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お薦めの1冊✨『武器は走りながら拾え!』高橋克明著

いつも、このnoteにお立ち寄り頂き、ありがとうございます💛

「人生とは何か?」という私にとって非常に大きなテーマにハマってしまった時期に片っ端から読み漁った書物さん達📚(何百冊読んだか忘れました😢)の中で、私が好影響を受けたお薦めの1冊について、時々、紹介させて頂きます💛

今日は、その18冊目です。📚📚📖

(目次)
1.この本の魅力を纏めるとどういうことですか?
2.この本で学んだことを整理するとどういうことですか?
3.この本に書いてあることを実践してみて感じたことは?


1.この本の魅力を纏めるとどういうことですか?

2019年11月11日初版。

著者27歳の時、安定した仕事と家庭を捨て、鞄ひとつで渡米。英語も喋れない。。そんな著者がニューヨークに新聞社を創って、成功を収めた、嘘みたいな本当の話がこの本に自叙伝として残されていること。

著者の成功した秘訣を紐解くことができること。

2.この本で学んだことを整理するとどういうことですか?

はじめに・・・

この本を手に取ってくれたあなたに望むことは、何度も読み返してもらうことでも、重要な箇所に赤線を引いてもらうことでもない。読み終えたら、この本を投げ出して、まず最初の1歩を踏む出すこと。

本書を読み終えたら、そこから「行動」しよう。

leap on faith まずは、やっちゃおうぜ!

プロローグ

当時、著者はマスコミ系専門学校の講師をしていた。講師生活5年目を迎え、経済的に安定していた。

そんな時、5歳年上の兄が急逝くも膜下出血で倒れる。生徒会長だった兄と不良番長だった著者は、同じお腹から生まれてきたとは思えないと幼い頃から周囲に言われる程、真逆な性格で、ここ数年も口を聞いたことがなかった。集中治療室で、死を覚悟してベットから力のない手を伸ばしてきた兄の手を握る著者に、兄が語り掛ける。。

「じぶんはもう駄目みたいだから。」

「おまえは好きなように生きりゃあええけえ、昔からそうじゃったけえ・・・」

その瞬間に、後頭部をガーンと殴られたような気がしたという。

著者は、突然会社に辞表を提出。困惑する妻。

著者が12歳の時の七夕の日の授業で

短冊に書いた将来の夢「ニューヨークでジャーナリスト」

2000年11月11日、ユナイテッド航空ニューヨーク行きに搭乗。夢が叶うまでは、日本の地を踏まない、のたれ死んでもいい。とにかく人生を変えてやる。そんな覚悟だったそうだ。27歳にて初めての「遅すぎる飛行機初体験」当時の著者の英語のレベルは、アルファベットならギリギリ全部書ける。小文字になると怪しいレベル。

第1章 人の話は聞くな!

夢を実現する第1ステップは、まずは、「人の話を聞かない」こと、だ。「いいじゃん、やっちゃえよ!」って。たとえ10人からどんなにありがたく有効なアドバイスを聞いたとしても、もっとも耳を傾けるべきは11人目の自分の声。耳を傾けてしまうか、スルーできるかで人生は大きく変わる。圧倒的に自分の声を信じた結果があるだけ。

第2章 自分を大切にするな!

すべてがわからない価値の生活をスタート。

それは、もうそれしかない、「思い込む作戦」。

今となっては、夢を叶える点で、根拠もない圧倒的な自信がとても重要なポイントだと思うと著者はいう。更にその自信には、大した根拠や理屈は必要じゃないと言い切る。

目的地ニューヨークに到着。売店で自分なりに予習してきた英語で、コーラを注文するが、全く通じない。売店の黒人のおばさんが日本のサービス業では聞いたことないボリュームで、ひとこと「WHAT!!??」と怒鳴ってくる。威圧されて、ますます声が小さくなる著者。

渡米後すぐに、ある語学学校へ一旦入学。そこで英語のベースを作ってくれた世界各国の友達と出会う。F-1(学生ビザ)をとりあえず取得したのだ。寮仲間との刺激的で、バカ丸出しの日々はとても楽しく、著者の英語のベースが出来ていった。

そして、2001年9月11日。日本にいる妻から離婚届を提出したとの電話を貰った直後、「ドーン!」という地震のような衝撃音。世界を揺るがすアメリカ同時多発テロの瞬間だった。

翌日、日本から持ってきた「海外で働こう」的なタイトルのムック本の中で、当時海外で成功している人を紹介するページがあり、掲載されていた男性は今ではニューヨークで出版社を経営しているとのことで、履歴書を送り、面接にこぎつける。面談合格した著者は、その日から、世界各国の友達とはしゃぐ日々を卒業し日中は給与なしで、出版社の広告営業をゼロから学び、夜はイーストビレッジの日本食レストランでアルバイトをして生活費を稼ぐ生活を始めたのである。

