僕が本を読まない理由
こんにちは。尾田です。
今日はちょっと変わったテーマでお話ししようと思います。
実は僕は全くと言っていいほど本を読みません。別に本が嫌いというわけでは決してないのですが、気付いていたら自然とこうなっていたのです。
ということで、読書の秋にこんな記事書くのもどうかと思いますがw、今日は僕が本を読まない理由について話そうと思います。
※もちろんこれは私個人の意見であり、愛読家を否定する内容ではありません。
僕が唯一本を買う時
僕が本を買う時というのはどういう時なのか。
それは「何か今身につけないといけない知識や解決したい問題があって、なおかつその情報がネットや他のプラットフォーム上にない時」です。
言い換えれば、消去法的に本しか頼れそうなものがない時ですね。
つまり参考書と専門書しか買いません。
僕の知りたい内容がニッチ過ぎて、そのような小難しい内容はネットには基本情報が落ちていないからやむを得ず買うといったところです。
なので必要性もないのに本を読むということは、僕は基本的にしないです。
端的ではない物事が基本的に嫌い
僕が読書が苦手な理由をいろいろ考えてみました。その結果が「端的じゃないから」だと思います。
本は筆者の主張の方向性を訴えるための書き方になっています。つまりは、持ち出している背景、主張、その主張に対しての要素や事実みたいな構成になっています。僕が知りたいのはその人の主張とか考え方とかだけ知れればいいので、あらすじ読むかその人の動画とかを見れば満足してしまいます。
何か得たい情報があるのに、本のあの文字数は僕には多すぎます。
僕には文学的な情緒が欠落しているといって間違いないでしょう^^
得られる恩恵に対して投じる時間が多すぎる
よく、「本は人を豊かにしてくれる」とかよく言いますが、もちろんそうだと思います。表現力や語彙力、文学は芸術としての歴史が長いですから、それにたくさん触れるということは素晴らしい趣味だと思います。日本人でありながら日本語のありとあらゆる表現を使いこなせている人は極稀ですからね。
しかし僕のように文学的情緒が欠如している人間からしたら、「時間をこれだけ投じたのだから、実生活にそれだけの恩恵が得られないと意味がない」くらいに考えているのです。
本を読むと当然賢くなりますし、精神的にも豊かになります。しかし僕が重要視しているのは、本を読んだ後に何かに活用してアクションを起こし、現実世界にアウトプットして物理的な豊かさに結びつかせるということで、本を読んで知って満足で終わらせないことだというのが信条です。
例えば外国の情報を本で読み漁って頭でっかちになるくらいなら、さっさと航空券取ってその国行って見聞きした方がよっぽど言葉に説得力が生まれるという感じです。
まとめ
以上が、僕が本を読まない理由です。もちろん、本を読むこと自体は非常に価値のある活動であり、多くの人々にとって重要な習慣であることは理解しています。ただし、私にとっては他の方法で知識や情報を得ることがより適している場合もあると感じています。
最後に、私の意見が全ての人に当てはまるわけではないことを理解してください。それぞれの生活や興味に応じて、本を読むかどうかを選ぶことが大切です。では、皆さんも自分に合った知識の獲得方法を見つけて、充実した日々を過ごしてください!