【オトナになることのうた】THE YELLOW MONKEY その3●「プライマル。」に感じた大人になることへの戸惑い
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いしますね。
年末はイエモンを観て来ました。本当にいいライヴでした。
詳しくは後日、記事として世に出るので、そちらで書きます。
その他、年末には行きたいライヴがもうちょっとあったんですが、諸事情により断念しております(泣)。
紅白も視聴しました。例年よりもちゃんと。
何しろあれこれ感じたところがあり、面白い場面も多かったのですが、そのうちのひとつだけ。
米津玄師の出演シーンは、おそらく夏の後半から初秋……8月から9月上旬までの収録ではと思いました。
この時になされた演出の内容を受けながら、今回の紅白はダンス(踊ること)をテーマのひとつにしたのではないか?と感じた次第です。
(追記:この件の認識間違いについて、次回で触れております…泣)
それにしても……紅白って、本番までは毎年、番組そのものに対する否定的な意見のほうが目につくんですね。で、OAが終わってからは全般として肯定的な意見が多くなる傾向がある気がしていて、今回はそれがとくに強かったと感じます。まあ、それはさんざんNG出してた人たちも結局は本番を観てそれなりに評価したか、あるいは実際も観なくて、そのぶんダメ出しもしなかったか、だと思うのですが。なので毎年、「あんだけブーブー言ってたくせに、終わったら紅白が良かったとか面白かったって感想ばかりだな」という状況になりがちだと考えます。
それで、本番の2ヵ月前ぐらいから紅白に向けてずっと起こっていたブーイングの感じが、何かに対してのものに似てるな~と、ずっと思っていて。ふたつ思い当たりました。
ひとつは、新語・流行語大賞。
もうひとつは、昨今の渋谷という街に対する意見です。
共通点は、対象への見方があまりに人それぞれで、論点も含め、大きく異なるところ。かみ合っていない感があります。
そして昔に比べて、大人の世代の比率が大きくなっていること。この影響がここでも大きい気がしますね。現代の社会を捉えるにあたり、見逃せない点だと思います。
つまりこうした議論は、何十年か前であれば若い子からせいぜい30代ぐらいまでを中心に行われていたはず。それが今ではSNSやニュースサイトのコメント欄などで、上の年齢層は70代あたりまでが好き勝手なことを書いたり主張したりしているわけです。
そもそも人それぞれに違う見方があるのは当然ながら、さらに世代も幅広くなり、その経験値や価値観もまるで異なる人間たちが、音楽やカルチャーやライフスタイルの好みの差異を抱え込みながら、各々の立場や考えで、しかも、ほぼ無責任に意見を言うものだから、収拾がつかないわけです。
こうなると「~とは」の前提やイメージが最初っからかなり違ったりするわけで。たとえば紅白なら「その年のヒット曲を唄う番組」と思ってる人もいれば「歌がうまい人が出るべき」とかね。
渋谷が「若者の街である」なんて先入観も、今や現実ではほぼ違うわけです。さらに言えば、大人の街でもない。で、議論のプラットフォームも、仮にネット上でも、オールドメディア寄りのものだと、また感じが違う。
そして以前と大きく違うのは、紅白のようにポイントがいかに大人世代の支持を得たかになりがちだから、多くの意見を見ても「そこじゃないでしょ」という気がするのです。もっとも今回の紅白は、とにかく大人層を取り込むことを主眼に置かれていたと思いますけど。
などなど考えましたが、ここはそういうことについて書く場ではないので(まあまあ書きましたけど)、別の機会があれば、そこで語ります。
それではTHE YELLOW MONKEYの、とりあえず終わりの回です。
途方もなく長いツアーのあとに訪れた混迷の季節
前回の最後で書いたように、1998年、このバンドの破格ぶりを示す強力なアルバム『PUNCH DRUNKARD』を出したTHE YELLOW MONKEY。
本アルバムのリリース後の1998年初頭からは、なんと計113本もの全国ツアーを開始。
この長旅の間には、「離れるな」や「SUGAR FIX」をシングルでリリースしている。
僕は1997年の西武球場(現・ベルーナドーム)、このロングツアーの1998年9月のNHKホール、そして1999年3月、ツアーの最終日の横浜アリーナを観ており、いずれも最高のパフォーマンスを見せる彼らは本当に素晴らしいバンドになったと思った。西武ドームのほうはライヴレポートを書く仕事で、その夜の高ぶりを活字に残した記憶がある。
また、横アリのアンコール終わりの集合写真は、今も彼らの最高の瞬間を捉えたものとして知られている。
ただ、この長大なツアーはメンバーとスタッフに甚大な負担を残してしまい、バンドと周辺の人々は極端に疲弊することになった。そのヘヴィな事実については、直後のインタビューや、さらには10数年後に公開されたドキュメンタリー映画『パンドラ』で明らかにされている。
映画でも触れられているように、このツアーに至る前年の1997年の夏には、初回のフジロック出演があった。僕はその場にいたが、暴風雨の中の演奏や、同じステージで海外のロック・バンドと共演したことで自分たちのバンドの力を自覚するという、いずれも過酷に過ぎる現実に直面したようだ。
そもそも4人は、それまでの『SICKS』と『PUNCH DRUNKARD』で自分たちが目指すサウンドを徹底的に追求したあとだった。それがツアーによって心身ともさんざんに疲れきり、その中で次に向かうための音楽性を見い出さなければならなかったこと。その過程ではバンド内部の求心力が低下傾向にあったこと。こうした理由から、1998年後半からの彼らは過渡期へと差しかかっていく。
