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【金融教育の本質①】 あなたの中の投資家が目を醒ます

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その名も【代ゼミと考える金融教育】

2022年4月から高校での授業が義務化された「金融教育」。子どもだけでなく我々大人も知識格差がある「金融」について、一緒に学んでみませんか?代ゼミ教育総研の研究員や職員がリレー形式で語ります。

まずは、トップバッターのMさん。投資について新しい視点から寄稿してくれました。



唐突な質問だが、あなたは投資家だろうか?

「はい」と答えた人は既に何らかの投資を行っていることだろう。最近はNISAやiDeCoを活用して投資を始める人が多いと聞く。人生100年時代やインフレへの備えとして、若い世代を中心に投資が広まりつつあるようだ。

反対に、「いいえ」と答えた人は現時点で投資を行っていないことになる。投資に興味はあるが元本割れするのが怖い、あるいは、投資はギャンブルだから絶対にやらないという人もいるかもしれない。

しかし、私からすれば、先の質問に「いいえ」と答えた人も投資家なのだ。

リスクのある金融商品を保有していなくても、さらに言えば、生きていれば誰もが投資家だ。何を言っているのか?と思われた方は、是非このまま読み進めていただきたい。この記事を読み終えた時に、投資家としての自分がいることに気が付くはずだ。


2022年4月から高校で金融教育の授業を行うことが義務化された。

主に家庭科の教員が担当し、扱うテーマは家計管理、消費者トラブル、投資、キャリア教育など多岐に渡る。

この背景には、年金財政の悪化に伴い個人での資産形成の必要性が高まったこと、また、成年年齢が18歳に引き下げられたことなどがある。
日本は諸外国に比べて金融教育が遅れていると以前から指摘されていたこともあり、今回の義務化は高校生の子どもを持つ保護者からは概ね歓迎されているようだ。高校に任せておけば最低限の金融リテラシーが身に付くという安心感があるのだろう。

しかし、実際に行われている金融教育は、こうした保護者の期待に応える水準に届いていないことがほとんどだ。指導にあたる教員からは、「授業時間を十分に確保できない」「指導する側の知識が不足している」といった声が上がっている。
確かに、家庭科の限られた授業時間で上述のテーマ全てを説明するのは無理があるし、ハイペースで進行して表面上の指導を終えたところで、実用性を欠いては意味がない。指導側の知識不足はさておき、授業時間が不足している状況は教員の努力で解決できる問題ではない。


こうした状況を踏まえ、高校における「現実的かつ効果的な金融教育」について個人的に考えてみた。

「個人的に」と書いたのは、教育業界の人間としてではなく、投資家として強く想うところがあるからだ。
私は20代から株式投資をスタートし、10年以上相場と向き合ってきた。今でこそ積立投資も行っているが、主戦場は個別株であり、リターンの期待値が高いと判断すれば積極的にリスクを取る。何度も相場の荒波に揉まれたが、現在まで生き残ってそれなりの利益を上げている。何億も稼いでいる有名投資家に比べれば取るに足らないだろうが、投資を通じてお金と真剣に向き合ってきた自負はある。その経験を踏まえ、現在の金融教育を多少なりとも改善する視点を提示したい。

今回のポイントは「現実的」という点だ。

「授業時間を増やせ」と叫んでも状況は変わらないし、「家庭科の教員は身銭を切って投資を経験しろ」と言ったところで、「投資は危険!貯金こそ正義!」というデフレ脳の人から猛反発を食らうだろう。そのため、あくまでも現行の枠組みを活かす形で、それでいて一生ものの考え方を子ども達に伝えることを目指す。そう、優先して伝えるべきは「知識」ではなく「考え方」だ。

その一例をご紹介しよう。金融教育の中で最も注目されているのが「投資」だ。金融商品の種類、投資手法、NISAやiDeCoなどの税制優遇制度。どれも専門的な内容で、投資経験のない教員が説明するのは難しい。だが、個々の知識よりも重要なことがある。それは、「そもそも投資とは何か」だ。

一般的には「お金を投じてお金を増やすこと」と考えられている。つまり、リソースはお金でありリターンもお金だ。もちろんこの認識は誤りではないが、投資の「資」を「資金」ではなく「資本」と捉えれば、その領域はさらに広がる
建物や設備の物的資本、労働力という人的資本、さらには時間や精神的なエネルギーも立派なリソースとなる。そして、リターンは必ずしもお金とは限らない。知識を得たり、充実感を覚えたり、人から感謝されたりすることもリターンだ。
この考え方に基づくと、大学進学も実は投資としての側面がある。膨大な時間(勉強時間や大学で過ごす期間)とお金(塾の費用、受験料、学費など)を投じて、専門的な知識や経験、学友、学歴といったリターンを手にする。これらのリターンは将来さらなる価値を生む可能性を秘めており、人生における新たなリソースとなる。「入れる大学」に甘んじてしまう高校生もいるだろうが、「入学する価値のある大学」なのか、投資目線で考えてもらいたいものだ。

このように、投資の本質は「未来志向」にある。

将来高い価値を生み出すものを自らの基準で見出し、それに対してリソースを投じる。「自らの基準」と書いたのは、何に価値を見出すかは人によって異なるからだ。また、リソースも人によって異なる。だからこそ、他人ではなく自分で判断しなければならない。「投資は自己責任」なのだ。

さらに、ここでは述べないが「お金とは何か」も金融教育の本質として重要だ。こうした本質を伝えずに金融商品について説明したところで、口座を開いて投資を始めようとは思わないだろう。反対に、投資とお金の重要性さえ理解できれば、生徒は主体的に学びたい(あるいは、学ばないと将来マズい)と思うのではないだろうか。そのための本や動画は世に溢れている。

高校では本質を伝え、金融について学ぶきっかけを与えるだけで十分だ。これであれば、限られた授業時間の中で、また、教員に専門的な知識がなくとも対応可能なはずだ。もちろん、これは最低ライン。金融というテーマと腰を据えて向き合う時間を確保してほしいという想いはある。

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さて、冒頭の質問に戻ろう。ここまで読むのにどれくらいの時間を要しただろうか。2分?3分?人生における貴重な時間を投じたあなたは立派な投資家である。何らかのリターンを得られたのであれば幸いだ。あなた自身がリソースであり、あなたが選択する一つひとつの行動が将来のリターンを左右する。人生は投資なのだ。

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