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noteの下書きが、半年後に教えてくれたこと


つい最近書いたこの記事。


じつは去年の8月に書いた下書きを仕上げたものだ。

これはタイトルだけが浮かんできて、語呂がよくて気に入ったので、忘れないよう下書きに残しておいた。このような下書きが、現在140以上ある。


今回はたまたまこのタイトルが目について、編集ボタンを押してみた。

とはいえ「半年前に浮かんだテーマだし今さら書けるかなあ⋯」なんて一瞬思ったんだけど、すっっごく書けた。ノンストップで書けた。まさに筆がノッているというか、とにかく楽しかった。


記事の内容は、「話すこと」が苦手だったわたしが「書くこと」に出会って、苦手を克服しなくたって、好きを大事にして生きていければ最高じゃん!というような話。

この記事を書きながら思い出したのだ。わたしは、苦手や困難や敵に真正面からぶつかって勝利していくタイプではない。全速力で逃げて距離をとり、その場をやり過ごし、静かな村に隠れて生き延びたいタイプなのだと。

なんならその村の小さな家で、おいしいお菓子を食べながらお茶をして、のんびりと近況を日記に書いたりしたい。「苦手」に直面する機会を極力減らして、好きなことだけ考えていたいのだ。


最近はそういった自分の特性とか大事にしていたことを、少し忘れていた気がする。仕事が立て込んでからは目の前のことしか見えなくなって、「努力が足りないのだ」と自分を責めてしまっていた。

仕事が増えると、関わる人が増えるし、苦手に遭遇する確率も高まるので疲れてしまう。もちろん仕事なので「苦手だからできません」を繰り出すことはできないけれど。

だけどフリーランスになった今、苦手な人と距離をとるとか、苦手な仕事はそもそも受託しないとか、そういった選択をしやすくなったはずなのだ。少なくとも前職のブラック企業で働いていた頃よりは。


会社員時代の「苦手なことをうまくやりきれなかった自分」に対する後ろめたさみたいなものは、いまだに残っているのかもしれない。

でも少なくとも半年前のわたしは「苦手なんて克服しなくていいじゃん!スキを集めに行きな!」と言いきっている。はっきりと。

その根拠のない自信はどこから来たのか、我ながらまったくわからない。特にわたしは、たった数ヶ月でも思考やテンションが別人のように変わってしまう。一貫性がなくて意味不明かもしれない。


でも過去の自分が書いた言葉に、「いいこと言うじゃん」と納得させられることがある。「わたしってそうだったよね」と共感してしまうことがある。

これだから「書く」って楽しいんだよね。こういう瞬間がたまらなく楽しい。過去の自分と今の自分はやっぱり同一人物で、唯一無二の理解者だなあと実感する。

だから今日もこうして書くのだ。


またね。


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ゆうあん
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