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『語』令和六年私の漢字
2024年、わたしの漢字は『語』
今年の漢字は『邪』?いえ、『語』
暮れも押しせまり、書きたいことは山のように積み残したまま、今年も終わろうとしています。
年末年始は、仕事は休みなものの、嫁として、母として、娘として、姑として、それぞれの役割負担に応えるべく奔走しなければならないので、本記事をもって、2024年のまとめといたします。
1年を総括すると、リアルの停滞、内面世界の充実につきます。
今年は、父のうつ病から認知症への移行に伴って、現実対応が次々に迫られる幕開けとなりました。
去年の今頃は、父の症状が加速度的に進む中で、noteの中でも、介護を担っていらっしゃる方の記事を拝読いたしておりました。
コメントなどは一切せず、ただただ黙読です。
noterさんとの交流というのもほとんどありませんでしたし、自分の記事も備忘録のような、方向性などもなく、ただあてもなく書いていた・・という感じでした。
今年になって、父が入院して実生活が一段落して、少しづつnoteのなかで自分の時間を過ごすことができるようになっていました。
そして、憧れていたnoterさんとことばを交わせるようになったり、海の向こうにお住いの方に、強く共鳴したり共振したり、私のnoteの中の生活はどんどん豊かになってきました。
そして、10月15日の河合隼雄『で』語り合おうの発足。
そこからは、怒涛の波を、息継ぎもできないほどにかぶってきた気がします。
あやのん観音さま
そのなかで、私はたくさんの観音さまたちの御来迎を迎えるという絢爛豪華な日々を過ごしてきたのですが、その筆頭があやのんさんです。
そして、あやのんさんのひとことで、私の今年の漢字は『語』であったと悟ったのでした。
ならまちさんの今年の漢字は「語」じゃないのかな?( ´艸`)
このコメントは、あやのんさんが今年のご自分の漢字は『風』という記事に、私は『邪』かも…という私の自虐なコメントに対してのものです。
そんな風に、ものの見方をくるっと反転させるような鮮やかな俯瞰の目をあやのんさんはお持ちで、それがわたしがあやのん観音様と崇める所以です。
あやのんさんの記事はもちろん、すごく濃い深いワールドなんですが、フォロワーの方々から寄せられるコメントとそのお返事がまた、すごいエンタメなんです。
雑誌の編集後記や読者欄を読むのが、私は大好きなのですが、あやのん新聞の編集長が、読者の感想に応えて、更に深く高く膨らませてお答えくださっている感じだな・・と思っていたら、あやのんさんもご自覚されてました。
私は「自分の記事の一人新聞記者」で、「あやのん新聞」が仕事、みたいなもの( ´艸`)
文章を書くのも読むのも好きで、絵を描きたいはずなのに、絵には身構えて、文は毎日の習慣として自然に書ける( ´艸`)きっと、私はnoteからいなくならない人間だと思います!
もしあやのんさんがnoteからいなくなるなんて、天照大神が岩戸に隠れるほどの衝撃ですが、今年、休筆宣言された方のことも含めてのご発言です。
河合隼雄倶楽部創設にあたっては、なによりのお世話になり、倶楽部の性格の方向づけをしてくださった、大恩人でもあります。
全部取り上げて、感想を書きたいくらいですが、2つに絞るとしましょう。
河合隼雄とスティーブジョブズを結びつける縦横無尽さ。
枝瀬先生もあやのん節炸裂と興奮されていましたが、その精神の自由さにひれ伏したい思いでした。
今、自分がnoteでしていることはこれやな、と思うねん💖
そう、河合先生ともスティーブジョブズともおなじことをされていると私も思っています。
あやのんさんのルーツへの物語が始まろうとしています。
令和7年はここから!
