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短歌批評「カリギュラの鏡 ――歌は何を殺すのか」


『現代短歌研究』第8号、2009年5月発表。小松剛名義。




カリギュラ すべてはひどく複雑に見える。ところが実は、すべて、しごく単純なのだ。もしおれが月を手に入れていたら、愛だけで十分だったなら、すべては変っていただろう、だが、どこで癒せというのだ、この心の渇きを? どんな心が、どんな神が、おれにとって湖の深さをたたえているのだ? (跪いて、泣きながら)この世にも、あの世にも、おれの力に匹敵するものは何もない。だが、おれは知っている、そうだ、お前も知っているはずだ、(と、泣きながら手を鏡のほうへ延ばし)、ただ不可能なことが可能になればそれで十分だということを。不可能なこと! それをおれは世界の果てまで、このおれの内側のすみずみまで探し求めた。おれは両の手をさし延べた、(絶叫して)今もこうしてさし延べている、ところが、おれが出会うのは貴様だ、いつでもきまって貴様なのだ、おれの前に立ちはだかるのは。
(アルベール・カミュ『カリギュラ』渡辺守章訳)

    Ⅰ 

 菱川善夫について考えるとき、だれかが、こんなことを言っていたのを思いだす。
 菱川は、ひとの短歌を、みずからの論拠に据え、おのれの思想を発言するために利用する、というのだった。具体的にどの文章が、ということは知らない。かれに言わせれば、短歌作品を、読者の私見で枉【ま】げてはならないと言いたいのだろう。短歌の享受に何らか正解でもあるかのような言種【いいぐさ】だが、ぼくはこのことばを思うとき、しかし菱川善夫は、確かに短歌を剣のように使った批評家であった、と思い至るのである。
 塚本邦雄の歌に次の一首がある。〈日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも〉(『日本人靈歌』)というものだ。
 この剣を読者に見せて菱川はかつてこう書いた。

すなわち、この一首の解読にとって、もっとも重要な鍵となっているのが、「皇帝ペンギン」と「皇帝ペンギン飼育係り」である。このイメージは、いったい何をわれわれに暗示するだろう。その読み取り方によって、作品の世界は大きく変化する。あの黒い燕尾服を着て、手を垂れて佇っている「皇帝ペンギン」は、象徴天皇制の中で飼われている猫背のエンペラー、すなわち天皇ヒロヒトの存在を、われわれに強く想起させるイメージではあるまいか。「皇帝ペンギン」が、天皇ヒロヒトの喩であるなら、「皇帝ペンギン飼育係り」は、当然、主権者となって彼を飼育する日本国民の喩に転化する。「前衛短歌の収穫Ⅰ」『歌のありか』所収)

 鋭い断言だ。菱川善夫は、歌を剣のように閃かせて、その使い方を読者に語っているのである。ここでは短歌が、批評によって、一本の剣かと見紛うほどに研ぎ澄まされているのが、分かるだろう。その使途において、菱川はみずからの独壇場を築いていた。
 その証拠に、いまこの皇帝ペンギンの歌を解説した、他の人々の文章を読むとき、ぼくらは、かれらが菱川説を引き合いに出していながらも、しかし「これは即天皇と捉えるのではなく、動物園で飼われているペンギンをまず想像すべきである」というような文章に突き当たることを知る。菱川の説が有名になった反動でもあろう。しかしこれが批評と言えるのか。
 とどのつまりは何に見えてもよいはずだ。ペンギンなど、すでにここには歌われている。人にそれが見えぬものか。それでいてかれら歌人批評家はぼくに、天皇以上に相応しいと思わせるような幻を見せてはくれない。天皇に見えなければ見えなくとも好い。塚本邦雄がペンギンを天皇だと思っていなくとも一向に構わない。一人の男が敢然と、ペンギンの姿に、天皇の幻を見る! この事実にぼくは笑ってしまう。考えてみれば馬鹿ばかしいことだ。このほとんど狂人の囈言にちかい評言が、現代短歌の一級の作品への、第一等の批評だと考えられているのだ。そして紛れもなく、この批評のために、この作品は一級なのだ。笑わずにいられようか。批評とは敢然と狂うことだ。そして傑れた芸術を味到するには、かような勇気が必要だということを、ぼくは菱川の文章から学んだのであった。
 この歌を巻頭に飾った塚本邦雄の歌集『日本人靈歌』は昭和三十三年刊行、前述の引用をふくむ菱川の『歌のありか』を挟んで、時経て平成五年に刊行された第十九歌集『獻身』で、三十五年ぶりにこの「皇帝ペンギン」は歌われることになる。金輪際、塚本の歌に「皇帝ペンギン」は登場しない。〈皇帝ペンギンその後【ご】の日々【ひび】の行狀を告げよ帝國死者興信所〉(『獻身』)という歌がそれだ。
 この歌をみて菱川善夫は再び「皇帝ペンギン」について筆を執る。

