充ち足りる感覚と切なさと ちょっと 未来のこと ~ゆうとふら
誰かのことを書こうとするとき、いつも思う。
まだ、「ゆう」が誕生してから〇ヶ月しか経ってない。
どうしてか?
何年も もっと、世界には あのひとと むちゅめしかいない
一般的に見れば特殊な環境にいて
それが2022年6月「ゆう」になって、5ヶ月で(一瞬だけど)3,600人ものひととお知り合いになった。
何年も何年も、ひとりのお知り合いができることもなかったのに。
そしてアカウントが消えちゃって、たくさんのお知り合いもいなくなった。
まあ、これはアクシデントだけど。
そうでなくても、「インターネットの世界は流れが速い」とよく聞きます。
確かに、ほんとだ。
人間関係って、時間をかけて少しずつできあがっていくもの。
間違って、ないですよね。
それが不思議と、インターネット上ではそんな常識も飛び越えるような事態がしばしば起こるんです。
些細なきっかけから、ものすごく密にやりとりするようになる。
現実以上に、誰に話してもいないような心の深いところをさらっと打ち明けるとか。
そして現実以上に濃いつながりが生まれて、
また大きな波が引くように離れてしまうこともある。
ほんの何ヶ月か前には、あんなに近しく感じていたのに。
今はもうどこで何をしているかもわからない..って、とても切なく感じられるのです。
それでも時は止まらず流れていて、日々あらたな出会いも生まれる。
そして、またこれは「ご縁」と感じる瞬間も。
体調の悪化やツイッターのトラブルもあって最近はあまりアクティブな活動をすることができていなかった中でいま、
久しぶりに感じる心の波立ち。
「ゆう」の活動はツイッターから始まったけど、こうしてnoteのほかコミュニケーションツールとしてチャットワークやLINEといったものも使うようになって。
とあるLINEのオープンチャットで語られていた個人的な過去の経験に、通じるものがあって反応したことからかな。
ふっと拝読したら、自分にあった出来事が追体験のように思い出されたんです。
そしてこの感情をどうやって届けようかって、「うた」にした。
ツイッターとnoteを飛び交いながら、行ったり来たり。
そのままツイートで続けても良いんだけど、
せっかくnoteもあるんだからと思って
すると
さらに
これでもかって、心をくすぐってくれる。
なんだか、すべて言語化されていなくても伝わる。
それにツイッターとnoteの相性が良いことはずっと思っていて、
ツイッターでの交流が上手な方もnoteでの交流が上手な方もたくさんいらっしゃるんだけど
「どちらのこともそこそこ知っててミックスした交流」というものはなかなか実現してなかった。
それがここにきて「こういう感じでやってみたかった、やっと はじめてできてる」な感じ。
やっぱりひとりでどれだけ良さを訴えても、想いが共有されないとできないことだから
こんなことがあったってリアルタイムで表出することができると素直にうれしい。
いつの間にか臆病になって、充ち足りて切なくなった 過去の「未来」は常に心の片隅を支配するようになった。
ただ彼女がそうなるとすれば、羽化して空高く羽ばたいていくんだろうな。
私の残り時間が、それより少ないかもしれないし。
だとしても。