グッバイ!おばぁ!
母方のおばぁが亡くなった。
急な話ではあったけど、91だったし、ここ数年はボケて施設には入ってたし「順番」ってやつかなと。
僕にとって母方はセンスの家系。
カラオケと犬をこよなく愛し、華道や茶道などもたしなんだおばぁ。
小さい頃はその価値をわからなかったが、おじぃ(30年以上前に他界)は三菱パジェロで山の公園につれていってくれたし、おばぁはSUBARUレガシーでスーパーの買い出しに行っていた。まったくファンキーな老夫婦だった。
そんなセンスの血を分け与えてくれた祖父母に改めて敬礼。
僕はその姓(つまり母の旧姓)『松尾』さえも欲しかった。なんならいまの本名の苗字より、その渋さに惚れている。
「私は伊賀上野の出身だから、あなたも私も松尾芭蕉の子孫かもよ?もしくは忍者かくノ一か。」
その都市伝説っぽいストーリーさえ、僕に芸と旅の夢を掻き立たせる。
地元に帰った僕は、誰もいない葬儀場で湯灌から立ち会わせてもらった。それは美容院に付き添うように。
死に化粧ができて、あーよかったね、と思って係の方がいなくなったら、控室でついついウトウトしてしまった。僕にとっては最後のおばぁと二人きりの貴重な30分間だった。
そこから通夜、告別式、火葬場…
骨になったおばぁを坊さんは「こんな綺麗な骨は初めてじゃ」と褒めてくださった。
寂しいけど泣かない。少ない親族でメソメソしてたって。涙ってもんは伝播する。
いつでも明るく声の大きい祖母だった。哀愁の演歌は似合っても、すすり泣きは似合わない。
むしろ骨だけとなったオバァを見て、年寄りらしくあちこちがイタイと言っていたあの重たい(と言っても軽いが)肉体から開放され、骨と魂だけになれてよかったね、お疲れ様、と。
それよりも僕にとってこの火葬場は、19歳の時に亡くした大親友のフラッシュバックがして、そっちの方が辛い。彼の骨はまだ太かったし、彼の肌はまだ潤っていた。
僕は肉体のあるうちにおばぁに躊躇なく触れた。口に含ませたお茶が垂れていたし、髪が少し乱れていた。それを拭き、直してあげた。
美しい顔と精神をありがとう。
またいつか、僕の師匠として会えますように。
今はどうか、安らかにお休み下さい。
グッナイ