【人生を変えた恩師】教育者としてもリーダーとしても、最高のお手本となる校長に仕えたことは、私の幸せです。
こんにちは!代ゼミ教育総研note、編集チームです。
いよいよ師が走る時期になってまいりました。
今回の筆者は、林正憲先生。
1年の終わりに、皆さんも「恩師」に思いを巡らせ、新たな年に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
私には何人もの恩師がいます。
小学校から、それぞれの時代に出会った、忘れられない先生がいます。永遠の教えがあり、ずっと恩を感じています。
教員に憧れ、教員になり、そして校長になった私は、それまで出会った校長先生たちを参考にしながら職責を果たそうとしました。
副校長時代、3年間仕えたS校長のことを書きます。
出会いは、私が全校生徒50名の町立農業高校の教頭から、1学年8クラスの札幌の入試学力中位校に副校長として異動したときです。学校の課題が大きいと聞いていました。
校長も替わるタイミングで、以前、お会いしたことがありました。教育行政にいた方で、知的で、眼光鋭く、少し恐い印象を持っていました。
ダジャレから始まった出会い
2011年4月1日、初めて会う日。
私は「おはようございます」と校長室に入りました。緊張していました。
すると「先生は、北野から来たの?」と言いました。
ダジャレです。当時、私は札幌市清田区の北野に住んでいたのです。予想だにしていなかったので、引きつり笑いしかできませんでした。
「まあ、座りなさい」と言われ、ソファに腰を下ろしました。
「先生は、副校長だね。副校長として、どうやりたい?」と聞かれました。
私は「法令どおりにやりたいです。校長の補佐をするとともに、校長から任された範囲内で、職員室で判断、指示し、適切かつ迅速な学校経営、組織運営に貢献したいです」と言いました。
校長は「わかった。その通りにやりなさい」と言いました。
初日のやりとりで、物事を対話的に進めてくれるとわかり、ホッとしました。
なお、ダジャレは、3年間、ずっと続きました。
トラブルがあったり、緊迫感が漂ったりしているときは、笑う気になれないどころか、やめてほしいとさえ思いました。
しかし、、、継続は力なり、です。
親父ギャグが、ほぼシラケ受けであったとしても、耳にしてしまった者に笑いをもたらし、こわばりを少し解いてくれました。
確かに、難しい顔をして、力んだからと言って、うまくいくわけではありません。
ダジャレの真似はできませんでしたが、笑いの効用については理解し、私なりのやり方で大切にしてきました。
管理職に対する風当たりが強く…
学校組織の人間関係があまり良好ではありませんでした。
特に、管理職に対する風当たりが強く、私の当たり前は簡単に通用しませんでした。
案を示せば、「まず反対」です。
部長主任会議でも職員会議でも、進行に難儀しました。何ヶ月もの間、私は職員室で「武装解除」できず、声を出して笑えませんでした。
早く1週間が終わらないかと思っていました。
そんな私ですが、冬休みを超え、様々な困難を何とか乗り超えました。敵対している先生たちのその理由もわかり、それまでの経緯には、理解できる面がありました。
いつからか、共感的に話せる先生が増え、校内人事も比較的スムーズに決まり、前向きな議論をし、挑戦できる下地ができました。
私はとても楽しく仕事ができ、S校長は、生徒からも先生からも保護者からも愛されて、定年を迎えることができました。
S校長はどんなリーダーだったでしょうか。
▸1 愛と信頼
教育目標に「愛と信頼に基づく」とありました。
校長はこの言葉を気に入り、「愛と信頼を基盤とした学校経営を行う」と言いました。
しかし「愛」とは何であり、どんな学校経営が「愛を基盤にしている」と言えるでしょうか。
「愛を基盤とすること」には異を唱えようもないのですが、「愛」のその具体的な形を認めるかどうかはまた別な問題です。
これは、理念的なもの、パーパスやビジョン、ミッションにつきものの話です。
S校長の愛は、対話に表れました。
どんな人とでも、つまり、屁理屈を言う人でも、言行不一致の人でも、明らかに間違った考えを持っている人とでも、丁寧に対話を続けました。
誰の話でも傾聴し、分け隔てなく、誠実に対応していました。
「最大限の理解と納得で進める」と言うとおり、どんなに長くなっても、何度であろうと、対話をしました。
「〇〇先生と、2時間も喋っちゃったよ」と言いながら、ちっとも嫌そうではありませんでした。
根本的に、人が好きなのです。
生徒の下の名前も覚えていて「この前の〇〇〇〇さん、その後元気になっただろうか」とよく聞かれました。
人のよさと可能性を見つけるのも得意でした。
「〇〇先生って、こんなところがあるんだよ。副校長、知っているかい?」「〇〇先生は管理職になれるんじゃないか」
