳥肌が立った。この一連のオープニングに鳥肌が立ったのは私のような素人だけではないと後に知ることになるが、それはまた別の話である。
 本編に入っても、その場にいた美術部員全員が一言も発さずテレビ画面に釘付けになっていた。我々はそのまま続けて2話を見た。全身全霊がエヴァに持って行かれている。完全に無防備な状態だった。我々の肉体はここにあっても、意識はとうに身体にない。今が放課後であることも、ここが美術室であることも、扉に鍵がかかっていないことも、誰の頭にもなかった。我々は第3新東京市に居たのである。そう、暗幕と漏れ聞こえる音を不審に思った男子生徒が、興味本位で美術室の扉を開けるまでは。

静止しない闇の中で

 ガラリ、という勢い付いた扉の音に、我々全員の心臓が飛び上がった。戸口に佇む間抜け面の男子生徒を認識した瞬間、我々は一様にパニックに陥った。ある者はギャーと叫び、ある者はリモコンを取り落とし、ある者は男子生徒の侵入を阻止すべく駆け寄り、ある者はテレビ画面を抱きしめ、各々が一連のパニック行動を取り終えた頃ようやく誰かがビデオの停止ボタンを押した。さながら親にオナニーを見られてしまった男子学生のような心持ちである。
 今はどうか分からないが、当時はオタク趣味は恥ずべき性質であり、隠さなければいけないという価値観をオタク自身が共有していた。あとは、普通に学校でアニメ見てはいけないんじゃないかと思っていた。
 勇気ある部員が少しどもりながら「何か用ですか?」と聞くと、男子生徒は「何してるの?」と屈託ない笑みで聞いてきた。テレビを抱きしめた部員が「別に?何も?」と答えた。説得力は零号機。「何見てたの?」と言いながら美術室に入ろうとする男子生徒を、駆け寄った部員が「何もない、何もないったら」とナウシカみたいな事を言って何とか追い返した。我々は彼女らの勇気ある行動を称賛したが、それ以来「美術室での鑑賞は危険」とされ、アニメを観るものは居なくなったと言う。

プラモの価値は

 続きが気になった私は、自分でビデオをレンタルして貪るようにエヴァを観た。昔のこと過ぎてうろ覚えなのだが、その時はまだ全巻ビデオ化していなくて、20話くらいまでしか見られなかったんじゃないかと思う。完全に沼った私は、レンタル期限ギリギリまで何度も何度も繰り返しビデオを見た。私の行動は知っているが内容は知らない親が、本屋でお土産にとエヴァの公式アンソロ本を買ってきてくれた。私が人生で初めてアンソロに出会った記念日である。余談だが、一般的に親とは原作とそうでないものの区別がつかぬ生物である。現代では海賊品がネットで横行しているので、違法商品に手を出さぬよう子どもの方からも注意を促し、重々気を付けて頂きたい。

 無自覚な親の援助もあって着々と沼の底に近付くJK私であったが、アニメイトもとらのあなもない田舎では十分なオタクライフが送れない。当時は今ほど軽率にアニメコラボしてくれるコンビニもなかった。と言うか、そう言えばコンビニそのものがなかったわHAHAHA。格差社会ここにも現れり。都会に思いを馳せながら放課後に寄るのはもちろんあそこ、ローカルスーパーの狭い食玩コーナーである。そして私は出逢った。『組み立て式の3Dエヴァ』に。