ここからのイエモンは、やがて活動休止へと至る流れに入る。
暗中模索を続けるバンドは、プロデューサーたちとの仕事によって現状を打破していこうとした。
たとえば、朝本浩文。
あるいは、森俊之。
「SHOCK HEARTS」は異質だが、こうした一連の楽曲は苦みや悲しみ、せつなさを内包した作品が多く、僕は新曲が届くたびに、それまでのイエモンからの違和感を覚えていたものだ。
ただ、それらを今あらためて聴くと、胸にグッと迫ってくる。これはアルバム『8』も同様である。
まるで運命に抗っているかのように感じてしまうのだ。
そしてイエモンは、やがて活動休止を発表する。
2001年1月の大阪と東京での初のドーム公演が、その区切りの場になることになった。
「プライマル。」で唄われた卒業、感謝、思い出……そして、大人になること
2001年1月8日の東京ドーム。僕は年初の、ちょうど今くらいの時季になると、あの時のドームの空気をつい思い返してしまうことがある。だから今回はこの「プライマル。」のことを書きたかった。
さまざまな感情が集結したかのような空間だった。今この時のライヴ映像を観ると、オーディエンスがちゃんと盛り上がっている場面もある。だけど現地にいた自分は、観客の側もどうにもエモーションを上げきることができず、見守るばかりだった印象が残っている。ただ、もう24年も前のことなので、記憶違いもあるかもしれない。
休止してしまう、というより、終わっちゃうのかな、という感覚のほうが強かった。今でもそうだが、この時代から、実質は解散ながら、その言い方はバンドのファンに与える衝撃が大きいため、あえて活動休止とするような風潮があった。
とはいえ、このバンドに関しては、実際のところ、ほんとに休止のニュアンスであったと思う。何年か経ってからまた集まろう、みたいな。
それでも、あの空間の寂しさから、僕はイエモンが終わっていくのを感じるばかりだった。
彼らにとって最後のシングルとなる「プライマル。」は同じ2001年1月の31日にリリースされている。
プライマルとは「原初の」とか「根源的な」という意味で、それに対して句点(。)を付けているのは、ピリオド、区切りというニュアンスと考えていいのではないかと思う。
ちなみにビートルズ解散後、精神の安寧を求めるジョン・レノンが受けたのがプライマル・スクリームと呼ばれる精神治療だったことは、広く知られている。
また、ご存じのように、この治療法と同じ名称のイギリスのロック・バンドも有名な存在だ(ちなみに、もうすぐ来日ライヴ)。
ただ、イエモンの「プライマル。」はドーム公演の時点では音源がラジオなどでOAされていなかったはずで、当日にパフォーマンスもされなかった。シングルが出た時も、チャートには入ったが、あまり印象に残っていない。それは曲自体がさほどインパクトの強いものではなかったことも理由だ。彼らのベースであるグラム・ロックの世界を築き上げた巨匠トニー・ヴィスコンティのプロデュースのわりには……と感じた覚えがある。
なお、この時の東京ドームの2回目のアンコールで、アコースティックギターを持った吉井が一瞬だけ「プライマル。」のイントロを弾く瞬間があった。これも後年、ライヴビデオを観て知ったことである。観れる環境にある方は、ぜひ確認してみてほしい。
さて、【オトナになることのうた】としての本題である。
「プライマル。」には<紅塗った君がなんか大人のように笑うんだ>、それと<手を振った君がなんか大人になってしまうんだ>という歌詞がある。
この歌には、もう活動休止してしまう自分たちという心理が見え隠れしている。<卒業おめでとう><ありがとう><思い出>など、歌詞のはしばしにそうした節がある。
そして、ここでの<君>は、大人ではないという前提がある。大人になっていない、なりきっていないはずの<君>。なのに気付いたら、実際は大人になろうとしている、なってしまいそうな事実がある。そんな相手の成長や変化に、大なり小なり気持ちが動いている自分。そうした心理が読み取れる。
休止に至る2001年までにTHE YELLOW MONKEYが唄ってきた<大人>という存在は……世間の厳しさを示唆する「Four Seasons」、いつか大人になりゆく自分たちを唄う「楽園」、<子供>と並列した歌詞の「創生児」、さらに大人の悲しみをシリアスに描いた「BURN」と、少しずつ自分(たち)自身に近づいてきていた。
「プライマル。」では、その時が……大人になる、なった瞬間が、ついにやって来たように感じる。しかしそれを受け入れられずに戸惑っているような、まごついているような心の内が見て取れるのだ。
だから、思う。2001年の初め、活動休止の頃。実際の4人は、とくに吉井は、大人になりきれない自分(たち?)を感じながらだったのではないか、と。
それゆえに2004年の夏、彼らはもう大人になったから……少なくとも、なろうとしていたから、けじめをつけるために解散を宣言した。今では、そんなふうにも思う。
こうした前段があっただけに、2016年の再集結の際、そのライヴの(加えてその後のツアーでも)1曲目が「プライマル。」だったのは感動的だった。2001年時点ではライヴで演奏をしなかった曲を最初にやることで、これは自分たちの物語の続きであると表明してくれたのだ。
下は2020年、コロナ禍で、有観客ながらキャパの半分で敢行された時の東京ドーム公演の同曲。
そして、時は流れた。
彼らは多くの時と、多くの困難を乗り越えてきた。本当に。
2025年を迎えた今、あらためて思う。
現在のTHE YELLOW MONKEYは、最高のロック・バンドで、しかも素敵な大人たちである、と。