youaking
暇つぶしに書いた自作小説。
芋煮会開催決まりました。
好きになりそうな本はまず間合いが違う気はする。今日関連のnote読んでてふと。
社会的なつながりを捨てて生きる意味を必要としない社会。そう言ったものが出て来て数十年は経っているけれどまだ変化は出てこんな。 歴史でなにかが見つかると思った時期もあるけれど、今現在確信に近いものは思考的逃避に近い自殺のような生き方をする事。 その結果出て来たのは自由主義のなり損ない。 これはあくまでも所謂自由主義を指してるわけじゃないよ。シンプルに自由意志による行動の方が道理に叶うことが多いという話。 でもまぁそんなの見つけたって証拠もないし例証すら見つかってねぁけど。
司馬遼太郎さんがみていた世界は多分お前とは違う。
いまのところ発達障害の診断が下りて7.8年になるけどちゃんと専門で対応してたり研究してる人を見たことないのは何かね。
偶然といえば聞こえはいいけどさっき読み終わっててこの記事だからさ面白いなぁと。 映像化された奴むかしのだけどの宣伝用素材見たんだごあれは作為的な編集なのかね。 よんでてただただ商売人怖ぇよとしか思わなかったんだが、作品の質として意図的に虚実混ぜてるだろうし影響がないのは少しおかしいわな。 しっかしドラマ化までしたのになんで学習しなかったのかねとしか。 これから起きるであろうイベントをこの作品から読み解いてたらめっちゃおもろいけど当時最高レベルの取材力を持った作家が描いた
生存的逃避行動を文学的逃避に昇華する事なく現象として捉え続けてきた事をこの30年の意味として見出すとしたら少しは報われる人は居るのだろうか。 おそらく居ないだろう。
このプロットを使う親和性について今更ながらも拭えていなかった違和感が最近なんとなく理解できそうになってきていたので考えをまとめる。 そもそものきっかけは石田衣良氏による作品内での転生物。 実はこの人は作風として異世界転生に近いと言うか擬似的に操作しているところはあるよなぁと思いながら読んでること多しなんだけど、今回はブルータワーを読み出してて初出が20年前の本なのに当時気にしつつ流して読まなかった理由を理解するために確認してた。 プロットとして代表作をあげてもしょうがない
ネットの上に張り巡らされたAIが住む世界。とっくに中の人なんて居ないが現実へと繋がっていくんや。👍
偏差値50からの読書メーター。
その理由として現実で突きつけられたものを当事者が語る。 まず調べると動画サイトなんかには詐欺師が群がっている景色はいつかの引きこもりの件に似ている。 今でも平気でサリーアンだのを持ち出して来る人がいるがあれは幼少期なら判断材料になると言うのが証明されている程度のものだし特徴的な話し方なんてやつもグレーゾーンが存在する時点で見ただけでわかると言っている人達と大差ない。 めんどくさいのがウェクスラーテストなんかも専門医に聞けば判断材料として可能性があると言うようになったのに
まずはこの画像で理解できる人はプロです。 ジュンク堂の店頭に設営されてる一等地に並んでる本達なんだがこっそりと地元大好きなのがバレる人、それが福岡県人。必ずと言っていいほどこの手のキャンペーンが大好きなんよ。まあ別にええが売れるんかこれは地元民に? 矛盾してるネタと強制されたフラグ。 そもそも本はややこしいものなのか。久しぶりに此処に来たがこんなにメモ書きって多い系列だったっけ此処。覚えてるのはとにかく岩波が強くてハヤカワ系列も充実してたんだがな。 延べ床面積が小さくなっ
今度の読み方としては必ず太宰治の話をすると出て来るベタさとは何かについてどめどなくだが。 みんな言ってるけどまず前提として女性人称でやると今でもこの人を超えれる男っているのかなとは思うが、対極にある筋肉くんについて考えてたら変な考えにもなるしなぁ。 とにかく流行作家って肩書きでの強さにしろ今でも使える文章にしろ、何であの時代の人達はこの人に熱を上げたんだろうかなとか。 基本的に耽美的な話にはなるんだろうけどさ、この世界観を作り出してる時って無敵ではあるが別に量産するわけ
フジもスラダンも結局観に行かなかったけどそうやって才能潰してくんだろな。
太宰治の代表作である「斜陽」は、人間の葛藤や孤独を描いた作品として知られています。本記事では、「斜陽」について解説します。まずは作品の主要なキャラクターである宮本顕治や於菊といった人物像に焦点を当て、彼らの内面の葛藤や苦悩について掘り下げていきます。さらに、太宰治が作品を通じて伝えたかったメッセージや、文学的な特徴についても紹介します。また、「斜陽」がどのような時代背景で書かれたかにも触れながら、作品が描く人間の哀しさや弱さについて考察します。文学ファンや太宰治の作品に興味が