「皇帝ペンギン」は、『日本人靈歌』で、〈日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも〉と歌われた「皇帝ペンギン」であることは言をまたない。その後の天皇の「行狀」をつぶさに報告せよ、という言葉の背後にかくされているのは、あきらかに天皇の責任追及の声である。帝国の名において死者となった者たち――彼らが経営する「帝國死者興信所」の仮空の固有名詞がそれを触発する。このきびしい追求の声を、誰が毅然として作品化しただろうか。(「急げ! 歌の殺し屋」『現代歌人文庫続塚本邦雄』所収)

 だが塚本がこれを作品化しえたのは、一重に菱川善夫の『歌のありか』が書かれたためのように思われる。結局、『日本人靈歌』でも、『獻身』においても、塚本は「皇帝ペンギン」を、どうとでも取れるように歌っている。この歌は、「皇帝ペンギン」に告げよ、と言っているのか、だれかにペンギンについて告げよ、というのか、判然としない。菱川の〈その後の天皇の「行狀」をつぶさに報告せよ〉という読みは可能だが、確実な読みではない。間違っているとだれかが言えば途端に崩れよう。塚本邦雄が「皇帝ペンギン」を曖昧に歌っているからだ。しかしそれゆえにこそ、この歌についての批評は危険にならざるを得ず、おのずと断言を嗾【そそのか】す。留保は許さない。この歌とまじめに向かい合う勇気がない者は、無視を決め込むか、そのことば遣いの曖昧さを責めて技術の未熟を説くであろう。しかしそれでは、ここにある「技術」を見失うことになる。
 塚本の歌もまた、ある種の断言と呼ぶべきだろう。この歌について言うならば、末尾「帝國死者興信所」は電報の送り主を思わせる。もし「告げよ」の後に空白を入れたなら、手紙の形式となるのは明らかだ。「その後の日々の行狀を告げよ 帝國死者興信所」、こうしたとき、作者の意図はもっと明確になるはずだ。しかしここに空隙を入れるのは、読者にのみ許された果敢な遊びとしなければならない。これが塚本の技法である。「皇帝ペンギン」ののち「に」や「の」などの辞が喪失しているのも、塚本の一手法といってよい。これらを、わざと曖昧に仕立てたところが、塚本の断言の技法であり、それゆえに断言は、人の想像力を焚きつける発火点を有つのだ。塚本は、だれにでも持って行きやすいように歌のなかに火を灯しているのであり、読者が、そこから火を盗めるように仕組んでいる。
 断じて言うが、塚本邦雄は、「皇帝ペンギン」が天皇であると言いたいわけでは決してない。それをただ表現したいならば、氷山の風型【ジオラマ】を拵え、そこにペンギンの縫包【ぬいぐるみ】を着せたヒロヒトの人形【オブジェ】でも立たせておけばよい。しかしそれでは〈日本脱出したし〉の一首ほどの衝撃力を持ちはしないだろう。
 菱川善夫は、塚本をはじめとする前衛短歌の根幹を〈想像力の犯罪性〉にあると見た。なぜか。いかに想像力が、読者に危険な断言を嗾したのかを、まず菱川がみずからの身をもって体験し、批評をもってそれを証明したからに他ならない。
 読者の想像力を刺戟する、そのための短歌詩型でなくてなんであろう。

