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親を見送るということ- 突然の告知 編-

父が近所の耳鼻科の先生から大学病院を紹介されたのは、2020年初夏のことだった。 咽頭癌の疑いがある、とのことだった。 1度目の緊急事態宣言が解除されたころから「喉風邪がなかなか治らない」と言っていた父。 かかりつけの病院で薬は処方されていたものの症状は一向に改善せず、肺のレントゲンを撮っても異常はみられなかった。 1ヶ月以上こんな状態が続いたため、耳鼻科を受診させたところで話は冒頭に戻る。 先生によると頸部のリンパも腫れており、すでに転移しているかもしれない、とのことだった

    • 口がきけない私 〜保育園編②〜

      前回の記事はこちら⬇︎ 保育園には行きたくはなかったが、行かなければいけないのではとも思っていた。 私は誰とも口をきくことはなかったが、何となく関わってくる子はいた。 子供の世界では口をきこうがきかなかろうが、あまり関係無いのかもしれない。 何となくコミュニケーションは取れるものだ。 私はラジオ体操が嫌いだった。 頑張ることや張り切ることが恥ずかしかったので、ひとり下を向いて拒否していた。 すると私の後ろの女の子が腕を掴み世話を焼いた。 それはもっと恥ずかしいこと

      • 口がきけない私 〜保育園編①〜

        私の最初の記憶は、それは硬い臭い塊を口の中に押し込まれる感覚だった。 それが哺乳瓶だったことをずいぶん後になって知った。 母乳の出が悪かった母は哺乳瓶で粉ミルクを飲ませようとしていたらしいが、私は断固拒否していたらしい。 母乳の出が悪くても母の乳房は柔らかくていい香りがしたのだ。 「あんな硬くてゴム臭い乳首なんかに騙されるものか」 きっと私はそう言いたかったのだ。 私は長子として生まれた、女ではあったが長子だったためにその誕生を皆が喜んでくれたようだ。 初孫ではなかっ

        • 親を見送るということ〜 風と共に去りぬ 編 〜

          👇前回の記事はこちら 咽頭癌と告知されてから、半年余りで父は逝ってしまった。 父が生前一度だけ言ったことがある。 「自分のことが自分で出来なくなったら、おさらばだ。」 長い介護になるのでは? これからどれほどの時間を父の為に費やすことになるのだろう。 戦々恐々としていた私たちのことを見透かしていたのかもしれない。 幾つになっても子供は子供、親は親。 いつも偉そうだったが、子供に苦労かけるのは親の意地として嫌だったのではないかと思う。 私は結婚してからも親のそば

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        親を見送るということ- 突然の告知 編-

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        • 口がきけない私
          2本
        • 親を見送るということ
          13本
        • ただ今冷戦中
          5本

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          親を見送るということ〜 父らしい最期 編 〜

          👇前回の記事はこちら 咽頭癌で緩和医療を選択し、自宅療養中だった父が再度入院した。 おそらくもう家には帰れない。食止めもするので後1ヶ月はもたない、と宣告された。 今、父は何を考えているのだろう? 「最期はどんなふうに迎えたい?」 と訊いておいた方が良かったのだろうか? 訊けるわけがない。 自分の死を連想させるような話を父は嫌った。 結局遺言も書かなかった。 父が病気になってから、色々な選択決定のほとんどを家族がしてきたように思う。 父は自宅で最期を迎えたかっ

          親を見送るということ〜 父らしい最期 編 〜

          親を見送るということ〜 父、最後の入院編 〜

          👇前回の記事はこちら 咽頭癌で緩和医療を選択し、自宅療養中の父。 12月に入ると病状は明らかに悪化していたが、なんとか年末年始を乗り切った。 しかしヘルパーさんに頼ることも増えたし、貼るタイプの麻薬(痛み止め)も少し強いものになった。 父は薬が変わったせいで自分の体調が悪くなったのではないかと思っていたようで、前のものに戻して欲しいと訴えていた。 私たち家族には上手く父を説得することは出来なかったが、訪問看護の医師やヘルパーさんになだめてもらい、なんとかやり過ごす日

          親を見送るということ〜 父、最後の入院編 〜

          ただ今冷戦中⑤弁当でセルフ制裁

          ただ今正直過ぎて心の声までダダ漏れさせてしまう夫に苛つき冷戦と休戦をしばらく繰り返している。 夫はとにかく思ったことを無意識のうちに口にしてしまうのかもしれない。 言わない方がいいことを口にしてセルフ制裁のように自分の仕事を増やしていく。 今から30年くらい前、私達がまだ新婚の頃私は夫のお弁当を作っていた。 ある日「今日はおかずが多かった、海苔弁にするならおかずは少なくていい」とクレームを付けてきた。 おかずが少ないと文句言うならまだわかるが、おかずが多いと言われる

          ただ今冷戦中⑤弁当でセルフ制裁

          親を見送るということ- 父のジレンマ 編 -

          12月も半ばになり、 「年末に具合が悪くなっても入院出来ないから、年末年始だけでも入院させたい」 と母が言い出した。 介護士さんも「その方が良いかもしれない」と父を説得してくれたのだが、父は頑として聞き入れなかった。 12月28日までに入院の申請をすれば受け入れてもらえるらしい。 それまでに説得できれば、ということで私の出番となった。 私が言えば父は怒ることは無いが、説得できる自信も無かった。 なんとなく、父は病院ではなく家で死にたいのではないかと思っていたからだ。

