山行記その6焼岳 〜いつか無に還る〜
焼岳は活火山である。
頂に近づくほど、音をたてて噴気が立ちのぼり、強い硫黄のにおいがたちこめる。岩稜は熱を持ち、山が生きていることを感じる。
かつてはその噴火により、穂高をその水鏡に映し出す大正池を作りだし、更に遡ること数十万年前、梓川の流れを飛騨側から信州側に変えたとされる。火山の持つ強大な威力に、ため息がもれる。
焼岳は活火山なのである。
いつ大噴火するともわからない。そうしたら今の僕はひとたまりも無いのだが、このあたりの景色だってきっと変わってしまう。長い目で見ればひとときも同じ風景などない。噴火し、隆起し、崩れ、また水流に浸食されて、いつか全く異なる姿となる、それが自然の摂理というものだ。
すべては春の夜の夢。満開の桜が散るようにいつかこの山塊だって、消えてなくなる。地球単位で見れば、宇宙単位で見れば、風の前の塵に同じ。人間がとうに滅んだ後かもしれないが、この山も形を変え、違うものに生まれ変わる。だからこそ一期一会のこの姿を、僕の脳裏に焼き付けておきたい、そう思うのだ。
今年になって初めての山行。残雪の穂高を眺めたくて焼岳を選んだ。今年も穂高に足跡を刻むことを目標にしながら、あちこち登りたいと思っていて、そんな思いを今年最初の山登りで確かめておきたかった。
体力と気力が僕を山に連れて行ってくれるうちは、なんとか時間を作り出して、今年も挑もう。
一度きりの人生、一期一会の景色に出逢うために。