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【オトナになることのうた】米津玄師 その1●進め、病弱なセブンティーン!「ゴーゴー幽霊船」
先週はジンジャー・ルートを観て来ました。前回の来日ツアーから2年ぶり。パワーアップしていた!
ライヴは、マネージャー女史役の方が出てきての寸劇などがなくなっていたのが残念。まあツアーで廻るとなると難しいか。今回は映像のほうにいっそう力が入ってた感があり、その分これからは音楽のほうをもっと強化してほしい……と切に願うのでした。
そのジンジャー・ルートの映像はフィルムエストというか、にしい監督を意識してるところもある?と思ったら、後者をフォローしていますね。にしいさん、すごい才能だと思います。
先日はデヴィッド・リンチ監督が亡くなりました。僕個人はハマったと言えるほど知ってるわけではないですが、彼の作品が導く影の濃い世界は不気味な引力がありました。近年は歌も唄っていましたね。どうか安らかに。
それから僕がたくさん執筆している『ぴあPMC SPECIAL EDITION 6 THE YELLOW MONKEY』が発売されました。このお仕事は、もう~! エネルギーを使いました。ぜひぜひお手に取って、お楽しみください。
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いっぱい取材して、
いっぱい書きました
さて、今回からは米津玄師について。
たまたまですが最近、彼のことをちょっとだけ触れていましたね。
ボカロ時代から唄っていた、人が大人になって変わっていくこと
米津玄師は、今では多くの人々に存在を知られているメジャーなアーティストである。昨年はNHK朝ドラの『虎に翼』の主題歌「さよーならまたいつか!」のヒットや、年末の『紅白』への出演で大いに注目を浴びた。現在はツアー中で、アリーナから各地のドームでの公演が続いている。
おじいちゃんおばあちゃん世代にも、彼のことは知られていると思う。
この米津は当初から、少しずつではあるが、大人になることへの意識を唄ってきた人だと、僕は考えている。
米津玄師のアーティストとしてのデビューは2012年で、今から13年前である。ただ、よく知られているように、彼はそれ以前からボーカロイドのクリエイターとして活動しており、ハチの名義で作品をリリースしていた。
僕はボカロの世界は明るくない人間だが、当時この周辺を探ろうとするきっかけになったのが彼の登場だった。米津玄師というアーティストには、それほど鮮烈な衝撃を受けたのである。
すべてが自身による演奏で、制作は彼のプライベートな空間で行われている。このデビュー作は『diorama』というタイトルだった。
こんなとんでもない才能が活動をしてきたボーカロイドって、いったいどういう世界なんだろう? それから自分はボカロの界隈をちょっとだけ探索していった。もっともそれはさほど長続きはしなかったのだが、ただ、そこに優れたアーティストやクリエイターを生み出す豊かな土壌があることは理解できた。
実際に米津のデビューの前後から、ボカロの世界で作品を作っていた才能たちが音楽シーンに現れ続けることになった。
こうしたことがあったおかげで僕は2010年代の前半にはボカロ界隈の人たち数人に取材をしたり、初音ミクのイベントに行ったりした。
当時、ボカロPとして有名だったトーマにインタビューしたこともある。しかしその記事を掲載したサイト(M-ON MUSIC)が数年前までは生きていたが、現在は閉鎖されてしまったのでネット上に残っていない。残念である。
話を米津玄師に戻す。
徳島出身の米津は、高校時代から曲作りを始め、卒業後は大阪の専門学校に進学。彼はバンドでの活動を始めていた。しかしこののちには活動の軸足をボカロPに移し、そこでハチの名前で知られていくようになる。
この時期の彼はいくつかのインタビュー取材に応じており、たとえば10代の頃にBUMP OF CHICKENにハマったとか、音楽をやる前は漫画家を目指していたことなどを話している。また、のちの取材では、オーディションである「閃光ライオット」の2008年、第1回目の時にデモを送っていたこと、2次選考で落ちたことなどを明かしている。
さて、ハチPの作品群では、当然のことながら米津自身は唄っていない。歌はボーカロイドで、主流のソフトである初音ミクを中心に制作されている。一部の曲では巡音ルカも使っていたようだ。
ニコニコ動画などではそうした作品のミュージックビデオが発表されていった。
CDアルバムという形では、2枚の作品が残されている。
最初のアルバムは、2010年2月リリースの『花束と水葬』。
そして着目したいのは、2010年11月リリースの2ndアルバム『OFFICIAL ORANGE』である。
ここに「リンネ」という曲があるのだ。
「環状線」の曲です。別れのドロドロしたものをかきました。