短歌は、幻想の核を刹那に把握してこれを人々に暗示し、その全体像を再幻想させるための詩形である。(塚本邦雄「短歌考幻学」『夕暮の階調』所収)

 短歌はその刹那、そこに書かれている以上のものを薫らす。描くのではなく他人に描かせるのである。短歌で描写や写生をやろうとして満足に出来るものか。それをしたければ他の芸術を選べばよい。同書には〈幻想世界を分析し再組織するには、散文詩の時間的ないし非連続性が有効であろう。その世界における葛藤と劇を創り、詳述するには小説、戯曲にまつべきであろう〉とあるが、これは何も幻想世界についてのみ当てはまる話ではないはずだ。
 短歌はみじかい。
 短詩型文学とは、あらゆるジャンルと、「みじかい」という隔絶とした異和によって成り立つ。塚本はみずからの短歌を〈反世界〉の詩と言ったが、短歌詩型そのものがその端【たん】を反歌に有【も】つ以上、その存在がそもそも世界に反していたというべきだろう。にもかかわらず、短歌、このちいさな箱苑【はこにわ】に世界を写生・描写しようというのならば、歌人の世界はまさしく卑小であるといってよい。
 世界は広大であり、人の夢は限りない。ある歌人は、これを歌いたいと希う。自分がそう希ったときと同様の感動を描くには、短歌はみじかいと歌人は思うはずであろう。だがかれの天才はこれに挑戦する、短歌でそれを描こうと思うとき、かれは描くのではなく人々に描かせることを選ぶ。〈再幻想させる〉、ここに短歌の精髄がある。歌人は一人では淹留【とど】まらない。
 抒情するのではなく、抒情させるのである。共感ではなく、感じさせるのである。そのための断言でなくてなんであろう。断言は多くのものをそぎ落とす。辞が喪われ、意味が曖昧になり、説明を要する。読者は思う、それはなぜなのか。断言の下に殺された数々のことばが読者のなかに蘇る。「ああ、復活の前に死があるね」(ロマン・ロラン)。この復活をこそ信じて断言者は敢然と断言をこころみる。たとえ浅薄、軽率と誹られようとも、読者のこころを刺戟し、火の種子を播こうという一縷の望みにそのすべてを賭ける。止揚【アウフハーベン】にしかかれらの居場所はない。
 すぐれた断言は滑稽すれすれのところで真実に肉薄する。ときに極論とさえ思われる断言のなかには、しかし危険な火が炎えているのだ。〈幻想の核〉とはこの火に他ならない。もし、あの「皇帝ペンギン」にも〈核〉たる火があるのだとしたら、その火をどのように扱うかは、読者の自由でなければならないだろう。菱川にとって、最も魅力的であり危険な火の使途が、天皇への連想であったことは言を待たない。
 菱川のこのような危険な短歌への評言は、日本を脱出したい「皇帝ペンギン」に、ペンギンそのものを見るべきだとか、戯画化されたペンギンや、オモチャのような鳥獣を見たというのとは、明らかに異なっている。これらの読みには、菱川のそれとは違い、慎重にたもたれた歌との距離感があるのみだ。他者の歌を評するとき、まさに、おのれの咽喉元に剣を突き当てるかのごとき果敢さで向かい合った菱川善夫の批評家としての在り方を、ぼくは思わないわけにはいかない。
 菱川善夫は、歌人がみずからに対して最も問うべきことを、自身に課した批評家ではなかったか。