 当時私はプラモデルというものを知らなかった。言葉は知っていたが、実際どんなものか見る機会がなかったのである。そう、私が『組み立て式の3Dエヴァ』と認識したのは、初号機のプラモデルだった。食玩の数倍もあるデカい箱は棚上部、食玩ストックの間に一つだけねじ込むように置かれていた。ちょうどエヴァが社会現象となり始めた頃だったから、仕入れ担当がワンチャン狙って一つだけ入れてみたのだろう。プラモデルを売っている所なんか見たこともない、小さなスーパーマーケットである。手に取った箱に書かれている情報を見て私は思った。これがあれば、おうちでエヴァのお人形で遊べる。ちなみに当時は今ほどフィギュアが大量に存在する時代ではなかった。プラモの箱を見た私は、人形(フィギュア)がないなら作ればいいじゃない、と自然に思ったのである。私は小学校高学年になってもリカちゃんで遊んでいたくらいお人形が好きだった。何なら今でもオビツボディで遊んでいるくらいである。JK私はお小遣いで初号機を買った。2500円くらいだったので、高校生にとって安いとは言い難い値段である。けれど高いなんて全然思わなかった。実質無料精神は既にこの頃から身に付いていた。正しい作り方なんてもちろん知らないので、パーツはランナーから手でねじ切って外した。ニッパーなんて道具は聞いたこともなかった。なかよしの付録と同じ感覚で組み立てた。スミ入れなんて言葉も技法も知らなかったが、先の細い油性ペンを使って接続部分に黒い色を塗った。その方が原作に近づくと思ったからだ。自分で言うのも何だが、センスの塊である。完成した初号機はバリだらけでスミのはみ出しもあっただろうが、私には全く気にならなかったし今でもそんなこと覚えていない。今でも思い出せるのは、初号機がうちに来た!という感動だけである。
 初号機が売れたのを見計らうように、スーパーには零号機が入荷した。零号機の次は零号機改である。両方とも買ったところで、貯めていたお小遣いが尽きた。二号機の入荷は見届けたが、私の財布が空っぽの間に誰かに買われてしまった。取り寄せなんて思いつきもしないままがっかりしていると三号機が入荷したので、お小遣いが入ったと同時に買った。その後、劇場版に登場した量産機まで入荷していたので買った。量産機の頭部はシリコンのような素材で出来ていて、斬新だなあとド素人ながらに感動した。仕入れ担当、量産機売れると思って入れたんだろうか。まんまと買ったくせに、そんなことを思った。ちなみにその時点で私はまだ劇場版を鑑賞していなかった。周囲で劇場版を鑑賞した知り合いは、部室にビデオを持ち込んだ例の後輩だけだった。彼女は映画を見た翌週の月曜日「シンジくん最低!」と言いながら美術室に入って来て、ショックを受けたという事実のみを延々と語った。何が最低なのかは一切教えてくれなかったが、ネタバレ配慮だったのか単純に言えなかったのかは今でも分からない。ちなみになぜ彼女が最低と評したのかは旧劇場版を見れば一発で分かるので必見である。

せめて、ヲタクらしく

 テレビ局が動いたのは、私が高校を卒業する頃だった。完全に社会現象となったエヴァを、我が田舎のテレビ局で放送することが決まったのである。受験勉強で忙しかった私は未だに最終4話を見ていなかった。私は狂喜した。しかし、この放送には一つだけ問題があった。大学進学が決まっていた私は、春休み期間中に県外へ引っ越す予定だったのである。最終話まで視聴できるかどうか分からない。引越し先はそう、エヴァのテレビ放送がとっくに終了している世界線への移動、シュタインズゲートの選択である。(※興奮のあまり他作品ネタが紛れ込んでおります。ご注意ください)
 エヴァの放送が始まったのは3月の中頃であった。放送のリクエストが多かったのに違いない。全26話のエヴァは、平日の夕方毎日、1日2本ずつ放送された。これは推測なのだが、局の方も年度末までに全話放送したいと急いでいたのだと思う。なぜなら私の住んでいた田舎では、大学進学は県外転出とほぼ同義だったからだ。エヴァを最も見たがっている我々世代の中には、引っ越しに伴って3月末に地元放送局を視聴できなくなる者も多かった。地元局は我らに配慮し、なるべく早く全話放送しようと尽力してくれたのに違いない。私はそう信じて今を生きている。でも、これは誰にも聞こえないはずの心の声なのだが、もうちょっと早く放送して欲しかったな。
 ギリギリであった。私の引越し予定は、最終話放送の翌日だったのである。引越し荷物はもう送ってしまっているので、最終話を録画したVHSは手荷物に入れた。私はあの問題の最終話を見ることが出来た。勝った。勝ったのである。シュタインズゲートは開かれた。私は1パーセントの壁を突破したのである。(※興奮のため他作品が(略))
 私は思い残すことなく地元を旅立った。エヴァを全話見ていること、それをオタクのたしなみのように感じていた。これで見知らぬ土地に行っても、私はオタクとして胸を張って生きて行ける。晴れ晴れとした気持ちの私を乗せて、新幹線は田園を駆け抜けた。

