見出し画像

親を見送るということ- 父、はじめての入院 編-

↓前回の記事はこちらからお読みいただけます。↓

父が下咽頭癌との診断を受けてから数日が経ち、家族は最初の決断をしなければならなくなった。
選択肢は大まかに分けて3つ。

1.完治を目指して手術をする

その場合気管切開はマスト。
手術の内容としては、声帯も食道も切除し、腸の一部を切り取って食道として移植するというもの。10時間にも及ぶ大手術である。
しかし年齢的に抗がん剤は使えないし、長い手術に肺や心臓がもたない可能性もある。

2.放射線治療を行う

こちらを選ぶ場合、気管切開の必要はなし。
手術に比べ身体への負担は軽いが、完治は望めない。それでも上手くいけば一時的に自宅に戻れるかもしれない。

3.何もしない

痛みや苦しみを出来るだけ緩和して、死を待つ。

どれを選ぶにも、まずは本人の意思確認、家族の同意が必要である。

入院当日の父は栄養状態もままならなかったため、鼻からチューブを入れ、直接胃に栄養を送ることに。
数ヶ月前と比べると、父の腕や脚はふた回りほど細くなってしまっていた。
鼻の穴から延びる管が邪魔なのか、しゃべる気力も乏しげにぼーっとしている父を見て心臓がぎゅっとなったが、私は母と帰路に向かった。

車で20分くらい走ったところだっただろうか。病院から電話があった。
「お父様が出血したのですぐ戻ってきて欲しい」とのことだった

最悪の結果が脳裏をよぎった。

急いで病院に戻ると、父はビニール袋を耳からぶら下げていた。
しゃべれる状態ではないが、かろうじて意識はあるようだった。
「これを使って少しお話ししてください」と、担当の先生は子ども用のお絵かきボードを私に渡し、退室した。
そして処置室には私たち家族3人だけが残された。

これからどうするか、まだ父は迷っているようだった。
思うように食事も摂れていなかったため、体力も判断力もなくなっていた。
だが、いつかまた今回のように出血したら、気管切開をしていないと窒息死するかもしれない。
私はお絵かきボードに

気管切開
する?
しない?

と書いて父に見せ、「どっちにする?」と問いかけた。

その時だった。
父は突然、

「・・・なんかおかしくなっちゃった」

ポツリと呟いた。
そして、小刻みに身体を震わせはじめた。
目の焦点も定まっておらず、何かしらの異常が起こっていることは誰の目にも明らかだった。
私の隣にいたはずの母はいつの間にか消えていた。急変した父の容態に怖気づき、とっさに処置室から出てしまったようだ。

私は、「じじちゃん!じじちゃん!」「誰か来て下さい!」とひたすらに叫んだ。もう頭の中は真っ白だった。
すぐに担当の先生や看護師が入ってきて、私は外に出された。

父はこのままあっけなく死んでしまうのではないだろうか・・・
しかもなぜ母はあの状況の中で処置室からいなくなったのだろう・・・

様々な感情が渦を巻き、パニック状態はなかなか治まらなかった。
気持ちをなんとか落ち着けるために私は娘に電話をかけた。

「もう、じじちゃんが死んじゃう」と。

娘にこれまでの経緯を報告すると同時に、だんだんと覚悟を決めている自分がいることに気づいたのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?