    Ⅱ 

 まことに韻律は墓場である。
 晶子をはじめとする近代短歌史上の、あらゆる天才達を没落へとひきずりおろしたものが、韻律であり音楽であった。

 第一評論集『敗北の抒情』以降、菱川善夫が唱えてきた批評の根幹はここにある。しかし、ここで強く語られている韻律批判はけっきょく二次的なものと考えるべきであろう。菱川が、最も厳しく批判しているのは〈天才達を没落〉させるあらゆるものである。
 だから、〈短歌的抒情が例外なく古典的世界へと回帰するという抒情的秩序、実在する現実と人間との相互関係を、完全に切断する抒情の終末、これが墓場でなくて何であろうか〉(『敗北の抒情』)と菱川が言うとき、天才たちが、ただ短歌を語るときにのみ、現実との相互関係を結ぼうともせず、古典的世界へと後退してゆく、その姿勢をこそ、責めていると考えるべきだろう。
 歌集『みだれ髪』を世に問い、「君死にたまふことなかれ」と認【したた】め、したたかに天皇を批判した與謝野晶子は、紛れもなく当時の大日本帝國に並ぶ者のない文学的天才と勇気とをそなえていた。その晶子でさえ、短歌について語るとき、〈韻律の奴隷となることによって、「内にわき立つもの」をおし殺し〉、歌とは音楽にほかならないことを強調して、遙かに後ずさりする。エッセイ「私が歌を作る心持」で晶子は言う、〈少しの言葉を用ひて多くの感激を音楽的に表現するものが歌で御座います。歌に思想とか、哲学とか、乃至流行のイデオロギイを求めたりするのは、音楽に其等のものを求めるのと同じ誤りで御座います。〉音楽に思想哲学がないというのも畏ろしい妄言だが、けっきょくこのような愚直な韻律音楽への信仰が、歌人の精神を現実との相互関係から遠ざけた。
 伝統へも似而非音楽信仰へも後退することを、菱川善夫は戒めて、要請すべきものは、〈短歌的抒情が歌人の思考や認識そのものと結びついて、抒情の内質をあらためることであり、今日の複雑な、ゆがんだ現実との対決に於ける、タンキストみずからの位置の設定〉であるという。抒情がみずからの感情を表すことであるならば、短歌的抒情はすなわち現在のその人そのものに他ならず、決して古典的なものを規範とするわけにはいかないはずだ。歌の伝統を楯に、歌人が現実と戦わず、時代のなかでみずからの位置を見失い、短歌史のなかに後退してゆくさまを、菱川善夫は痛烈に批判する。
 そしてアラゴン、エリュアール、エマニュエル、ジャン・ケーロールら第二次世界大戦中のフランスの抵抗詩人をあげて、〈勿論フランスの現実と日本の現実とは同一に考えられないとしても、我々はまず抵抗詩人から技術の問題ではなく、それをもって抵抗した祖国愛と人間愛とを学ばねばならないし、抒情詩はまさに抒情詩であることによって、国民的感情と社会的現実へ向って拡散し得ることを銘記しよう〉(「抒情の再建」)と、歌人との、ほとんど苦し紛れに近い比較を促しながら、現代短歌が〈実感の回復すら容易になしがたい〉ことを嘆く。ここでいう実感とは、〈歌人の思考や認識そのものと結びついて〉はいない、〈短歌的抒情〉に歪められた〈抒情の内質〉である。短歌的なるものが、現実との対決を避けさせ、かれらの位置の設定を曖昧にするのだ。極言するならば、短歌という詩形式それ自体が人間から実感を奪いかねないということになる。
 短歌は人を容易に定式化する。以降菱川はその批評活動の多くの場面で、人の定式化について、かずかずの警鐘を鳴らしている。
 寺山修司もまた、定式化の問題に最も覚めていた歌人だった。

すべてが画一化された現代の中で、おのれを回復し、借りものでない自分を発見するにはどうしたらよいか、という問いは、長く寺山のうちを貫いていく課題である。すべてが「代理人」の時代の中で、「私もきっと誰かの『代理人』なのではないだろうか? だとすると、私は一体、誰の代理人なんだろう。どこかの町の片隅に、私を『代理人』にえらんださみしい中年男がいて、私はその男のさみしさを、代りに味わっているのじゃないだろうか?」と、「さらば映画よ」(「悲劇喜劇」昭和四十一年五月)の中年男はみずからに問いかける。(菱川善夫「寺山修司総論」『戦後短歌の光源』所収)

