前世療法をうけたおはなし③
わたしという物語
前世療法のセッションレポート
前世療法をうけたおはなし…と題して書き始めたのに、そこまでの経緯を書いているうちに、ひと月が経ってしまいました。
今日こそ書いてみようと思いますが、ひと月経ったことで、忘れてしまったこともたくさんあります。
でもヒプノセラピストの起美代さんが、セラピー後に送って下さったレポートがあるので、それを元に書き起こしたいと思います。
そのレポートは、セラピー直後に送られてきて、とても嬉しかったのですが、その後何度か読み返し、そのたびにセラピーの過程が進むのを感じていました。
その時に感じた感情の意味を定義しなおしたり、改めて初めて感じなおしたり・・ということが何度もありました。
セラピー自体は60分ということでしたが、その前後のカウンセリングも含めて、たくさんの時間をわたしのために使っていただいたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
わたしは、自分が対人援助職であることもあって、時間の枠組みということにとても敏感です。
カウンセリングのクライアントとしても、コーチングのクライアントとしても、時間と料金の枠組みを厳格に守らなければならないといけないと思っています。
そのうえで、起美代さんが実際のセラピー時間以外に、レポート作成やメールのやりとりで、私のために時間を費やしてくださったことを、とても有難く思いました。
もちろん、レポートも料金のうちだったのかもしれません。
ヒプノセラピー特有のお約束事なのかもしれないし、ほかのヒプノセラピストさんがどうされているのかは全くわかりません。
でも、今まで受けたセラピーでレポートをいただいたことはなかったので、わたしの中では、大きな有難いこととして残りました。
占いを私は有料で受けたことはないのですが、占い師の友人が鑑定結果をお渡ししているのを見ていて、ちょっとそれに似てるかも・・とも思いました。
セッションの内容は細部まで覚えていられませんが、レポートを見直すたびに、その時間と空間に戻っていく感じがしました。
物語の導入
起美代さんの具体的なイントロの言葉は忘れました。
でも親しみ深い雰囲気で、セラピールームに招きいれていただき、ベッドに横たわり、呼吸を整えて…という過程を踏んでいくごとに、起美代さんはだんだん存在を消していかれました。
セラピーの前には、しっかりとヒプノセラピーについてのお説明を受け、カウンセリングをしていただいて、その過程にあるときは、とても明るく優しく温かい雰囲気を醸しだしていた起美代さんですが、セラピーに入ると透明な存在、声にも表情がなくなり、とても中庸な存在になっていかれました。
それによって、わたしもゆっくりと自分の内面に降りていく感じになりました。そう真っ暗な闇の中を歩いている感じ。
もしかしたら、そういうイントロだったのかもしれません。
ゆったりとした催眠状態の中で、記憶のトンネルをくぐってどこかにいく・・ような起美代さんの言葉かけだったのかもしれません。
私の中には上の画像のようなトンネルが浮かんでいました。
画像はその時に浮かんだイメージに合わせて、今お借りしたものです。
トンネルの長さはそんなに長くなかった。向こうが見えていました。
そして、光の向こうは海でした。
どこに降り立ったかをセラピストに聴かれました。
北海道の海岸が頭に浮かびました。冬でした。
どんなところに着地したか問われました。
足の下は砂利と砂でした。
なにを履いているか?
ズック靴でした。
なにを着ているか?
楽だけどきちんとして見える感じの白いワンピース。
一人で海にいる、水平線が見える、朝10時くらい、海は穏やか・・と答えています。
そのとき、わたしは明確に北海道の小樽から余市に向かう海岸にいました。
たぶん、30代後半から10回ぐらい訪れている場所です。
最近では今年の6月に訪れていました。
余市の先に美国というちいさな町があって、私はいつもそこに泊まるのが好きでした。
どういう気持ですか?
悩んでいる、どうすればいいのかわからない。
お名前は?
