年下フリーランスに憧れて、八方美人はもうやめた
好かれなくていいから、嫌われたくない。平和に過ごしたいから、敵をつくりたくない。
だからずっと、八方美人でいた。
社会人としてうまくやっていくために、「感じのいい人」と思われることはなによりも大事だと思っていて。なので会社では「愛想よく」をいつも心がけていた。
だけどいま、過剰だったかもしれないと考えることもある。
自分の感情を消して、自分の意見をなかったことにして、ニコニコと受け入れていたこと。上司の機嫌を損なわないように、その場を丸く収めることばかり優先したこと。
最近、とある仕事で一緒になったFさんは、Z世代のフリーランスだ。年下とは思えないくらい落ち着いていて、聡明で論理的。
そして、Fさんは笑わない。複数人でオンラインのミーティングをするとき、全員がそろうまでに雑談をすることがある。クールなFさんは雑談なんてしないよね⋯と思いきや真顔で世間話をしてくれるのだ。
いざ本題のミーティングがはじまると、Fさんは物怖じせず意見を出していく。笑顔で肯定しておくとか、どっちつかずでごまかすとか、そういうことはしない。Fさんの立ち振る舞いは軸がブレないし、寄り道しない。
この仕事において大事なことはなにか、仕事を完遂するために必要なものはなにか、Fさんはよく見えているし言葉にもする。だからこそ、わたしも含めて周りから信頼されるわけで。
ちなみに、「笑顔で肯定しておくとか、どっちつかずでごまかすとか⋯」はわたしがやりがちな立ち振る舞いだ。たしかに敵はつくらないかもだけど、なにも解決しない。
いまのFさんと同じ世代だったころ、愛想だけでその場をやり過ごしてきた自分のことを思い出して、少し恥ずかしくなった。
当時のわたしにとっては、八方美人であることが処世術だったし、そのおかげで乗りきれたことだっていくつもある。
フリーランスになったいまも、経験が少ないのに仕事を獲得できたのは、面談で素の暗さを隠して「感じのよさそうな人」を演出できたからなのでは?と思う瞬間もある。
いまに活きていることだって確実にあるから、過去の自分の立ち振る舞いをすべて否定したいわけではない。
だけどFさんに出会って、「こんなビジネスマンでありたかった」と憧れをもったのも本音だ。年下だろうが関係なく、かっこいいと思った。一緒に働くあいだ、いいところをたくさん吸収したい。
わたしにとって、八方美人でいることは「今日が無事に終わりますように」という祈りだったように思う。でももう、手放してもいいかと思えた。
笑顔をはりつけて祈るだけではなく、言葉にして伝える努力をしてみたい。
またね。