 寺山修司の目に見えていたのは、人々が、定式化された歌人のようになっていった、不気味な光景だったのではないだろうか。

 だれでも自分について「そうでありたい自分」と「現在そうである自分」の二つをもっている。現在そうである自分はつねに前者の方へ身を投げかけようとする意志をもっていて、その線の上に歌の中の「私」が立っているのである。(「短歌における新しい人間像」「短歌」昭和三十二年十一月)

 寺山が、〈そうでありたい自分〉が歌の中の「私」であると高らかに宣言しないわけは、かれの含羞であるとともに、この二つの両極のうちにもまた、人の画一化がひそんでいるからであろう。現実にも理想にも人を絡めとる罠がはりめぐらされていることを自覚し、寺山は、現実を脱ぎ捨てるように理想をも脱ぎ捨てる。人がかれの短歌にある種の抵抗を感じるのは、かれのあからさまな自由への意志が鼻につくからであろう。
 菱川はかれの初期の歌を幾首かを並べて次のように書く。〈この「われ」の多様な状況の設定。それを彼が試みるのは、さまざまな可能な状況のなかに自己を投げ出して、生の法則を求めようとしていることの証左にほかならない。〉〈画一主義、均一化された団体の感情、政治的均一性は彼の敵だ。彼が作品において、常に病人としての現実を捨てるのも、ベッドは戦争と同様に「空虚な画一主義」を彼に強いるからである〉(「新世代の旗手・6寺山修司」『戦後短歌の光源』所収)。
 なぜ画一化をしてはいけないのか。なぜ定式化された人間になってはならないのだろうか。
 菱川善夫の第五評論集『飢餓の充足』は、冒頭に『ベトナム帰還兵の証言』(陸井三郎編訳)を引用して、〈善良な市民が、ある種の訓練と脅迫によって、いかに簡単に残酷な殺人鬼に変貌するか〉ということをまざまざと見せつける。

頭にあるのは殺しだけです、疑問をいだいてはいけない、なぜかと聞いてはいけないのです。殺すように命令されたら、殺さなければならないのです。なぜかとか、だれがそういったかといってはならないのです。あるいは、なぜ私がこの人間を殺すべきなのか? どういう理由で? それが私にはどんな得になるのか? どうしてやつらは私に危害を加えようとしているのか? そういう疑問をもたず、ひたすら一つの機械になることなのです。
――ジョン・ゲーマン伍長

 画一化の行き着く先はここだ。この極点から、短歌という詩型を照射したとき、何かが見えてくるはずだ。
 この例は極端にすぎるだろうか?
 たしかに戦争の狂気はいちじるしい。しかしこれを一つの極として考えたとき、人間は、狂気の機械になることもあるが、正気の機械になることもあるということを、思うべきだろう。

強制された狂気が人間を機械化し、「疑問をいだいてはいけない」状態に人間を追いこむように、強制された正気も、また人間を同様な荒廃に導く。懐疑する主格の消滅、私の内部の空白化は、いつか流砂のように押しよせ、抒情の内質をすこしずつ変化させているのである。

 〈強制された正気〉によって人はたやすく正気の機械に変貌する。それはたとえば〈良心とは厳粛なる趣味である〉(『侏儒の言葉』)という芥川龍之介に始まる菱川の批評においても明らかだ。

 日本が経済大国となった今日、日本中には、貴族や富豪が溢れることになった。もちろん厳密に言えば、貴族や富豪の数は限られてくるだろうが、飢餓線上をさまよっている国の人々から見るなら、日本人のおおかたが、貴族や富豪に近い生活を送っている、とうつることはまちがいない。
 おそろしいのは、そうなった時に、芥川が言ったように、日本人が、いっせいに〈良心〉という〈趣味〉を持ちはじめたことである。その結果、〈貴族〉や〈富豪〉の〈趣味〉に合致しないもの、ふさわしくないものが、芽をつまれ、排除され、評価の埒外に追いやられる、ということになった。(「脊椎の火口に細き火をくべるべし 高橋正子と芥川龍之介」『火の言葉』)