リタです。
このとき、あぁ・・と思いました。
6月に余市を訪れたときに、ニッカのミュージアムに立ち寄りました。
ニッカウヰスキーの資料館の見学は、わたしは3回目だったのですが、以前からとても好きな場所でした。
でも今回は、NHKの朝ドラ「マッサン」を観て初めての訪問でした。
観たいドキュメンタリーがあって、NHKのオンデマンドを契約したので、そのついで・・みたいな感じで観た『マッサン』に私は今更ながらどハマりしていたのです。
『マッサン』のなかのエリーさんにわたしは尋常ではないほど感情移入していて、主題歌だった中島みゆきの『麦の唄』には、イントロが流れただけで涙が流れるほど、私はエリーさんが他人のように思えなかったのです。
『マッサン』は、日本の国産ウヰスキーの父と言われる竹鶴政孝と、その妻リタの物語です。
放映当時にわたしは見ていなかったのですが、この時期に観たことにご縁を感じ、ミュージアムに行くことを楽しみにしていました。
ああ、私の前世はリタさんだったのかと思いました。
だからあんなに激しく心揺さぶられ、余市川の風景が懐かしいほどに心に刻まれたのかと。
この人生での重要な場面
レポートに書いて下さった言葉に従うと…
<この人生での重要な場面>
北海道。アイルランドから日本に来たばかり。
小高い山の上から、これから事業を始めようとしている土地を見ている。
事業を始める夫(日本人)について日本にやってきた。明治時代。
途方に暮れる気持ち、希望に燃える気持ち、やってやるんだという気持ち、やれないかもと言う気持ち、ここから何か始まる気持ち、前もこんなことしてたなあと言う気持ち。
ということをお話している。(とレポートに書いてあった)
そう、わたしはリタさんだと意識した途端に、リタさんの人生に自分の前世を重ね合わそうとしていた。
催眠状態になっていて、意識が退行して無意識が優位になっていたのが、思考がすっと戻ってきて、意識が強い状態になってしまいました。
アイルランドじゃなくスコットランドだ・・と話している間に気づき、
セラピストへの説明に、余市とニッカの単語が出て来ず、時代年代の事実との整合性が気になって、現実に戻ってきてしまいました。
そうなるには明確な理由があります。
わたしは前世療法の知識を本から得ていて、古代エジプトに遡ったり、中世ヨーロッパの魔女だったりする前世を語るクライアントの話を知っていました。
本来なら知るはずのない事実を語ることで、その前世との整合性があることで納得できる部分がありました。
私の先入観で、前世療法は自分の知識の範疇でないものが出てくるものと思っていたのです。
その整合性がない・・と気づいた時点で、リタさんの物語は現世の私がテレビドラマで知った物語で、わたしの物語とは分離してしまったのでした。
まだセッションの前半半分もいってないくらいの感じだったので、そこで私は宙ぶらりんになってしまいました。
足許の砂地も砂利も、着ていた服も感触が消えてしまいました。
現実の自分がどうしよう、どうしよう・・と思っていました。
まだ、セッションは始まったばかりなのに、これで終わるのは残念・・という気持ち。
セラピストも注意深く、丁寧に、急かすことなく待ってくださっています。
まぶたが重く、まだ目は開けたくない。
資料館に行ったときに、リタさんの名前から、利他をイメージしていたことを思い出しました。
他を利する。利他。
忘己利他。
そのワードが頭に浮かんだ時に、ふと京都にいることに気づきました。
鴨川べりの町家にいます。
窓からは比叡山が見えます。
忘己利他は、天台宗の宗祖伝教大師最澄のことばです。
いつも見ていた風景でした。
比叡山延暦寺を見上げながら、利他ということを言い聞かせなければいけない自分だったことを思い出しました。
我が強く、つい我が我が・・と思ってしまう。
どうしたら、我を忘れて、他を利する人生を歩めるのだろう・・。
そう思っていた私を思いだしました。
セラピスト どこにいますか?
京都です。御所の近く。鴨川と比叡山が見えています。
セラピスト いつの時代ですか?
幕末です。幕末から明治にかけて…
幕末???
話しながら、わたしはもうひとつの物語の中にいることに気づきました・・
河合隼雄と物語とたましい
実は、この前世療法③の下書きは、河合隼雄倶楽部を始める前に書いていたものでした。
9月にヒプノセラピーをうけて、その感想をサラッと書くつもりが、なぜかごにょごにょと長くなってきて、連作にすることにして、先に河合先生についての記事を告知のため優先するつもりで、お蔵入りしていたものです。
でも、河合先生の書籍を読み直していると、物語についてのことばかり目に入ってきます。
私自身の物語と、河合隼雄倶楽部に投稿される皆さんの記事と、コメントがいろんな形で呼応しながら、過去の色々な自分を立ち上がらせてくる感じなのです。
あやのんさんの言葉が、風の歌のナウシカさんの言葉が、私の中の心の琴線にそっと触れる感じ。
そっと優しくではあるんだけれど、その一方で力強く激しく揺さぶられている感じ。
あの時ヒプノセラピーで呼びおこされたものと、今ここに立ち上がったものが繋がっている感じ。
鳥肌がたつくらい、どきどきしてきました。
幕末の京都は私にとって、昭和とおなじぐらい懐かしい時代でした。
前世療法④に続きます・・・。
あやのんさんは漫画ででも、風の歌のナウシカさんは藤井風さんの音楽ででも物語っていらっしゃるのだと思います。
だから、わたしはこんなに惹きつけられるのだと。