生放送の最中にアイを叫んだオタク

 地元テレビ局のエヴァ放送について、忘れられない出来事がある。
 今思うとすごくローカル局っぽい話で笑っちゃうのだが、エヴァ放送はなんと夕方のローカルワイド番組の「中」で行われていた。番組が枠を譲ったのではない、番組の「中」でエヴァが毎日2本放送されていたのである。そのため、番組の冒頭と1話終了ごとに番組MCによるコメントが入るという誰得な企画構成となっていた。緊急放送に近い形だったと思うので、特別枠が組みにくかったのだろう。MCも、さぞ戸惑ったことと思う。そこそこ若い女性と少し年配の男性アナウンサーの2人だったのだが、どちらもそんなにエヴァに興味がありそうには見えなかった。当時アニメはまだ「こどもが見る番組」という認識が強かったので致し方ない。しかしそんな状況でも、2人は一生懸命お仕事をされていた。そしてストーリーもノリに乗って、MCもエヴァがどんなものであるのか把握し始めた頃、事件は起きたのである。

 「おもしろいですね、エヴァゲリ!」

 そのように言ったのは男性MCであった。
 『エヴァゲリ』、確かにそう聞こえた。彼は独自の略し方を県内全域に放送してしまったのである。
 エヴァンゲリオンの略語はもちろん『エヴァ』である。社会現象エヴァンゲリオンである。略すなら『エヴァ』一択である。誰だってそーする、オレもそーする。例外としてミサトさん推しなら『エバー』でもいいのかもしれないが。
 そして次のMCタイム、男性MCの謝罪が入った。案の定、ご指摘の意見が番組に来たのである。男性MCはちょっと照れたような申し訳ないような表情を浮かべて、エヴァって言うんですね、失礼しました、と言った。私は何とも複雑な気持ちであった。全く興味のなかったエヴァを、仕事とは言え見てくれた心意気、視聴者に寄り添ったコメント、彼のことが何だか、思春期の娘を理解しようとするんだけどちょっと勘違いして空回りとかしちゃうお父さんのように見えていたのである。でもご指摘する気持ちも分かる、すごくわかる。エヴァはエヴァであってエヴァゲリではないのでそこは譲れないのである。しかし驚くべきは、インターネットが普及していなかったこの時代、決して少なくないであろう数の、おそらく若い世代(当時)がわざわざテレビ局に電話なりFAXなりして「エヴァゲリじゃなくてエヴァです!」って言ったことである。オタクはそれを許せないのである。
 今でもたまに思い出す。もう名前も覚えていないけれど、あのMCさん元気かな。エヴァゲリ事件に臆せず、心のこもったコメントをし続けてくれていたらいいな。おっさんくさい略語もどんどん作っていて欲しい。彼もまた、私の中のエヴァの思い出の一部なのである。もう顔も思い出せないけど、元気でいて欲しい。

追記

JKの頃の私へ

 あの頃の私、元気ですか。あれから20年以上経ちましたが、私は今もプラモデルで初号機を作って遊んでいます。ニッパーもやすりも使えるようになりました。今のプラモデルはすごいです。

写真 2021-03-26 16 45 10

 撮影用のライトボックスは持っていますが、使い方がよく分かってないのが丸わかりな写真があったので見てください。今はちょっと分かるようになりましたが、撮影技術がクソなので結局クソです。辛いこともあるだろうけど2021年にエヴァ完結編の映画が出来るので、それまで生きてください。

2021年の私より

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しゃちほ子
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