 〈良心〉という〈趣味〉を持った日本人が「正気の機械」に容易にみずからを仕立てていく姿を菱川は見逃さない。かれらも狂気の機械と同様巧妙なやり方で、人を殺すほど、あるいはそれ以上に、人間らしさを侵害する。
 このように画一化は、人から想像力を奪う代わりに、不気味な権力を与えることがある。権力を持ったとき、狂気に支配されていようとも正気であろうとも、人はたやすく人間らしさを失い、またそれを奪う機械になってしまうのである。だから、画一化には魔的な魅力が潜んでいるのだ。
 「想像力の犯罪性」とは、単純に殺人や詐称、窃盗を話題にするということではない。なぜそれらが犯罪とされるのか、そして、にもかかわらず国家による犯罪が罪とされず、権力者がみずからを罰しないかを告発するための、権力への鋭い問いの謂いなのである。菱川の出発点『敗北の抒情』は『オイディプス王』への言及から始まった。菱川善夫の批評活動の根本に徹【とお】るものとは、人を殺す権力から、いかに想像力をもって反抗しうるか、という一本の鋼だったはずだ。オイディプスは権力者だった。しかしその想像力を刺戟されたとき、何をしたか。
 それにしても、菱川善夫はなぜ短歌にこうまで拘ったのだろう。ぼくの短歌についての関心はいまここにしかない。

