「キミの憧れの人は誰だい?」そう問いかけてくる神様に 「5年後の自分です。」と僕は答えた✨😊
朝方近く 僕の枕元に
優しく穏やかに光る丸びた光が現れ
神様がなにやら僕に話しかけてくる
「キミの憧れの人は誰だい?」
そう問いかけてくる神様に
「5年後の自分です。」と僕は答えた。
それから、5年ぐらいが経ったある夜に
以前お会いした神様が再び現れると
また 僕に話しかけてきた
「キミは、憧れていた人になれたかい?」
僕は、その問いに、素直に答えた。
「いいえ、憧れていたレベルにはまだほど遠いです。」
すると、神様は僕に向かって
「では、キミの憧れの人は誰だい?」
そう5年前と同じ質問を僕にしてきたのである。
「はやり、僕の憧れの人は5年後の自分なんです。」
僕はそう答えた。
僕は毎日変わらずそう思って生きている。
もしかしたら、僕は僕が憧れる様なヒーローにはなれないのかもしれない。
でも、それでもいいんだ。
僕には、常に追い求める理想の姿があるだけで。。。。
幸せとは、結果に対する感情的な反応であるとも言われたりする。
思い通りにいけば嬉しくて、失敗すれば悲しい。
原因と結果という等価方程式では、幸せは感じ続け難い。
何故ならば、必ず、更なる幸せを人間は望みがちだからである。
幸せは常に特定の結果に依るものであり、結果に左右されてしまう。
あなたが幸せを追い求め続けているなら、失望は避けられず、不幸せだと感じることももしかしたら増えてくるかもしれない。
しかし、「喜び」は違うのではないか?
「喜び」は選択の結果ではないのではないか?
「喜び」は、継続的なもので、特定の結果に依存しない。
「喜び」は私達人間が、情熱を感じることができている時に、生じる。
結果に依存しないのである。
これは、日々の行動に特定の結果を期待するのを止めた時に起きる。
例えば、「この仕事は必ず大成功を納めなければいけない。」「上司に評価されたい。」「周りから尊敬を集めたい。」
これらの野望は間違ってはいないけれども、日々の行動自体に意味や価値や喜びを感じ始めた途端、それ以前よりも尊敬や成功を得ることが出来る様になった。
「喜び」は常に過程にあるし、常に組み立てられていく。
「喜び」は常に、日々の情熱や楽しみの有る行動から生まれるのである。
明日の自分が誇りに思えるような今日を生きるんだ。
オンラインの言動は、僕達よりも長生きすることも覚えておこう。
僕達が何者であったか、という履歴になるのだ。
そして、楽しめる時は楽しもう。周囲の人と笑顔を分かち合おう。
最後に、失敗は恐れない。
自分が何者であるかを学び、憧れの自分になる為に失敗を恐れないことである。
憧れの道を追求し、憧れの自分をつかみ取ること。
成功は、自分で定義することができる。
本当に、この世界はお金が王様で、お金が地球を回しているのだろうか?お金を持っていれば持っているほど、本当に成功しているのだろうか??
文化的価値も経済的価値に変換され、謙遜の心さえも受け身すぎると馬鹿にされるこの世の中である。
そのような中でも、自分自身の成功とは何なのかを問い続けなければいけない。
良い家庭を持つこと、素敵な伴侶と幸せな結婚をすること、周りの人を助けること、精神的に成熟することでも良い・・・・
常に、自問自答を続けて理想を目指すことが大切なのかもしれない。
答えは変わったって良い。
とにかく大切なのは、本当の自分を失ってしまってはいけないということである。
自分らしくあること、自分のなりたい人間を目指すこと、その為に、自分を磨き、能力や知識を育てていくんだ。