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教育現場でのChat GPTとの向き合い方|生成AIを逆手に取り新たなる可能性へ

【教育ニュース最前線vol.17】
日々報じられる教育関連情報から、教育業界への影響が大きいと思われる内容を、代ゼミ教育総研 研究員・編集チームが厳選してピックアップ。
それぞれの分析・私見を述べます。
教育・学校・入試について関心がある方々の、考えるヒントとなりましたら幸いです。
\\ ✨Vol.17は 2日連続投稿✨//
vol.17-1:【世界教師デー】教育に関係のある人が大事にしてほしいこと
vol.17-2:教育現場でのChat GPTとの向き合い方



答えが一つではない生成AIは、正解のない社会を象徴。そして、「プロンプト」の手法がパラダイムシフトを起こすSTEAM教育へ。


2024年のノーベル賞は生成AI絡みの受賞が相次ぎ、改めて、我々の社会のいろいろな分野において、ますます生成AIの存在が無視できなくなってきていることを実感させられます。

そのような中、教育学者の土持ゲーリー法一氏(京都情報大学院大学副学長)が生成AIに関する論説を発表しました。

▼Chat GPTの功罪 破壊者か? それとも変革者か?(アルカディア学報・日本私立大学協会)

土持氏と言えば、知る人ぞ知る、戦後日本の高等教育についての政策や歴史における第一人者でいらっしゃいます。リベラルアーツに関するマガジンでも、土持氏の著書をご紹介したことがあります。

土持氏は、昨年来、話題の的となっている生成AIについて、ウィル・ダグラス・ヘブン氏の論文「Chat GPTは破壊者か?それとも変革者か?揺れる教育現場」を引き合いに論を展開。
自身が所属する大学の授業での生成AI活用の経験をもとに、今後教育の現場で生成AIとどう向き合うかについて、興味深いメッセージを出されています。

生成AIが世に出回り始めたころは、こと大学教育における論文作成などでは生成AIが使われることへの警戒感が非常に高まり、その使用に当たっては、学生たちに注意喚起する大学が多く見られました。

しかし、土持氏は、ネガティブなイメージがいまだつきまとう生成AIについて、

時代の趨勢であって不可避であると考えている。そうであるならば、Chat GPTを積極的に受容して、「共存共栄」する道を探るべき

と明言し、むしろ生成AIを活用した新しい教育観へのパラダイムシフトを促しているのです。

さらに、

学校教育は「正しいこと」しか教えない「純粋培養」という名の過保護に陥っている。このような子どもたちがグローバル社会に出て、サバイブできるだろうか。世の中には、好ましくないことも多々あり、その善悪を瞬時に判断する能力が求められる。現代社会の悩みは、学校教育と現実社会が隔離しているところにある。

と述べ、とくに、先生が教えることが絶対という「学校神話」が根付く日本において、このままでは、子どもたちが世界で生き残れないと危惧をされています。

💡研究員はこう考える

私がここで、とてもユニークで、興味深い発想と感じたのは、答えが一つではない生成AIを逆手に取った論理展開をされている点です。

答えが一つということの方が、不自然であることは、社会に出れば誰もが気づくことである。

こうした現実を生きるために、生成AIを使いこなすのに不可欠な「プロンプト」が役立つというのです。

「プロンプト」とは、生成AIからよりよい答えを導くためには、質問をひたすら投げかけるというプロセス。
そこでの手法は考えてみれば、氏が米国の大学院でよく耳にした「定説を覆す」という目標につながっていく、というのです。

定説を覆す、とは、パラダイムシフトを起こす、ということ。

末尾では、リベラルアーツ教育につながる "STEAM” に話が及び、

STEM→STEAMの「A」がパラダイム転換を促したように、Chat GPTにもリベラルアーツ教育の考えが必要であり、それを実践につなげるのが、「プロンプト(質問)」

と、プロンプトと、パラダイムシフトを起こす力を内包するA=Artとの共通点を披露しています。

氏がその重要性をかねてから主張し続けているリベラルアーツ教育。

「所詮、人間が開発したに過ぎない」生成AIをも取り込み、新たなパラダイムを提示していく可能性を秘めたその逞しさに、改めて驚かされた次第です。


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