          親を見送るということ- 父のジレンマ 編 -

          親を見送るということ- 父にできること 編 -

          咽頭癌の告知を受け緩和医療を選択し、放射線治療である程度回復した父は9月半に自宅に戻った。 しばらくの間は周りを驚かせるほど回復したように見えた。 しかし、12月に入ると首のリンパが私の目で見てもわかるくらい腫れてきた。   そして効き目の軽い貼るタイプの麻薬のようなものも使い始めた。 母は「確実に悪くなっている、夜中もベッドから出て頭を押さえて座ってる。私だって気になって眠れない。」と言うようになった そういえば、父方の祖母が風邪をひいた時もそうだった。 母は「義母

          親を見送るということ- 父にできること 編 -

          ただ今冷戦中④座って出来ずにセルフ制裁

          この30年を振り返ってみると、夫に対してのムカつきエピソードは色々ある。 その中でも今だに思い出す度に腹立たしいのは、トイレ掃除にまつわるエピソードだ。 もう20年も前、二人でテレビを観ていた時のこと。とある番組で、 男の人がトイレで立って用をたすと、周囲に相当飛び散る という内容の検証を行っていた。 男性の番組司会者や出演者が、 「私は前から座ってしてました。」 「それは奥さんに悪いことしてましたね、これからは座ってします。」 などと模範的なコメントをして、座りシ

          ただ今冷戦中④座って出来ずにセルフ制裁

          ただ今冷戦中③

          今日突然、意を決したように夫が話しかけてきた。 「一応報告なんですけど、63歳からこれだけの年金がもらえるそうです。」 とハガキを見せてきた、 「誕生日が過ぎたら手続きに行ってきます。」 「了解しました。」と私 私としては口をきかない生活にはまだまだ耐えられそうだけど、夫にとっては限界だな。少し緩めてやるか。 今月誕生日を迎えると、夫は63歳になる。 私は夫の誕生日どうしたものかと思案していた。今の時期外食は出来ないし、手をかけた料理を作るのも癪に触るし、かとい

          ただ今冷戦中③

          親を見送るということ- 父、帰る編 -

          9月半ば父は退院の日を迎えた。 人生初の入院から解放された喜びもあってか、いつにも増して元気だった。 荷物も自分で持つと言い、まるで病が完治して退院する人のようだった。 こんなに元気なのに、本当に年単位で生きられないのだろうか? しかし退院できる喜びで張り切っている父を見る担当医の目は悲しそうだった。 この病気は可哀想なんですよ。 食べることも出来ない、リンパにも転移しているから頭が圧迫されたり、 出血したら呼吸が出来なくなり窒息します。 と言われたことを思い出し

          親を見送るということ- 父、帰る編 -

          ただ今冷戦中-結局黙れない夫に苛立つ-

          うちの夫はなにしろよく喋る。黙ってテレビを観ることも出来ない。 だから夫にとって口を利けない今の状況はしんどいのかもしれない。 そういえば、ついこの間 「あー疲れた!でも頑張った俺って偉い!」 「誰も褒めてくれないから、自分で褒めてあげなくちゃ」 と大きな声で独り言を言っていた。 まだ夫が年下なら可愛いと思えるかもしれないが、6つも年上、しかも60も超えているのにまだ褒められたいのか?子供か!! 残念ながら私にはその手の癖はない。 過程より結果の女なのだから。

          ただ今冷戦中-結局黙れない夫に苛立つ-

          ただ今冷戦中-仲直りか?離婚か?-

          私(56歳) 夫(62歳)  結婚して30年たった。 今までだいたい10年に1回の頻度で、もう離婚してやろうかと思うレベルの喧嘩をする。 そして今も10年に1度のタイミングの真っ只中という訳だが、お互い歳をとったせいか大きく揉める訳でも無くダラダラと険悪な状態が続いている。 そもそも喧嘩の理由だが 過程より結果 と思う私と 結果より過程 と考える夫との方向性の違いが大きい。 夫は料理が好きなので作ってくれたりはするが、自慢気に料理し終わった後のキッチンの片付け

          ただ今冷戦中-仲直りか?離婚か?-

          親を見送るということ- 父、胃瘻を作る 後編 -

          ↓前回の記事はこちらから↓ 父の胃瘻を作る手術も終わり、退院の日も決まった。 胃瘻を使っての食事の仕方を家族にも知っておいてもらいたいということで、また病院に招集された。 鼻に入っていたチューブを抜いた父はサッパリしたようで、前回会った時からは想像もつかないくらい元気になっていた。 認定調査の日は最悪のコンディションだったせいか要介護5という結果だったのだが、それが信じられないくらい元気だった。 そして自分の体に作った胃瘻を自慢げに見せてくれた。 父にしてみれば、

          親を見送るということ- 父、胃瘻を作る 後編 -

          親を見送るということ- 父、胃瘻を作る 前編 -

          ↓前回の記事はこちらから↓ 私は長いことタバコを吸っていた。 何度も辞めようとしたことはあるが、辞められず半ば諦め開き直っていた。 しかし退院してからタバコは吸っていない。 父と娘、どちらも喉の病気で入院だなんて 「もういい加減タバコは辞めなさい」 と、神様かご先祖様に言われた気がしたからだ。 一方で、認定調査の日の父は絶不調だったらしい。 自分の名前を言うのがやっとで、車椅子に座っているのも辛そうだったと母から聞いた。 放射線治療は一か月くらい続く。果たして

          親を見送るということ- 父、胃瘻を作る 前編 -