この世で一番切ないサボテンの話
我が家の2軒隣に、かつてとても仲の良い老夫婦が住んでいた。
6年前に奥さんが亡くなって間もなく、ご主人も後を追うように亡くなった。
高齢化の進んでいる地域だったこともあってか、ご夫婦は小さい子連れで引っ越して来た我々家族にとても良くしてくれた。
長女のためにお菓子やアイスをわざわざ常備してくれていて、道端で会うとニコニコと渡してくれた。
私のお腹に次女が出来た時も、産まれるのを楽しみにしてくれていた。
残念ながら、奥さんが生きているうちに次女を会わせることは叶わなかったけれど。
ご主人は家庭菜園が趣味で、庭にある小さな畑で色々な野菜を作っていた。
農作業中に私が通りがかると「持って行け、持って行け」と言って成った野菜を収穫してくれた。
畑の周りには花が植えられ、季節ごとに色とりどりの花が咲き乱れていた。
我が家にも家庭菜園があったのだが、ズボラな私たちを見かねたご主人は、我が家の畑のお世話までしてくれていた。
自分の畑の土を移してくれたり、伸び放題のトマトに支柱を立てたりしてくれた。
いつも申し訳ないなあ、なんて気を遣っていたが、奥さんが亡くなってからは有難くご厚意に甘えることにした。
人の世話を焼くことで、少しでも生活に今まで通りの張りを感じてくれればと思ったからだ。
WIN-WINの関係である。
そうしたらいつの間にか、うちに花まで植え始めたので笑った。
ご夫婦がまだ元気だったある日のことである。
小さかった長女と私が散歩から帰って来ると、ふたりが家の前で何やら楽し気に話をしていた。
こんにちは、と声をかけると、ふたりは嬉しそうに「見て見て!」と言う。
指さされた先を見ると、鉢植えのサボテンに大きなピンク色の花が咲いていた。
「何年もかかってやっと咲いたんだ」
とご主人が言った。
4人でサボテンを眺め、きれいだねえ、と話した。
夕方になって仕事から帰って来た夫氏にも自慢していたらしいので、相当嬉しかったのに違いない。
サボテンの鉢は庭の物置の上に置かれており、少し覗き込むと塀の外からでも見ることができた。
花が咲いている間、私はご夫婦の家の前を通るたびにサボテンを見て、ちょっと嬉しい気持ちになったのだった。
実を言うと、私にはサボテンを殺めてしまった過去がある。
中学生の頃、何か知らんが仲間内で観葉植物が流行った時期があった。
世話に自信のなかった私は、こまめに水をあげなくて良いし簡単だよ、と言われて鉢植えの小さなサボテンを買ったのだ。
手乗りサイズの鉢の上にちょこんと座っているようなサボテンに、私は「マツモトさん」と名前を付けて可愛がっていた。
当時好きだったロックユニットのギタリストの名前である。
て言うか、有名過ぎて隠しようがないので言ってしまうが、あのB'zの松本さんである。
稲葉さんはもう好きすぎて恐れ多くてお名前を頂けなかった。
最初のうちこそマツモトさんの潤い加減を気にかけたり話しかけたりしていたのだが、元来ズボラな私のこと、間もなくマツモトさんの存在を感じなくなった。
最後にマツモトさんを見たのは、朝学校に出かける直前のことだ。
小さくしぼんだマツモトさんは、鉢の上にくたっと横たわっていた。
サボテンって世話してないと倒れるんや…とショックを受けた私だが、放課後にはすっかりマツモトさんのことを忘れてしまっていた。
その後マツモトさんは、私の知らぬ間に母の手によって闇に葬られた。
私のような人間は動植物を育ててはいけない。
自戒の念を込めて書いた作文は地域の何かに入選し、いくつかの小・中学校を集めた合同文集に掲載された。
審査評には「こんなにもユーモラスで、こんなにも鋭い自己分析」と書かれ、アンパンマンそっくりな校長先生には「君は将来は物書きになる」と太鼓判を押され、自戒したはずの私はちょっと調子に乗った。
調子に乗った私は30歳を過ぎてから夢小説を含む二次創作小説を書いたりもしたのだが、それはまた別のお話である。
そんなこともあって、ご夫婦のサボテンは私にとってもちょっと特別なものだった。
咲くまで何年もかかると言う花を、こんな私にも見せてくれるとは。
自然は大きく美しい、そして寛大である。
ご主人の”まめ”さと自然のおおらかさは、私に世界を教えてくれたのである。
ご夫婦が亡くなった後、彼らの家にはお孫さん夫婦が住むことになった。
あのサボテンは変わらず物置の上にあったが、この私のことである。
普段は、やはり存在を忘れて生活していた。
我が家の家庭菜園は年を経るたびに手入れの回数が減り、数年後にはすっかり荒れ果てて、雑草だらけのジャングルになってしまった。
ご主人が植えてくれた花だけが季節が巡るごとに新しく芽吹き、荒れ地の中に色どりを添えるのみである。
ご主人の家庭菜園の方はと言えば、やはり荒れ果てていた。
お孫さん夫婦は庭いじりをするタイプではなかったらしい。
荒れに荒れた結果、お孫さん夫婦は庭の植物を根絶やしにした。
わかる。わたしでもそうする。
亡くなったご夫婦のことを考えると切ないが、こればっかりは仕方がないと思った。
そして更に数年が経ち、お孫さん夫婦は別の土地に家を建て、引っ越して行った。
お孫さん夫婦がいなくなった空き家を、私は外からぼんやりと眺めた。
夫婦で過ごし、お孫さんも支えた家。
ご主人も奥さんも、満足だろうなあと思った。
畑のあった場所はきれいに何もなくなっていたが、周辺に置いてあるものは変わらなかった。
いくつもある物置小屋も、ラティスも、もちろん数々の鉢植えも。
私は久しぶりに塀を覗き込んだ。
あのサボテンの鉢は、変わらずそこにあった。
けれど鉢の上のサボテンは、少し傾いで茶色く変色していた。
砂漠の色をしていた。
即身仏のようだと思った。
ぐったりとしたサボテンを見たことはあるが、カッスカスに枯れたサボテンは初めて見た。
指先で触れたら砂のように崩れてしまいそうだ。
私はご夫婦の笑顔を思い出していた。
花が咲いたと喜ぶ顔。
何年もかかったと繰り返すご主人と、それを笑って見つめる奥さん。
通りがかるご近所さんみんなに自慢していたご主人。
トゲだらけのサボテンに咲いた、美しいピンクの花。
あれだけ大事にされていたサボテンが、こんな姿になってしまって。
諸行無常である。
私はちょっと泣きたくなった。
しかし感傷に浸りきるには、私の犯した罪は重かった。
なんせ、サボテンを殺めた経験を持つ女である。
もし私がお孫さんの立場だったら、全く同じ結果になっていたはずなのだ。
土に生える植物を発狂しながら殲滅し、鉢植えの植物は自滅せよと念を込めて放置である。
間違いない。
己の行動が手に取るようにわかる(己なので)。
そんなわけなので、お孫さんを非道だと思うことも出来ず、私が引き取れば良かったと後悔することもできず、たまにカスカスのサボテンを覗き込んではぐぬぬと複雑な気持ちになるばかりなのである。