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初投稿にて「自己紹介」です。


1.はじめに

初めて投稿するので先ずは私自身についてお話しようと思います。
これから投稿していくであろう内容を「こんな人間が書いているのか」と
知ってもらいたいと思うからです。

私のヒストリーをこれからつらつらと書いていきたいと思うが
多分面白くはない(笑)共感やそうそう!って思って頂けたら幸いだ(笑)

私は今年35才(まだ34才)のギリギリ昭和生まれの至って普通の人間だ。

2.家族について

父は大学卒業後に日立製作所に入社し定年まで日立製作所一筋の人間で
母は父と結婚して専業主婦になり昔では?よくあるような家族で育った。

兄弟は一番上の姉は9才離れており次に7才離れている兄、次に4才離れている姉の4人兄弟だった。

1番上の姉は年が離れているせいか、いつも可愛がってくれて私も懐いていた。そして兄弟では1番真面目で高卒後は看護学校に通い看護師になった。
2番目の兄は生まれつき右脳に障害があり左体がうまく動かせずたまに発作も起こしてしまう、いわいる身体障害者だった。3番目の姉は打って変わって自由気ままな人で高校も中退し家から出ていくような感じだった。そんな環境で育ったからなのか?私は兄弟の中でも一番ひねくれ者に育ってしまった(笑)恐らく母からしたら末っ子なのでとても可愛かったのだろう、怒られた記憶もあるが甘やかされていた記憶の方が大半だ。そんな甘やかされた私なので保育園に初めて登園した日に保育園から脱走した(笑)恐らく家に帰りたかったのだろうが家から車で20分くらい離れた保育園から脱走して家までのなんとなくの記憶で泣きながら歩いて帰っていた(笑)今思えばよくそこまでしたな、と思う(笑)

3.小学校時代

時は進み小学生になるが、私が通っていた小学生は全校生徒が100人前後の
とても人数の少ない小学校だった。私が入学した年も同学年の人数は20~25人程度だった。友達100人できるかな?は、もはや全学年友達にならないと実現しなかった(笑)とはいえ、6年間同じ顔ぶれで過ごせる時間もそうない。濃い6年間だったと言えると思う。

4.中学校時代

それから中学生に上がるといきなり6クラスになった。
人数の多さにただただびっくりした(笑)もともと人見知りの私は人数がいきなり増えたのでなかなか馴染めづにいた。結局は自分と波長の合う仲間と仲良くしてあまり交友関係は広げなかった。

5.高校時代

そのまま、勉強はあまり好きじゃないという理由から高校は工業高校に進学した。入ってみてビックリだったのは工業高校でも普通に勉強するし+専門科目があった(笑)これにはかなり失敗した、、、と思った(笑)高校入学時は成績順位も一桁だったが、卒業まじかには後ろから数えて何番目かだった(笑)ただ、高校生活で人生を変える出会いもあった。
それは「音楽」だ。工業高校で女の子がいなかったのもあり”モテたい”という意欲が高くなり文化祭で目立つためには?という考えから”ギター”を始めた。この”ギター”との出会いは私の人生でも大きいものとなった。そして文化祭でバンドを組んで演奏をしたのだ。反響はかなりよかったと思う(笑)

6.専門学校時代

味をしめた私は高校卒業後に音楽の専門学校に通うことになる。そしてこの専門学校は2年間で400万と高額な学費が掛かるにもかかわらず文句を言いながら送り出してくれた両親には感謝したい。