と嬉しそうに言っていました。
問題行動を起こした生徒に対する特別指導というものがあります。1週間程度、自宅謹慎とし、反省文や課題、保護者との対話を義務づけます。
特別指導の実施と解除については、校長室で校長が申渡しをします。
生徒と保護者が緊張して校長室に入ってきます。「自宅謹慎とする」「特別指導を終わる」と言うだけの校長もいると思います。
S校長は、ソファに座らせ、問答をしながら、指導をしました。
「何がわるかったのか」
「どうしてこんなことになったのか」
「どんな気持ちなのか」
「これからどうすればよいのか」
寄り添うとはこういうことかと思いました。
「ダメなものはダメ」とはっきり言いながら、「事を憎んで、人を憎まず」でした。
しっかりと反省してほしい、二度と起こさないでほしい、そして、よい高校生活、人生を送ってほしい。
校長の口調や態度から、そんな思いが滲み出ていました。
保護者に対しても、「家庭で、きちんと指導しているのか!」「親の責任を果たしているのか!」と責めるようなことは全くありませんでした。
心中を慮り、「一緒に見ていきましょう」と声がけをしていました。
生徒も保護者も涙ぐむ場面が何度もありました。
教育者のベースは、愛ある対話。そのことを、具体的に教えていただきました。
▸2 授業「参加」
「授業が先生の生命線」。よく言われることです。
授業は単なる知識の伝達の場ではありません。
授業の中に、学習指導のみならず、生徒指導も進路指導も、生きることの教育も全てあります。
先生が「授業で勝負」なら、管理職は授業力が上がる指導助言を行えるか、勝負です。
「毎年全員の授業を見る。1時間丸ごと見る。忙しい副校長、教頭は半分ずつ一緒に見よう。終わったら、1時間一緒に振り返りをする。計画してください」と言われました。
趣旨はわかるのですが、事務仕事もクレーム対応も課題解決もある中で、私たちが1日2時間授業参観に費やすのは、正直言って、なかなかきつかったです。
しかし、S校長と一緒に参観し、振り返る中で、管理職の最も大切でやりがいのある仕事はこれだ!と思うようになりました。
教室へ行くと、S校長は、生徒の空いている席へ座ります。それが最前列ということもありました。
当然、生徒も先生もびっくりします。
校長はニコニコし、嬉しそうです。
私は驚きました。授業参観は後ろに立って見るものであり、それが礼儀だと思っていたからです。
「どうして、生徒の席に座るんですか」と尋ねました。
「生徒の息遣いを感じたい。生徒目線で授業を見たい」と返ってきました。
そして、参観ではなく、「参加」するのです。つまり、生徒と一緒に数学の問題を解いたり、書を書いたり、教科書を音読したり、英語のロールプレイをやったりしていました。
振り返りのとき、最初に授業者の感想を聞きます。
多くの先生が「本当は〇〇まで、進む予定でしたが、途中で終わってしまいました」と言います。
校長は必ず言いました。
「進度も大事だが、あの授業の狙いは何だったのか。生徒はどの程度達成できたのか。それを知りたい」と。
そのあと、私たちから指導助言を行います。
校長は、一方的に「あれはおかしい」「こうするべきだった」とは絶対に言いませんでした。
「あれはどういうことなのか」「あそこで何ができることを期待していたのか」と問いました。
そして「教科の専門ではない私が言うのも恐縮だが」と枕詞を置いて「説明の順番をこうしたらどうだろう」「こんな発問をしたらどうだろう」と授業者の思考を促しました。
一緒に授業デザインを探究するのです。
忘れられないのは、国語のある授業です。
題材は、原民喜の『夏の花』。自身の広島での被爆体験を描いた小説です。
この授業がひどかったのです。
説明も板書も、内容と意図がわからないのです。
描いた地図も間違っていました。
音読も、ただ読ませるだけで、何のためなのかが皆目わかりません。
素直な生徒たちは指示に従うのみ。
私は呆然唖然とし、「この授業を受けたら生徒の学力は下がるのではないか」と許しがたい気持ちになりました。
振り返りの時間です。
実は、授業者はよく文句を言う先生。
さすがに、何を言われるかと、顔がやや引き攣っていました。
「では、副校長から」と言われたら、何を言えばよいのだろう、と私は必死に考えていました。
それを察したのか、校長が口火を切りました。
いくつか問答があり、校長は尋ねました。
「先生が今日の授業で一番伝えたかったことは何ですか」
しばし思考を巡らせ、彼は「暗澹たる思い、です」と答えました。
校長が「そうですよね」と言うと、その先生は少しホッとしたようでした。
校長は続けて、「そうですね、暗澹たる思いがどんな思いなのかを生徒にわかってほしいですね。だとすると、もし私だったら・・・」と授業展開や説明の仕方について、自分の代案を示しました。
