アルジャーノンに花束を

物語は主人公であるチャーリィが書いた経過報告で構成されている。知能が上がるにつれしっかりとした文章になっていくのだが、最初のうちは読みづらくてしょうがなかった。しかしラストに近づくにつれ再び読みづらい文章になったとき、違う印象を抱いた。1人の人間が成長し、得ていったものが失われていく様子。その描写が段々と読みづらい文章になっていくという方法で表現されていた。物語を読み終えたとき、どうしようもなく虚しくやるせない気持ちになっていた。

チャーリィはどうするべきだったのかと考える。最初から手術を受けずに何もわからないまま一生を過ごしたほうがよかったんじゃないか?結局、元通りに戻ってしまうなら最初から何もしない方がよかったのではないかと思ってしまう。ただ、手術をした場合も結局元に戻るのだから最終的には一緒なのかもしれない。ただ、手術をする前より知能が低下する事が示唆されていたので、やっぱり手術をした場合の方が悪いのかもしれない。とか色々考えてみるけれども、どうするべきかと考える時点でそもそも間違っているという気がする。どちらがいいか悪いかなんてものはこれを読んだ自分が勝手に決めつけようとしているだけで、物語の主人公であるチャーリィからしたらいいも悪いもない。ただ、この物語を読んだ自分がどっちの方が気分がよくなるストーリーになるかというだけで、どうするべきかと考えているだけなのだから。だから、この物語を読んで虚しくやるせない気持ちになったのは、自分がこの物語はこうだから悲しい、虚しい、やるせない、と勝手に決めつけているだけのものなのだと思った。

その決めつけこそが常識であり、自分が常識だと勝手に思い込んでいるものなのだ。


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