日中の広告営業では、打ちのめされるなら、まだいい。相手にもされない。手も足もでない。話にならない、という状態。相手が言っていることが聞き取れない、でもなぜか、罵られ、嘲笑される英語だけは、しっかり聞き取れる。

そんな時、著者はある解決策を見つけだす。それは、、

考えずにもう、「動く」、こと。

失望も恥ずかしさも感じるのも、他人ではなく自分。いちいち恥ずかしがる時間も、心のケアをする時間も、もったいない、いちいち自分で自分の機嫌なんて取っていられない。

そうしているうちに、なかには辛抱強く著者のカタコト英語に付き合っていくれるクライアントも出てくる。某大手航空会社のCEOがなんと年間の大型契約をくれた。「不自由な言語を駆使して、なんとか相手から契約を引き出す」というお題のゲームを楽しめる感覚になった、そのきっかけに。

著者は、自分を大切にしなかったからこそ、ニューヨーカーに体当たりすることができたと述べている。

著者はいう。日本は今、社会全体を覆う、なんでもかんでも「ポジティブシンキング」や「自分を大切に」という空気が、逃げたことすら正当化してくれている感じがすると。負けたことすら美化してします。本人たちもそうとは気づかずに。世界中のあらゆる習慣、文化、価値観が持ち寄られ成り立っているニューヨークでは、日本のような微妙なニュアンスの言葉で構築される感動話だけでは逃げ切れない。行動で証明するしかない。誰が見てもわかる体現方法でしか通用しない。だから、ニューヨーカーは行動する。

何をやっても続かなかった大阪時代。ただの飽き性なんじゃないのか。憧れの地、ニューヨークを、逃げる口実にしているだけなんじゃないか。いつの日か自分をそう疑い出していた。だから、自分に証明するしかなかった。自分を疑ったから、そうじゃないと証明する為に、行動できた。自分を大切にしなかったからこそ、負けるかもしれない勝負にだって打って出ることができたんだと思うと。

自分に親切にする、ということは、自分を追い詰めて、粗末に扱って、必死に戦って、そこまでやれるか自分にわからせてやること。ニューヨークのジャズの聖地、バーランドに殿堂入りした伝説的ピアニストである秋吉敏子さんのインタビューコメントを通して、「自分を大切にする」という本当の意味の、答え合わせをしてもらった気がしたそうだ。

「いまこの歳になっても、私はここで、毎日5時間はピアノを弾いています。元々の才能なんて人間だいたいおんなじ、あとはどれだけ苦しんで、どれだけ自分を追い詰めることができるかだけ。そうしないと自分がどこまでできるかわからないじゃない?それって自分に親切じゃないわよね。」

著者は、ギリギリできない目標を設定し直すという。その目安は、震えがくるくらい緊張するかどうか。そうじゃないと、元来怠け者の著者はいいパフォーマンスができない。自分を信じていないからこそ、崖っぷちに追い込むのだと。

タイミングなんで読んでいたら、結局いつまで経っても動き出せない。考えすにもう動くこと。自分を大切にしなかったからこそ、僕はニューヨーカーたちに体当たりすることができた。

第3章 打席に立ち続けろ!

僕達一般人は、安打数という結果だけど出せばいい。「到達達成できないだろうな」くらいの目標を一度掲げてみる。挑戦は節度を守らない。節操なく打って出る、まずは、ど真ん中に向かってぶちまけよう。その戦略、練り過ぎて動けないでいる間に、無戦略なアホに先を越されるかもよ。

「スマートに、頭を使って、冷静に」と「がむしゃらで、汗をかいて、必死で」はかけ離れてなんかいない。両方同居するのは一番強い。著者は今の会社を創業してから2年間、今振り返っても記憶にないほど働いたそうだ。

それから、数年後、世界のトップにインタビューする死後に就いた著者。「トップを意識して、トップとぶつかって、トップになった」人ばかり。他者と比べても、過去の自分と比べても、狙うは首位。

第4章 渡ってきた端を壊せ!

