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改訳『荘子』「庖丁解牛」

 

ノート

わたしのジャバウォッキーに続いて、千田さんからの出題(2015/10/16 10:21)。『荘子』から「庖丁解牛」。この出題はすごく気持ちいいものだった。出題者からこう言ってもらった。〈正攻法でありながら、これまでの漢文現代語訳にはなかった清新な調べがあります。とくに以下の下りが好きです。「感覚や知識が止まり、神の欲するところへ行く境地があるのです。生き物にそなわる生来の筋の数々に沿うて、その谷あいから肉を滑らせ、骨とのあわいにある大きな空隙に刃をすすめて、牛が有している姿の大元を辿りなおすのです。」内容の上でも、これを読むと、精神ー神経ー神髄、というものを貫く〈神〉というものに思い至ります。身体の内部、「骨とのあわい」には、空が、青空のように開けた場所があり、そこには存在の有している「大元」があるように思えるのです。〉


包丁


 包丁と呼ばれた男が、時の王のために牛をほどいてみせた。
 手が触れ、足が踏み、膝の屈するところ、確然としていい音が鳴る。刃は奏でるがごとくで、その姿は舞かと思われ、聞えるのは曲のようだ。
王は言った、
 「善きかな。技術もかくまで来るとは」。
 刃を肉から釈して男は王に向かって言った、「わたくしの好むところは道です、技術どころではございません。
 かつては牛を見て、ただその全身があると思うばかりでした初心のわたくしも、三年でそれが部分で見え、いまや神髄によってそれを遇することを得、もう牛をこの目で見ることをしません。
 感覚や知識が止まり、神の欲するところへ行く境地があるのです。
 生き物にそなわる生来の筋の数々に沿うて、その谷あいから肉を滑らせ、骨とのあわいにある大きな空隙に刃をすすめて、牛が有している姿の大元を辿りなおすのです。ゆえに技術を弄して骨肉のからみあう難しいところに行くことがありません。ましてや骨に刃をぶち当てることなど。
 よい料理人でも毎年刀を替えましょう。肉を裂くからです。ただの料理人なら毎月刀を替えましょう。骨を叩き折るからです。ごらんのわたくしの刀は十九年、一度たりとも替えておりません。その間手にかけました牛は数千にものぼりましょうか、ですが刃先はさっき砥石で研いだようでしょう。
 骨と肉のある生きものには必ず隙間があります。刃には厚みがございません。厚みなきものを隙間あるもののあわいにしのばせるのですからそこには遊びが生まれましょう。かくて十九年砥石で研いだばかりのようになるのです。
 しかしながら、《族》と呼ばれる部分に来るたびに必ず、そこを通り抜けることの難しさをしかと感じて、じっとおのれをいましめ、それがゆえに見ることが自然と止み、おのずから手さばきが遅々とし、刀を動かすのが微かになる。
 牛がどさりとほどかれるころにはすでに、それはなにやら大地に還るようで、わたくしは刀を持ったまましばらく立ち尽くしては、あたりを見まわし、動じず、悠然といまさっきみずからの辿ってきた道程を眺め、血をぬぐって鞘に収めます」。
 王は言った、
 「善きかな。包丁の言うところを聞いて、生きることの養育を会得した」。


出題

内篇 養生主篇 第三 其二)

 庖丁(ほうてい)、文(ぶん)恵(けい)君(くん)の為(ため)に牛を解(と)く。手の触(ふ)るる所、肩の倚(よ)る所、足の履(ふ)む所、膝の踦(かが)まる所、砉(かく)然(ぜん)たり嚮(きょう)然(ぜん)たり、刀を奏(すす)むる騞(かく)然(ぜん)たり。音に中らざること莫(な)く、桑(そう)林(りん)の舞に合(がつ)し、乃(すなわ)ち経首(けいしゅ)の会(しらべ)に中(あた)る。文恵君曰く、「譆(ああ)、善きかな、技も蓋(けだ)し此に至るか」と。
 庖丁、刀を釈(お)きて対えて曰く、「臣の好む所は道なり、技よりも進めり。始め臣ね牛を解くの時、見る所全牛(ぜんぎゅう)に非ざる者無し。三年の後、未だ嘗て全牛を見ざるなり。今の時に方(あた)りて、臣(しん)、神(しん)を以て遇(あ)いて目を以て視ず、官(かん)知(ち)止(とど)まりて神(しん)欲(よく)行く。天理に依りて、大郤(たいげき)を批ち、大窾(たいかん)を導き、其の固(こ)然(ぜん)に因る。技の肯綮(こうけい)を経(ふ)ることこれ未だ嘗てせず、而るを況んや大軱(たいこ)をや。
 良庖(りょうほう)は歳ごとに刀を更(か)う、割(さ)けばなり。族庖(ぞくほう)は月ごとに刀を更う、折ればなり。今(いま)臣(しん)の刀は十九年なり、解く所数千牛なるも、而も刀刃は新たに硎(といし)より発せるがことし。
 彼の節なる者には間(すきま)有り、而も刀刃には厚み無し。厚み無きを以て間有るに入る恢恢乎(かいかいこ)として其の刃を遊ばしむるに於て必ず余地有り。是を以て十九年にして刀刃新たに硎(といし)より発せるがごとし。
 然りと雖ども、族に至る毎に、吾其の為し難きを見、怵(じゅつ)然(ぜん)として為に戒め、視ること為に止まり、行くこと為に遅く、刀を動かすこと甚だ微なり。謋(かく)然(ぜん)として已に解くるや、土の地に委するがごとし。刀を提げて立ち、之が為に四顧し、之が為に躊躇(ちゅうちょ)満志(まんし)して、刀を善(ぬぐ)いて之を蔵(おさ)む」と。
 文恵君曰く、「善きかな。吾庖丁の言を聞きて、生を養うを得たり」と。


