等価値
父が亡くなったとき、驚いたことがたくさんある。
お葬式の予約の電話がフリーダイヤルだったこと。色んなコースがあること。司会役がいて有料だということ。葬儀場にいる人たちは会社員であること。お給料が支払われていること。
人の死という不可解なものが、立ち止まることも許されず、あらゆるルールに則って進められていく。
それらは父の死を軽んじていると思った。
どういうものなら適切なのかは想像もつかないけれど。
葬式場の方がBGMを流すかどうか提案してくれたとき、やっぱり同じように感じた。
父の死にふさわしい音楽などあるはずがない。この場に流すべき音楽なんてない、最初はそう思っていた。
ただ、たまたま父の死の前、音楽家の坂本龍一が亡くなっていた。
坂本龍一が亡くなったニュースを家のテレビで見ながら、僕は父を思い出し、そして坂本龍一の「put your hands up」という曲も思い出していた。
それは「筑紫哲也NEWS23」というニュース番組のエンディングで使用されていた曲で、父は必ずこの番組を見てから寝るのだった。
かつて父がテレビを見ていたソファに座り、テレビを消したあと何度も「put your hands up」を聴いた。
そういうこともあって、BGMの提案を受けることにした。父の葬儀のあいだは、ずっとこの曲がくり返されていた。
父はどういう思いで、毎夜「筑紫哲也のNEWS23」のエンディングを見ていたのだろう。
僕は当時まだ若くて、たまに夜食のラーメンを食べながら、父とエンディングを見ていた。
ただ、そのエンディングは僕をいつも悲しくさせた。
テレビ番組に映し出されていたのは、日々の泡のような、無情とも思える、誰でもない人々の日常の活動だった。
悲しい出来事も、嬉しい出来事も、戦慄的な出来事も、どこにでもある日常も、解決しなければならない問題も、世界的な問題も、個人の闇も、群衆の熱狂も、
結局のところ、等しく同じもの。
そう感じぜずにはいられなかった。
たまに「put your hands up」を聴く。葬儀を思い出し、父を思い出し、涙が溢れてくる。
そこに何らかの意味や価値があるかどうかはわからない。
たぶん、ないのだろう。
今日の嬉しいことも、悲しいことも、嫌なことも、かけがえのないことも、しだいに意味を失って、
僕らは、また明日を迎える。
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