その先生の顔がパッと明るくなりました。
「なるほど、そうですね。それいいですね。次のクラスの授業でやってみます!」と言いました。
その先生の目的や意図、思いを聞く。
具体的なやり方に課題があるなら、授業者が別なやり方を考えるように促したり、代案を示したりする。
私は、管理職の力量は授業の指導助言で試されると思いました。
▸3 血肉化した言葉の力
S校長は、言葉を大事にしていました。
対話はまるで良質のキャッチボールであり、相手の胸を目がけて、キャッチしやすいボールを投げていました。
相手が受け損ねると、もっと易しいボールを投げようとしていました。
相手がどんな取りにくいボールを投げても、何とか受け止めようとしていました。
「おはよう」の一言にも、愛を感じ、気持ちよくなる。
そんな校長は、同じ言葉を繰り返し口にしました。
第一に、校訓「努力・忍耐・感謝」。
「校長先生、これを改善するのは、時間がかかると思います」と言うと、校長は校長室の額を指差し、「副校長、校訓にあるとおり、努力だよ」
「いやあ、校長先生、これをいつまで続けなきゃならないんしょうか」と言うと、「副校長、忍耐だよ」
「校長先生、何とかなりました」と言うと、手を合わせ、「副校長、感謝だよ」
校訓が私の日常と結びつき、大事な言葉になっていきました。校訓を生かし切るとはこういうことだと思いました。
第二に、「尻拭いも管理職の仕事だ」です。
問題が山積みでしたが、かなりの部分が前任者の不適切な経営の産物であり、私は「なぜ、こっちがこんな余計な仕事をしなければならないんだ」と怒っていました。
が、校長は、尻拭いも仕事だと笑っていました。
自分のせいではないことも、誰かがやらなければならない。課題の原因がどこにあろうと、一つひとつ解決していくだけ。
愚痴ったり、不平不満を言ったりしても構わないが、仕事としてきっちり取り組む。管理職の責任とは何か、教えられました。
第三に、意見が対立し、錯綜し、どうすればよいか、策案に困ったときの「正論を持って王道を行く」。
目的は何か。生徒のために大事なことは何か。法令はどうなっているか。
悩んだときは、本質、正論で行く。
その上で、私が論理で武装して行こうとすると「副校長、人間は感情の動物だ」と言うのです!
正論、論理だけでは人は動かない。どんな感情であろうと、その感情を否定するのではなく、受け止め、傾聴してあげること。
二項対立的な考え方ではダメだと学びました。
▸4 徹底した現場主義
S校長の掲げる理念は本物で、本心から語っていました。
「よく言われているから」「今ここで一般的に求められているから」口にする、ということはありませんでした。
理念を現場から乖離させることはなく、現場をよく見ていました。
朝の玄関の挨拶は、先生たちと一緒に最後までいて、終われば、雑談を楽しんでいました。
昼休みの後の「ベル席」(チャイムが鳴った時に、着席し、学習の準備ができていること)がルーズになり、指導を強化すると聞けば、ひと足先に廊下に出て、生徒や先生の様子を見ていました。
儀式や集会、学校祭のときも、ギリギリまで職員室で事務仕事を片付けたり、メール対応したりしている私よりもずっと早く体育館へ行き、並び始めた生徒や整列指導をしている先生とおしゃべりに興じていました。
「現場を見る」と言っても、監視ではありません。見て、触れ合い、そこから掴み取ったことを学校経営に生かすのです。
職員会議で立派な意見を言う先生が、実際はどうなのか。
職員室で楽しそうにしている先生が、生徒とはどうなのか。
職員集団の中で孤立している先生が、どんな仕事をしているのか。
よく見て評価し、課題に注意を向けながら、それぞれのよさを生かそうとしていました。
現場から始める。現場から理念を立ち上げる。現場をよりよくする。
私も、「徹底した現場主義で行こう」と思いました。
最高のお手本となる校長に仕えたことは、私の幸せです。
「S校長なら、どうするだろうか」。よく自問しました。
校長としての振る舞い方。
短中長期の計画を常に念頭に置く。
報連相を求めるなら、自分から報連相をする。
講話や式辞の文章は余裕を持って仕上げ、うるかし、副校長、教頭に率直な意見を求める。
決裁を大事にし、決め方、伝え方に心を配る。
上司にも臆せず意見する。
忖度しない。
決して偉ぶらない。
お酒が好きで、「そろそろ管理職の飲み会をするか」とよく言っていたS校長。
暫くぶりに、一献を傾けたくなりました。
皆さんも心に残る恩師はいらっしゃいますか?
コメント欄にて教えていただけると嬉しいです。
※教員名は実名を伏せていただいて構いません
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