     Ⅲ 

 歌人は短歌化する。
 この漠然たる思いが、次第に不愉快な核となってぼくのなかで取り除きがたいものとなった。
 人は、短歌を一首成すとき、多くのものを喪っていることを知るべきだろう。そしてその末に残るものがあるのか、とくと自分に問うべきだろう。一首を成すとき、人は、恐るべき力で短歌化され、あらゆるものとともに消え去る。この魔的な力に抗う術はない。ましてや伝統に紛れ込もうとする歌人に、なにを見るべきものがあるだろうか。短歌とはただ五七五七七すなわち三十一音の音楽にすぎず、くちずさむように歌えばよいと言うような歌人に、なにを聴くべきものが残るというのだろうか。結社を組織し、短歌伝統に奉仕し、短歌をただただ生き延びさせることによって短歌史に奉仕する歌人は、短歌という、人を無化させる或る何かの制度に支配されているかのようだ。一体短歌という苑【その】があったとして、そこに人間が生きていたというようなことがいままであったのか。
 歌人がもっとも卑劣であるのは、これらの問題を一向に解決することなく、ただ無尽蔵に人を歌人にしたてて歌を作らせるという蟻地獄を形成しているときであろう。この虫が作った地獄が短歌史である。
 何も知らず、ただ楽しそうだからと、短歌を作ってみたものの、いつの間にかこのような地獄に捉えられている、ぼくが気づいたのはこの状況だった。不愉快だった。このことに気がついたとき、ぼくの不快はかつてみずからが学生歌会を組織したことに極まる。
 これらの問題をぼくに気づかせた作家は、塚本邦雄と菱川善夫であった。しかもこの二人は着実にその作品によって、解決を試みていた。嬉しかった。以来この問題を素通りしている歌人はすべて憎悪の対象となった。そのなかにかつての自分自身も含めよう。
 短歌は自己肯定の詩型だとしばしば批判される。しかしその実は、自己肯定だけではなく、作歌自体がかれらの短歌肯定であり、それがなされさえすれば、歌人は自分自身を否定されていたとしても耐えられることが出来ただけなのだ。なにが残っていなくとも、短歌になっていればよかったのである。短歌詩型がどんなことをも、うつくしく歌い得る詩型なのだとしたら、そこにはだれの美しさでもない、短歌の美しさがのこるのみである。岡井隆が〈歌はただ此の世の外の五位の声〉とうたうとき、歌っていたのはただ短歌であり、佐佐木幸綱が〈詩歌とは真夏の鏡〉といって額を押し当てた鏡には、その黒い額ではなく天体からの光が真っ白く映っていたはずだ。端的にいま結語を言うならば、短歌とは何も映さない鏡であろう。映さないことによってかれらを映すのだ。
 短歌が誘うこの不愉快な宿命に覚めて、傑れた歌人ではなく、傑れた一人の人間たることこそ、歌人への至上要請ではなかったか。歌をつくっても残り得る強烈な個性への希求の声を、菱川の批評のなかから聴いた。そして多くの歌人が伝統の検討と実験とによってこの鏡にさまざまな絵を描いているのを見た。
 「才能が終われば、形式が始まる」(マックス・リーベルマン)ではないが、この詩型の権力志向はいちじるしい。【一度とくと冒頭に示したような方法でもって、歌の姿を見てみるべきだろう。】(この文削除す。20201024】
 一方、塚本邦雄は〈われならば歌をほろぼす〉(『豹變』)と、〈われこそ止めむ歌の息の根〉(『獻身』)と歌った。たとえ短歌と刺し違えてでも、短歌を殺さなければならない。これは、短歌が人間を殺しにかかってきているという不愉快な実感を持っていたぼく自身にとって、極めて切実な明言であった。この鏡は割らなければならない。
 菱川によれば、かつての短歌滅亡論者は、折口信夫、尾上紫舟、風巻景次郎ら国文学者であり、〈歌人の中にだけおさまりきらぬ人間〉(『現代短歌美と思想』)であった。いま重要なのは歌人である塚本が、短歌を滅ぼさねばならないと歌った点であろう。短歌がおよぼす人間の画一化、短歌化はむろん今にはじまったことではないが、短歌という詩型制度の奴隷であり飼育係であることに甘んじている歌人には、絶対に吐けない言葉ではないか。
 歌うことによって歌を滅ぼす。確かに塚本の誓いは矛盾しているかに見える。しかしこの矛盾を生きることにしか、短歌の殺戮は成されないはずだ。それは殺人の歌を歌うとか、短歌やめよう、というような次元では決してない。想像力を奪う、権力としての詩型がここでは意識されていると言わなければなるまい。そう考えたときに、もはやここには矛盾はなく、人を殺しにかかってきている短歌詩型そのものの姿が見えてくるはずだ。短歌が向こうからやってくるのを見て、「人殺し!」と叫んでも、警察は捕まえてはくれないのである。
 そもそも殺意とは、みずからを殺さんばかりに苛む事象のために起こる、ねばり強い意志の拮抗であろう。自殺とはその延長上に「これは悩むまでもないことだ」と告白することだ。悩むことに飽きて、すすんでみずから殺されることもあるだろう。そのとき人は、想像力を権力へ返上したことになる。
 そして晩年の菱川善夫が興したシンポジウム「歌は何を殺したか?」の問いに歌人は、この短歌詩型によって、みずからの、殺されているものが何か考えてみるべきだろう。
 にもかかわらず、短歌という詩型が、いままで何処か血を噴いたことがあったのか。
 「殺人の詩型としての短歌」という視点から歌人を見る目を、菱川善夫は遺していったのだ。


カリギュラは立ち上がり、片手に低い椅子をつかみ、息づかいも 荒く鏡に近づく。己れの姿を見つめ、前へ跳びかかるような格好をし、鏡に映った自分の分身が自分と寸分たがわず動くのを見て、わめき声をあげながら力いっぱい椅子を鏡に投げつける。
 カリギュラ 歴史に入るのだ、カリギュラ、歴史に。
鏡は砕け散り、それと同時に、入口という入口から、武装した叛徒たちがなだれ込む。カリギュラは狂気したように笑いながら、彼らと向き合う。かの老貴族は背面から、ケレアはまっこうから、カリギュラを切りつける。カリギュラの笑いはひきつるような断末魔の喘ぎに変る。一同、てんでに切りつける。最後の息をつぐとき、カリギュラは笑いながら喉を鳴らし、そして絶叫する。
 カリギュラ おれはまだ生きている!
――幕――

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