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何に怒ってるのかなんて簡単に分からないよ

記憶に残る昔の一場面。

子どものころ旅先の公園で泣いている私。姉より写真を撮ってもらう枚数が少ないという理由で泣いて拗ねて怒られている。「そんなしょうもないことで」と。

写真を撮ってもらうことが心から好きだったのではない。そこで愛情を量っていたのだろう。学校の写真ではたくさん写っていることを良しとする母だった。私が映る写真はたくさん買ってくれた。でもアルバムなんて作らなかった。

そんな母でも第一子の姉の誕生時は頑張ったようで、姉の赤ちゃんから私が生まれるまでの写真はアルバムとして残っていた。小さい時にそれをみて羨ましかった。私のアルバムも欲しいと思ったし伝えた。しかし叶わなかった。写真はたくさん撮って現像もしているがグッチャグッチャで放りっぱなし。

父は几帳面だったがそういうことは関与しなかった。でも自分のものはキチンとしておりお財布の中に写真を一枚入れていた。昔は母の写真だったらしいが、私が知っているのは姉の小さい頃の写真。姉が一人で映っている写真をずーっと財布にいれていた。

飾り棚には、姉が高学年の時に子供会でつくった陶芸のお皿が飾られていた。私も姉と同じ学年になれば作って飾れると思っていたが、同じことをすることはなく飾られることはなかった。

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私自身が母となり、子供を育て上げた人たちや周りの子沢山ママたちからは「1人目はやっぱり色々とマメだけど2人目からはね〜」とか「アルバムなんて下の子だけないゎ」と聞く。そうなるよねと共感できる。1人しか子供がいない私だけどもアルバム作成を怠り一気にファイルしている真っ只中だ。

きょうだい同じようになんてできなくてふつう。たまたま姉だけのように見えているだけで姉からしたら妹だけということも沢山あるだろう。はたまた他の子だったら、なんて事ない出来事で笑ってアルバムがなーいと言っているかもしれない。

でも色濃く残るその一場面の私はまだ昇華できていないのだ。写真の枚数を怒っているんじゃない。アルバムがないだけを怒ってるんじゃない。一つ一つに怒ってるんじゃない。私だけ蚊帳の外に感じて、大切にされてないように思えて、いなくても良いように思えて、男の子に生まれなかったからだと思えて悲しかったんだ。

姉は初孫で、従兄弟は初めての男の子の孫で、私が生まれたのは間違いか何かで喜ばれていない、どっちでもいい存在なんだと思えて、それを分かってほしくて、そんなはずないよって言ってほしくて、思わせてほしくて写真を多く撮ってほしかったんだ。

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湧き上がる怒りが、本当は寂しいんだ!大切にされたいんだ!なんてとこまで簡単には分からない。そして単に「寂しい」「大切にされたい」だけで済まされたくもなかったんだろうな。だからずっと抱えていたのかもしれない。


子供の私は怒ることを怒られてばかりで、怒って切り替えができないことも怒られて、そんな自分が悪いんだダメなんだと思ってきた。穏やかになれない私が受け流せない私がダメなんだと思って責めてきた。でも最近は少しずつ嫌だと感じること、怒りを覚え出すことを肯定できるようになってきている。そして、それでいいよと言ってくれてもっともっとそのまま感じるままでいいよと言ってくれる味方がいる。 

今この事を書いているのはそろそろ手放す時が来たからだろうな。きっともう大丈夫。ありがとう。

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