「もう、死ぬか、成功するかだな」「宣言しちゃったからには、ヤルしかない。できなかったらカッコ悪い、アメリカ人は、「今日」という言葉に対して、刹那的な意識が日本より強い、日本は「足のつくプール」なんだと思い知らされる。溺れかけても、死ぬことはまず、ない。今日を生き抜いたら、明日は勝手にやってくるよ。

2002年の夏、母急死の連絡。もう日本の地は踏まない。決心をして飛び出してからわずか1年半後、日本へ帰路。母が急死したことで、年老いた父と障害を持つ兄が二人暮らしになる。著者の離婚は成立し、ビザをスポンサードしてくれた会社からは、実は倒産間近だと連絡が入る。

もう、死ぬか、成功するかだな。2002年9月1日、2度目のアメリカ行きの機上の人に、本当の意味での「渡米」はこの時だったかおしれないと著者は記している。

結果、渡米2年目から業界に入り込み、3年目から社長業をスタートし、今までやってこれている。

明日があるさ、という思いを捨てることに、

第5章 見切り発車で行こう!

人生を変えるためにやり遂げないと、生涯後悔することになる。他に道はない。ゼロに100をかけてもゼロだけど、1に100をかければ100になる。行動すると、周囲の状況は自分が思っている以上に変わる。行動さえすれば、現場で必要な知識とスキルがおのずと身についていく。

「出資してやるから、社長をやる気はあるか」ワイズパブリッシングの吉田社長が著者へ問いかける。「新しく新聞社を登記すれば、君を信じる仲間全員分のビザが確保できる。」「やるからには今の市場でトップを狙う。その為には、無料形態の日刊紙しかない。これ以上ない挑戦だと思うけれど。」

まっさらな状態から会社を立ち上げ、ニューヨーク日系社会百年の歴史で、初めて日刊の無料紙を発刊し、広告だけで採算を取り続けていく。。。。(それって限りなく不可能に近い挑戦だろ)と囁くもうひとりの自分を無視して、気づけば、「宜しくお願いします!」と頭を下げていたという。他に道はない。

よっぽどのバカになれば、できるんだ。それは僕の得意ワザでもあった。

会長になった吉田さんはいう。「税金や法律の知識も、売上がなければ、一切役にもたたないだろう」なので、著者はまず自分のできること、すなわち営業だけに専念するのである。

著者の口癖「武器は走りながら拾えばいい」が実践された。そして成功への道を上り始めるのであった。

そして、インタビュー連載をスタート。夢のトム・クルーズ単独インタビューも実現。それらのインタビューが掲載されたWEB版が多くの有名ニュースサイトに転載されそれを見た日本のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」から依頼を受けて、執筆連載、メルマガ大賞を獲得。すると日本各地から講演の依頼が来て、会場に来て下さった方々、どんどん著者を取巻く景色が変わっていく。

第6章 武器は走りながら拾え!

ここまでやってこれた最大の理由は、この仕事がスキだから。ステージの上だと、いつ死んでもいいと思っているので。JUST DO IT!(とにかく、やろうぜ!)実際にスタートしないと答えなんてでない。行動すると、生きた情報という武器を仕入れることができる。

2003年9月1日、「日刊 サン ニューヨーク」が創刊。2度目の渡航からちょうど、ピッタリ1年後だ。

第7章 空気は読むな!

ニューヨークでメディア業を展開するということは、世界を相手になんでも屋をするようなもの。できなければ、できるようにすればいい。空気を読み過ぎちゃうと、ほんとうに自分のしたいことが、いつか見えなくなってしまう。「ありのまま」でもいいけれど、「そのまんま」でいわけがない。本当に、それで、いいのか、おまえは。新しい人生を自分の手で掴むために。

創刊から1年後には、北米東海岸エリアの日本人では知らない人はいないほど媒体はブレイク。広告売上も発刊部数も、うなぎ上りに伸び、当初5人だったスタッフは2008年のピーク時には27人態勢まで成長。

第8章 自分のためだけに生きるな!

自分のためだけではなく、大切な誰かのためにと思えば、無限のパワーを手に入れられる。夢を叶えたと思ったら、そこは全然ゴールじゃなかった。自分以外の、真剣に考えられる人のために、半径を広げていく、自分の欲求を実現していないのに、いいなり世界平和を考えられる人間もおす多くない。

あとがき

「行動することがすべて」

まったくのゼロから、今に至るまで、いつもそばにいてくれて、めちゃくちゃな僕の半生に付き合ってくれた、妻、亜希子に本書を捧げます。

3.この本に書いてあることを実践してみて感じたことは?

「行動こそ、すべて」とあらゆる表現方法を駆使して継続的に訴えてくる著者。実は、僕も、まずは、最初の一歩を踏み出すことを最優先し、実践している。そして、行動し続け、諦めなければ失敗は訪れないという一つの答えを見つけだし、今日も24時間使い倒す為、自分の限界を超える目標を自分に設定して行動し続けている。

まだまだ、微力ですけれど🔥🔥🔥


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#高橋克明

#ニューヨーク

この本の勇気人生評価 ➡ 🔥🔥🔥🔥🔥(4つ)



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