怖い穴
人間にはどっかにデカい穴があってそれを埋めようとしてるんだって書いてたのは中島らもだったかな。そういう穴があるから創作があったり芸術があったり人がくっついたり離れたりいろんなことがあるんだろう。
でもその穴を直視するのはけっこうつらい。吸い込まれそうだ。きっと埋めようとしても埋めようとしても埋まらなくて、ブラックホールみたいに無限に深いんだろう。こわい。
わたしの穴はなんだろう。あまり考えたくない。だけど毎日どこか落ち着かないのはきっとその穴のせいなんだろう。穴なんてないふりをして生きているよ。わたしだけなの?みんなそう?
穴を直視しないようにわたしは忙しくする。やってもやらなくてもいい仕事をどんどん入れる。家族の収入で生活していくことも今はできるけど先のことがわからないから怖い、働いていないと怖い。怖い時間から逃げたくて、収入が低い仕事をどんどん入れている。
なにがしたいんだろう。わたし。何を目指してるの。もうすぐ生まれてから
50年がたとうとしているのに、いまだに何になったらいいのかわからない。何者にもなれていない。不安でおびえている。
確固たる信念や価値観が欲しい。だけどそういうものに縛られたくない気持ちもあってよくわからない。寄る辺ない。すでにあるもので十分だと思えない。欲張りなのかな。
日本のどこかで大きな地震と津波があった。一瞬でガラガラと崩れるものがある。どんなものでもそうなんだろう。自分の小ささ、弱さ。存在の小ささ。時々自分以外が大きすぎて怖くなるよ。
どうしたらこの不安から逃れられるんだろう。本を読んでなんとなく糸口を見つけようとしているけど、なかなかうまくいかない。不安の原因は何だろう。なにもしていないことか。忙しくしていて、常になんらかの締め切りに追われている方が落ち着くような気がするのは錯覚か。追われているのだから、落ち着かない。何をしていても、絶対的な安心感を感じられない。
世の中、思い通りにいくことなんてめったにない。今、恵まれているじゃないか。家族もみんな生きていて健康だ。何におびえているの。
無になることにあこがれる。それが不安から逃れられる一番身近な手段だと思ってしまう。
家族がいることは支えだけど時々負担に思ってしまう。自分が迷惑になっているような気がすることがある。負担をかけているという罪悪感と、うまくコミュニケーションできていないのではないかという自信のなさ。家族って何なんだろうね。考えてしまうと、怖いよ。
要するに生きていく上でのいろんな凸凹が怖い。人とかかわることが怖いけど、一人になるのも怖い。
考えなければいいんだろう。考えすぎなんだ。わたしなんて何者でもない。何の力もない。考えすぎる人は行動から逃げているのだって、そういえば誰かが言っていたな。
動物は悩まないんだって。比較したりしなければ平気なんだそう。ありのままでいればいい、って思えるのが動物。思えないのがわたしだ。動物にはきっと穴なんてあいていないんだろう。
わたしのデカい穴って何だろう。欲しくても手に入らないなにか、埋められないなにか、失って二度と手に入らないなにか、またはそのどれでもないのか。正体がわからないから、埋め方もわからない。でも確かに、穴はあって、深くて、とても怖い。