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隣の男は戻らなかった

隣の男は戻らなかった
が金環蝕の夜におちる
無数の円環が闇に探り
あてた希望の脱殻を愛
撫するアイをだきよせ
鉄条網に絡まる野晒の
襤褸から眼をはずし酔
い潰れた騒擾の一瞬の
静止を盗み小屋へ戻る

腐蝕した卓の上で電脳
の冷然とした緑光に浸
食される打鍵音と頭載
式表示器に収まる濡れ
た軟体のくねるノイズ
に振動し歪む格子に吊
るされる潰えた数多の
夢の鳥籠にのこされた
隙間風に揺れる白い羽

地下回廊は一歩毎に6
度ずつ傾き右の壁を歩
き天井を踏み左の壁で
躓いたとき螺旋を照ら
しおちていく手燭にア
イとの未来が奪われぬ
よう膝を折り祈り看守
は目を迴した拳で自身
の頤を殴り転げ落ちた

涙と排泄物にまみれた
寝床の粘土を捏ね尊厳
と記した額あてをつけ
たが泥人形は目も鼻も
口も溶けだして一本の
索状となりその先に自
壊して残った円環と泥
饅頭は黒炎に包まれ探
照燈の黄が何度も過る

苦難は人生を美しくす
るとヒトには善性があ
ると信じていたのはこ
の収容所に来た翌日ま
でだったが奇妙な果実
のずっと先の一点から
昇る三日月が荒れた地
平を一文字の銀にかえ
たとき開いた心は柘榴

霧の深夜に所長が思い
つき実施した選抜行進
は黒炎の前でないてい
たアイは蹌踉めき私は
右の群に叫び放られた
アイの腕をつかもうと
したが銃床で殴られ気
を失い朧な目蓋がみた
のは煙と灰となるアイ

焼け残りのない数百㌘
は私が胸のポケットに
掻きこんだアイの笑顔
はまだ暖かくさいごの
焚き木よ焚き木とうた
う声が肺胞の一洞一洞
に響きあい私の身体か
らとびたち最も暗い東
の空に紅をひいてゆく

ネットでアイは歪んだ
心が結ぶ虚像であると
話題スレッド がたてられてい
るが歴史の上書はやめ
てほしいアイは真実で
ありアイは私の胸ポケ
ットでうたい私は収容
所の地下で脱出口を掘
り続けているのだから

【AN0NLB1】


【原注】引喩と読みについて、簡単に以下に注記します。
第7連
・「さいごの焚き木よ焚き木」は、次の異なる二つの引喩です。「(前略)時きたり 君を欲せば/ 敢然として 立ちあがれ、/ けむりまく 炎のさなか/ 最後のたきぎ 君をなげうて。」(『白バラは散らず』、インゲ・ショル著、内垣啓一訳、未来社刊、1964年、24頁)、「われらはやみのたきぎを火に投げる。/ われらは まやかしの さびついたかぎをうちくだく。(後略)」(「最後の夜」Ⅶ、『1942年の詩と真実』、ポール・エリュアール著、世界抵抗詩選刊行会編訳、『苦しみの武器』、大月書店、1951年、23頁)。
第8連
・話題:読みは「スレッド」。


【御礼】
本詩を、『詩と思想』11月号「詩作品」に寄稿しました。掲載のお誘い、編集・著者校正、掲載誌ご送付など、あらためて関係者皆様のご支援・ご協力に心より御礼申し上げます。誠にありがとうございました。

同誌は、以下にてお求めいただけます。 
 https://userweb.vc-net.ne.jp/doyobi/sitosisou.html

なお、同誌では、行数制限40行の中に79行の本詩を編集・掲載しているため、読みやすさという点から、原詩は公開のままとしますのでご容赦ください。

ご質問やご意見がありましたら、noteコメント、あるいは以下へメールをお送りください。
<infinityinthemind@gmail.com>

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