■原文

庖丁為文恵君解牛。手之所触、肩之所倚、足之所覆、膝之所倚、砉然嚮然、奏刀騞然、莫不中音、合於桑林之舞、乃中経首之会。文恵君曰、譆、善哉、技蓋至此乎、庖丁釈刀対曰、臣之所好者道也、進乎技矣、始臣之解牛之時、所見無非全牛者、三年之後、未嘗見全牛也、方今之時、臣以神遇而不以目見、官知止而神欲行、依乎天理、批大郤、導大窾因其固然、技経肯綮之未嘗、而況大軱乎、良庖歳更刀折也、今臣之刀十九年矣、所解数千牛矣、而刀刃若新発於硎、彼節者有間、而刀刃者無厚、以無厚入有間、恢恢乎其於遊刃必有余地矣、是以十九年而刀刃若新発於硎、雖然、毎至於族、吾見其難為、怵然為戒、視為止、行為遅、動刀甚微、謋然已解、如土委地、提刀而文恵君曰、然哉、吾聞庖丁之言、得養生焉、


■口語訳


 庖丁が文恵君のために牛を解剖してみせた。手が牛に触れ、肩がぐぐっと牛の体によりかかり、足が踏んばり、膝がかがまる、そのたびに、砉然(サクリサクリ)、嚮然(ザクザク)と音がし、刀を動かすと、騞然(バリバリ)と響きわたる。いずれも音階にかなっており、身ごなしは桑林の舞かと見まがうばかり、音響は経首の楽章の演奏とも一致する。文恵君はいった。
「ああすばらしい、技術もここまでになるとは」
 庖丁は手にした刀をおいて答えた。
「私の好むものは道でありまして、技術を超えたものです。私がはじめて牛の解剖をしたころは、目に映るものは、牛の全体の形ばかり(で、どこから手を着けるやら、見当もつきません)でした。三年たつと、牛の全身は目に入らなくなりました。いまでは、私は心で牛を見て、目で見ることは致しません。感覚器官にたよる知覚作用は止まって、精神だけがはたらきます。牛の体に備わった自然のすじ目に従って牛を切りさき、肉と骨との間の大きなすき間に切り込み、関節の間の大きな空間に刀をすすめ、牛の体の本来のありのままに従ってゆきます。だから私の技量では骨と肉との絡み合った難しい所に刀をもってゆくことはありません。まして大骨に刀をぶつけることなど、あり得ません。
 上手な料理人は毎年刀を取り換えます。これは肉を切り裂くからです。平凡な料理人は毎月刀を取り換えます。これは骨を切り折るからです。ところで私の刀はすでに十九年使っております、その間に解剖した牛は数千頭にもなりますが、刀の刃先はこのとおり、たった今、砥石で研いだばかりのようであります。
 牛の関節にはすき間がありますが、刀の刃先には厚みがありません。厚みのないものをすき間のある所へ入れるのですから、ゆったりとして、刃先を自由に動かすだけの余地が必ずあります。このようなわけで、十九年使用しても、砥石で研いだばかりのように光っているのです。
 しかしながら、刀と骨と肉の絡み合っている所〈族〉にくるたびに、私は仕事の難しさを見てとり、じっと〈怵然〉心を引きしめ、一か所に視線を止め、手の動きはゆるゆると、刀を動かすこときわめて微妙であります。やがてバサリと牛は解体され、あたかも土が大地に落ちるように崩れ落ちます。(緊張がとけた私は)しばらく刀を手にして立ち尽くし、あたりを見まわし、じっと満足感にひたっておりますが、やおら血をぬぐって刀を納めます」
 文恵君はいった。
「すばらしい、私は庖丁の言葉を聞いて、生を養う道を会得した」
 

(野村茂夫訳 、角川ソフィア文庫『老子・荘子』 P173~179)

(ほかに金谷 治訳注、岩波文庫、『荘子』第一冊[内篇]P92~95などがあります)

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