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【映画史】🎞1950年代の終わり。松竹映画の新年会で、松竹ヌーベルヴァーグの「大島渚」「吉田喜重」らが酔って、重鎮「小津安二郎」に絡みだした…。

大島「小津さんよお。あんたの映画はどれも同じだ。秋だ、春だ、と同じようなタイトルで、どれがどれか区別も出来ない!」

吉田「スタイルも古臭い。動かないカメラ。同じようなシナリオ。あんたからは、新しい映画は生まれない!」

これは新年会の写真ではありません。記念のクラス会らしいですね。


小津は、黙って、自分で猪口に日本酒をつぎ、飲み続ける。

大島「なにか言ったら、どうなんだい、小津さん!」

小津が目だけで、大島渚の太った顔を睨んだ。

怒っている。

宴会場の殺気が走った。

「愛と希望の街」の頃の大島渚。


晩年の小津安二郎。


大島と小津のとっくみあいになるのか!?

というとき、小津安二郎のお尻に抱きつき、むしゃぶりついたのが

木下恵介監督

である。

実験的な映画を次々とつくり、しかも、ヒットさせていた天才・木下恵介。


木下「ボクは小津さんが、大好きだ!」


木下恵介が同性愛者であることは、松竹内では有名であった。

松竹の木下恵介。
東宝の豊田四郎。
このふたりは、その世界では有名人であった。

木下「小津さん!」

小津「俺も木下が大好きだ!」


大柄な小津が、小柄な木下を抱きしめた。

この様子を観た、監督たちは、おもわず、大笑いした。

つられて、怒っていた大島渚も、吉田喜重も、笑ってしまった。

そう。

木下恵介監督は、場の空気を読めるムードメーカーだったのだ。

それゆえ、のちに、「木下プロダクション」をつくり、
テレビの世界でも成功したのであろう。

ただ、TBSから木下プロに出向していた飯島敏宏監督が
「ダイゴロウ対ゴリアス」を撮るために
1年間休みがほしいと願い出た時、

木下「…怪獣映画がそんなにいいものかねえ…」
と特撮映画にだけは、理解を示さなかったらしいが。


松竹映画のタイトル。

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