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弱者男性による異世界転生についての考察

このプロットを使う親和性について今更ながらも拭えていなかった違和感が最近なんとなく理解できそうになってきていたので考えをまとめる。

そもそものきっかけは石田衣良氏による作品内での転生物。
実はこの人は作風として異世界転生に近いと言うか擬似的に操作しているところはあるよなぁと思いながら読んでること多しなんだけど、今回はブルータワーを読み出してて初出が20年前の本なのに当時気にしつつ流して読まなかった理由を理解するために確認してた。

プロットとして代表作をあげてもしょうがないから文句のある人が居るなら詳しくは娼年を読んでください、読書が好きならな。

本題。
弱者男性が異世界転生に憧れ出して定着までしちゃってアンチまで生まれるジャンル化したいま語ってもしょうがなかろうって思いはするんだけどさ、自分の弱さを強者側に置きたいという心理としてはごく真っ当なものを石田さんは逆の位置で語る時がある。
今作もさらっと触れては居るんだけどどう見ても弱者ではない。どちらかと言えば人生を真っ当に充実できていた人間が陥るかんさくとしてのプロットなんだわ。

なんかなぁというか引っかかるのがそう言う条件下に置かれた場合にお決まりの設定化があるから興味が持てないと言うかやはり少し予測できてしまうところがある。
根本的に現実逃避的ではあるんだけどその立ち位置にいる場合強者へと向かうことがない。大体が本気で逃避行動へと走る。
それって中期以後の村上春樹さんでも起こることあるなと思いながら読んでるんだが、なしてその世界から移動すると戦うのではなく安定を求めるのかと言う心理は気になるんよ。

結末までの楽しみとして近未来に転移した主人公はあくまでも受動的で逃亡劇と見えなくもないが、対比作としてでもなくなんとなくスティーブンキングのダークタワーを上げろと言われたので一応、あの作品ではガンスリンガーは常に追い続け狩ろうとする側にいるが、こっちのタワーは転生先でも自らの持つ階層を捨てることができないまま逃げる逃げる。
結末はまあ読んでみぃと言うしかねぇけども、作品としてライトノベルもしくはSFとして創造しきれない感もあり文学的退行を選んだ結果バトルロワイヤル的な行動にもならず、まあ時代に見て淘汰されたことになるわけだが作品としては10年前にこれじゃあプロットととして世界の崩壊と再生までの話を選んだのは仕方はなくてもそれじゃあ現代になると、、、、、、こうなっちゃうわけよと納得してしまう。
後付けであるのは理解してるさ。
それでもそんなこんなで考えているところに最近の選挙と政治の話を読んでるとただネタにはなるんよ。

とまあ駄文は置いといて、原点に帰り弱者男性が異世界転生で俺ツエーしたいのは単なる願望や欲望なのかと考えなきゃならんのだか個人的にはそれは違うのじゃないかと昔から思ってるんだよな。

根本的に往年のファンタジーやジュブナイル物の記憶が基礎にあるからなのかもしれんが、別世界に飛び込むと言う事は基本的なこととして十二国記なんよ。
本当に逃避行動と願望充足を求めるならばネトゲ系プロットが本来的と言うかあの辺りのライトノベルがもっと勢力拡大してなければおかしかったけど今あるのって精々オーバーロー的な奴でしょ。なしてかなろう感強いけどさ。SAOですら戦っとる、擦られてるけど。

それが悪いのかと書かれると本気で反論する気は失せるんやがそれでも現実としてクソみたいなものを食ってた奴とまともに食足りてるやつの違いなのか本能として人間の行動原理は失うことを恐れて手に入れるためのリスクを見誤るような気がしてて、個人的にはこのジャンルはもう少しなんとならんかなとは思う。

個人的な好みで語れるならポリコレまみれになる前の米エンタメ(ゲーム)に微かに近いのはあるけど近代化巨大化するほどにうんち化してしまうのは古今東西。
バイアスで片付けるには楽すぎるかな。
マチズムは嫌いだけどRDRが好きな奴は多いやろ?

皮肉やで。

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