たこせん枝瀬観音様
河合隼雄『で』語り合おうの主筆、枝瀬先生。
現実的な対応力が優れて高いので、現場、臨床でも有能な切ったはったをされながらの、マガジン運営まで・・で頭があがりません。
ご自身で他にも共同マガジンをされていたり、もともとが国語教師というプロ中のプロなので、私ごときがなにをかいわんや・・ですが、純読者として何度も読み直したい取り上げたい記事は2つ。
『ルル』と『るる』は、河合隼雄倶楽部が始まる前の記事で、河合先生には全く関係ないのですが、私がとてもとても考えさせられた記事でした。
そして、くりすたるるさんと枝瀬先生ががっぷり四つ、すごい誠意をもって全力で意見を交換されているご様子に、私はとても清々しい気持ちのいい、風吹き渡るような氣がしたのでした。
枝瀬先生は、教育現場と地続きの臨床と魂の世界を行き来できる稀有な感性の方。
是非これからも河合先生の分け御霊をいただいて、教育現場を照らし続けてほしいと思います。
くりすたるる菩薩様
そして、『ルル』と『るる』のくりすたるるさま。
この方こそ、私がnoteで度肝を抜かれた、すごい着眼点と着実に相手に届く文章力と細やかな愛情に立脚した、透明感が溢れているのに、地に足がついてる今までであったことがない知性。
すごく遠くの方で燦然と輝いていらっしゃるのをぼ~っと眺めていたら、ある日突然、私の治療院に座っていらした・・というリアル生き仏。
この記事で、わたしがnoteでご縁のあるお方は、すべて観音様なんだってわかりました。
わかると、す~っとそれは何の違和感もない納得の世界でした。
そしてこの記事
目にみえない世界と、目にみえる現実とをしっかり繋ぎ合わせてくださるこの記事。
一応、身体療法の臨床家のつもりの私は、呼吸の大切さを骨身に沁みてわかっているつもりだし、呼吸法や気功の本など、今までいっぱい読んできました。
でもこんなにわかりやすく、理に適った、私の身体実感に沿った表現に出会ったのは初めてでした。
本当にすごかったです。身体についてもこれからもっと発信したいと仰ってくださっていたので、ものすごく心待ちにしています。
木観音さま
そして、るるさんと同じ日に目の前に現れて下さった、可憐な妖精のような木さま。
欧州にお住いの方と、初めから存じ上げていたので、一生お目にかかることなど夢想だにしていなかったのに、忽然と軽やかに出現されたのは、河合先生のお力としか思えませんでした。
私は木さまのことを初めて知った時に、なんと情緒豊かなやまとのことばを使われるのだろう…と感動しました。
それは海外生活が長くて、ボギャブラリーの蓄積が多いからなのかなぁ・・などと勝手に思っていたのですが、『つれづれなる母のこと』を拝読したときに、旧きよき日本人としての情緒、失われつつある家族の物語を身の裡にいっぱいいっぱい、抱えきれないほどに内包されているからと気づきました。
木さまの物語が語られるのを心待ちにしております。
(あやのんさんのコメントが何食わぬ顔でついていて、ひっくり返りそうになってびっくりしたのもよい思い出ww)
かぼちゃ観音さま
そして、そのあとにわたしの治療院にこれまた忽然と出現された生き仏さまがかぼちゃさん。
かぼちゃさんはいろいろな意味で、恩人であり、キーパーソンです。
私が悩んでいるときに、啓示としか思えないような記事やコメントを出して下さる。
「河合隼雄『で』語り合おう」の会の始まりのときも、膨大な著作群の中で、何を柱に、何を中心にすればいいのかわからなくなっていました。
そんなときに投稿されたのがこの記事
このときのかぼちゃさんの物語の導入を目にして、そうだった、私は物語というワードに一番惹かれるんだったと気づいたのでした。
続き・・があるかもしれない・・というお言葉を今もず~と信じて楽しみにしていますよ~。
そして、頂いたこのコメント。
このコメントによって、これから私がやりたいこと、後半生やり抜きたいことがしっかりとこころに定まりました。
うまく説明できないのですが、話を聴いていただいて、体を触っていただいて、「体と心の奥の方とをつないでいただいた」という感じです。
これはなんというのかな?