環状線とは、通学する専門学校があった大阪のJR環状線のことだろう。歌詞には駅や電車の表現があり、タイトルの輪廻とつながっている。しかし<ここに終点がない>との表現は、愛を求めながらも、ただただ続く終わりなき苦しみを表しているように感じる。
その中でカラスが言う「君は大人になった」という言葉。
そして唄われる<あの日私は大人になった>。
これは彼女のほうが大人になり、成長したことで、変わってしまったことで訪れた別れを描いている歌なのだろう。そこで交錯する感情が、サウンド、歌詞、メロディともども、鮮やかに表現されている。
この曲がニコ動にアップされたのが2010年7月。米津は1991年3月の生まれなので、19歳の時である。
『diorama』にある<大人になるまで>という意識
その後、1年半の期間をかけて作ったというアルバムが、米津玄師を名乗っての第一作『diorama』だった。このリリースが2012年の5月。たしかにハチ名義の『OFFICIAL ORANGE』から1年半後である。
事前に音源を聴いて驚いた僕は、このアルバムを渋谷のアニメイトで予約して買うことにした。購入特典に米津のセルフライナーノーツが付属することを知り、それを手に入れたかったのだ。
ジャケットのクジラをはじめ、アートワークのイラストはすべて米津自身がシャープペンシルで描いているということだった。その詳細な描き込みと濃密な世界観に圧倒された。
それはこの時期のMVでも同じくで、とくに「ゴーゴー幽霊船」の狂気的な描写には驚嘆するばかりだった。
「ゴーゴー幽霊船」のことは、僕は今でもサエキけんぞうさんの大学での講義に招かれた際に、話に出している。
写真、僕の頭上に書かれてるのは「利権」という文字です。利権! しかし「紅」でヘドバンしたせいか、髪がボサボサ。 えーと、左から…僕が持っているのは、THE...
Posted by 青木 優 on Friday, November 8, 2024
この「ゴーゴー幽霊船」という曲には、若気の至りというか、若者の熱病のような思いや苛烈さが注ぎ込まれているかのようだ。
唄い出しは<ちょっと病弱なセブンティーン>。そう、いきなり年齢ソングである。#年齢のうた だ。
米津玄師と申します。
変なポーズとらせたくて作りました。よろしくお願いします。
ここで唄われたセブンティーンやアンドロイドのイメージに、僕は米津玄師というアーティストがいかに晴れることのない心を抱きながら生きてきたのかということを思った。よほど鬱屈して、よほど自分の理想ではない人生を歩んでいたのではないか、と。
2012年当時にどこかのレビューで似たような文章を見た記憶があるが、米津のセンセーショナルな登場とその作品の異様な高揚感は、90年代の中村一義のデビューを想起させるものがあった。
さらに言えば、幽霊に象徴させた表現は、2010年の神聖かまってちゃんの「ゆーれいみマン」を思い起こす。これは教室の中で存在感のない自分についての歌だ。
初期の米津の音楽は、サウンドの線は細いものの、すべてに過剰なまでのエモーションが充満していて、それがこちらに一斉に襲いかかってくるかのようだった。生身の人間だけでは演奏できないような複雑にして微細な音色、演奏と、その詰め込みよう、しかも歌詞には難解な漢字表記や比喩が多い。
狂気的なものさえ感じた。そして、圧倒された。
それからこのアルバム『diorama』ではもう1曲、「トイパトリオット」という曲が引っかかる。<君が大人になるそれまでに>という歌詞があるからだ。
どことなくおもちゃの兵隊のような、童心が匂いような歌でありつつ、友情を大切にするあまり、その反面の怖さのほうも感じる歌だ。
今の自分たち(の関係?世界?)が年老いても続いていけばいいという、閉鎖的な絆への思い。そしてこの曲から察するに、彼は大人になるまでに時間はそれほど多くはないことを意識しているように思う。
これが13年前で、米津は21歳。今にしてみれば、若くて青くて、ひたむきで熱く、未熟さゆえの強さ、がむしゃらさがうごめいている。
このアルバムのリリース前、米津は自身の日記にこんな言葉を綴っている。
今日で21歳になった。年を取ることは恐ろしい。
現代を生きる若者として何かできることがあるだろうか。
大人になるということはあまり素敵なことではない。
若者としての自分の能力を思いながら、大人になることへの不安を吐露している。それにしても、「年を取ることは恐ろしい。」とは。
しかし思えば、当時の彼は、ボカロの世界では認められていても、アーティストとしてはまだ何も成しえていない段階。そんな中で時間が経ち、年齢を重ねていくことに不安を感じていた気持ちも、わかる気がする。
青臭くて危うい頃の、米津玄師である。
<米津玄師 その2 に続く>
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しお130円、まぐろ節、こんぶが各150円、
別売の海苔が1枚20円。
小ぶりだけど品のある味で、
僕は好きですね~
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