良い写真と正しい写真
永遠の問い
「良い写真とは?」写真好き界隈で問われつづける永遠の問の一つです。
構図、露出、ピント、すべてが整った「正しい写真」が「良い写真」とは限らないことは、簡単に想像できますよねぇ
そして、「正しい写真」とは何か?というのもコレといった正解は無いように思えます。
「正しい写真」というか、基準みたいなモノは存在するとは思います。露出の考え方でも適正露出とか、人物写真のピントなら目にピントを合わせる方が良いとか、顔や身体を中途半端に切るのは良くないとか、、、etc
写真は、撮影する人の「好き」の集まりだと、わたしは考えています。撮影者がどんなモノが好きで、何に興味を引かれ、それらをどう表現してどのように見せたいのか?そんなことが「伝わる写真」をわたし自身は意識をしています。
笑顔につながる写真
確か、↓の本で、ハービー・山口さんが「良い写真」について書いていたような気がします。「撮影した相手が笑顔になるような写真。写真を見たひとが笑顔になるような写真が「良い写真」ではないか?」というようなことだった気がします。
(と、公開時は書きかましたが、、、)
ちゃんと読み返してみたら、↑のように書いてありました。
わたしも、せっかく撮るなら、笑顔を撮りたいし、被写体をより魅力的に撮りたい。被写体やそこに関わる人々の笑顔につながる写真が撮れたらうれしいです。さらに、出来上がった写真を見て、笑顔になる人がいたら尚更うれしいですね。
善し悪しも正しさも
善し悪しも、正しさも、十人十色。立場や時代、状況、何を求められているかによって変化するモノだと思います。
だから、撮影者であるわたしは、まずはただ自分の好きと喜びを最大化して「自分の好きな」写真を具現化するために、撮影を続けます。そして、被写体への愛と好意と経緯を忘れないように撮影しながら、叶うならば、いろんな人の笑顔や喜びを願いながらシャッターを切ります。
結論
「良い写真」は人の数だけある。
いろいろ書いた割に普通の結論ですみません。