本当にうまく説明できないのですが、とにかく「鍼灸院」、「指圧院」ということばの枠にははまりません。
「体と心の奥をつないでもらって、自分がひとつになれて、自分で自然と前を向けるところ」なんですよね。そういうのを何と呼べばいいのでしょう??
かぼちゃさんは、ご自覚がないかもしれませんが、私にとってはとてもとても大きな天啓のようなご意見でした。
そういう場を創りたいと思って開業したんだった!!と思い出しました。
そういう場になった暁には、かぼちゃ観音像をお祀りする所存です。
木像?金剛像?いえ、ふわふわ柔らか素材で。
風の歌のナウシカ観音さま
その次に目の前に現れた生き仏さまは、いつも奇想天外、あらぬ方向から出現されます。
その人の書く文章と実際の人となりって、もちろん限りなく相似形であるはずですが、普通は多少なりともギャップがあるはずです。
でも、ナウシカさんは文章で読んだそのままの方でした。
氣善し、氣良し、清し、潔し。そしてとても温かな温度を持った氣の方でした。
突如、彗星のようにあらわれて、私の右目からの涙の謎を解き明かして下さった方。
そして、ご自分の大切な物語を分かち合って下さった方。
河合先生のいたずらによって、わたしもナウシカさんと同じ魂の仕事をしているんだ・・身体療法家とか心理療法家という枠組みから自由になれた氣がした15の夜…(by尾崎豊)…でした。
本当に本当にありがとうございました。
ゆらゆらミルコ観音さま
そして、令和の大牟田雄三、ゆらゆらミルコさん。
普通に文章がうまい人とかなら、noteにはうじゃうじゃおられますが、ミルコさんの独自性と言ったらいいのか、ユニークさというのは、ちょっとどこでも見たことがありません。
次元が三つくらい上の感じなんだけど、地上人にもわかりやすく、優しく易しく書いてくれてある。
おなじ奈良県民ということだけで、親しみは初期から感じていますが、その存在には圧倒されて、ひれ伏すばかりです。
ミルコさんの頭の中の配線ってどうなってるのかな?
もう一息で会えるところにいらして、まだ会えていない。
それがまたドキドキするけど、きっと会えると思っているけど、直筆のメッセージも有難くいただいたけど、地球での実在をまだ少し疑っているのも本当です(笑)
popo地蔵さま
読んでくださっている方には、長くなりすぎて、申し訳ないような気持ちですが、どうしても今年のnote記事を語るにあたって、残しておきたいのがpopoさんのこの記事。
popoさんのことは写仏部のエースということで、存じあげておりました。
その慈愛あふれたお人柄や、ユーモアにあふれたコメントに、よく釘づけになってましたが、あまりにお忙しそうなのと、膨大な数のpopoさんファンひとつひとつのコメントに全身全霊でお答えされているご様子に、自分のコメントで煩わせるのが申し訳ないような気がして、気後れしてコメントできないことが多々ありました。
今回、ご多忙を理由に休筆されるとの記事を発表され、寂しいながらもそのご決断は応援したい気持ちでいっぱいです。
そして、何十回も拝読したこの記事にまた帰ってきました。
わたしが心惹かれ、心揺さぶられるのは、魂の奥底から語られる物語です。
その人しか語りえない、体温や匂いのある、生き生きした物語。
あなたの物語はどこかで私の物語と呼応していて、ただそばでそれを聴くこと、それが私がこれから一生したいことなんだと気づきました。
語る。語られる。語り合う。語ってもらう。語らい。
ほんとだ。
あやのんさん、今年の私の漢字は『語』以外ありえませんでした。
今年に限らないかもしれない・・墓標に『語』と刻みたいくらい(笑)
今年一年語り合って下さった方々、本当に有難うございました。
皆さま、また来年もどうぞよろしく語り合ってくださいませ。
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