2年間はがむしゃらにギターの勉強をした。師と思える人にも出会えて順風満帆だった気がする。

7.就職

専門学校を卒業をして2年くらいが経ったときに父親が定年になると聞いた。両親からはいつまでもフラフラとしてるんじゃないよ?と言われたような気がした。音楽は続けていたもののそれで飯が食えているわけではなかった。そこで高校からバイトをしていたスーパーに就職したのである。バンドマンの見た目派手な私が衛生面を気にされるようなスーパーに就職したのだから周りもビックリだった(笑)とはいえ、スーパーに就職しても音楽は続けていたので見た目は派手なままであったが(笑)そんなこんなで2~3年が過ぎたころ音楽活動よりもスーパーの生活がメインになっていた。毎日5時起きの6時まで仕事をしての繰り返しの日々だった。休みもパートさんが休めば出勤をしてなど、不規則と休み自体もそんなに多くなかった。そんな時にお世話になっている先輩が会社に不満があるということで退職することになった。私はバイト時代からお世話になっていた人だけにとても悲しかったしその後が気になった。結果、その先輩は同業界で違うスーパーに転職して年収は下がった。その時に私は思った「ある程度年齢を重ねたら行動してもいいことない」と。それと同時に「失敗をするなら若いうち」「年をとっても稼げる人材になる」ということを痛烈に感じた。先輩には悪いが私は「人の振り見て我が振り直せ」だ。幸いに私は思ったら即行動タイプだ。
あてもないが転職活動を開始した。

8.転職

あまり深く考えていなかったが転職活動の軸はこの3つだった。「営業職」「売る商品がイメージできない企業」「人数が少ない企業」
それぞれ説明すると
1.営業職
→営業ができればとりあえずは食いっぱぐれない
2.売る商品がイメージできない
→なんでも売れる営業マンになれる気がした
3.人数が少ない企業
→スーパーは既に文化がありいままでこうだったからこうだという考えがあったから文化を作れる企業を探していた

そんな中、出会ったのが今働いている「セキュア」である。異業種中の異業種でなんで採用されたんだろ?くらいの感じだった(笑)それでも入社してからは背水の陣くらいの気持ちでがむしゃらに努力した。中学も高校も真面目にいってなかったし、大学ノートが埋まったこともなかったがセキュアに入社してから3ヶ月で大学ノートが4冊くらいは埋まった。これは大記録であった(笑)

営業からスタートした私だが1年もするとトップセールスになっていた。努力もしたし、他人がしていない努力をしていたことが総してだったのだろう。気づけば課長になっていた。ただ、課長ってなにすればいいんだ?という感じだった。当時の会社はマネージャー研修もなければ何もない。とりあえずは任された数字とメンバーの幸せを最重要に!と思っていた矢先にメンバーから「辞めたいです」と言われた。これはかなりショックだった。そしてやめたメンバーの案件を引き継いだら炎上案件で火消しにめちゃ苦労したのも今ではいい思い出です(笑)

9.新規事業部の立ち上げ

それから数字が安定して上げられるようになり営業での役目は終えたかな?と思い、次は将来の種を育てなければと思い、社長に懇願して新規事業部を立ち上げてもらった。これから新しい取り組みをスタートするぞ!!という意気込みとは反対に試練の連続であった(笑)先ずは自分のスキルや経験のなさが一番大きかった、メンバーを引っ張て行くにも自分自身が自問自答していたからだ。そんな中でも事業をいくつか立ち上げたり成果を出せたのはメンバーのお陰だと思う。いまならあの時こうしていれば、、、と思うことは山ほどあるがそんなことをいっても意味がない。

それからいろいろな取り組みをしたが9割が成果が出ず1割は成果がでたか?くらいだった。あの頃は本当にしんどかった、、、笑

10.転機

それから少しして無人店舗プロジェクトの話が出てきた(当時2018年)私は実現に向けて海外に行ったり有識者にヒアリングするなど行動をしたがイメージが全然できていなかった(笑)ただ、私のやってみます!精神は社長にノープランで「やります!」と言っていた。私としてはどうにかして形にしなければいけないと考えていたが正直いきずまっていた。しかし、やるべきことは目の前にある。私はただただ行動をしたのだ。昨日とは違うアプローチ、昨日とは違う人に聞いてみる、などひたすら行動しまっくた。その結果、2020年7月に無人店舗をオープンすることができた。これを皮切りに私は雑誌やテレビにも出演させて頂いた。これは私の人生にとってターニングポイントとなった。なぜなら、よくわからないと思っていた無人店舗を自分の口でメディアに対して語らなければいけないからだ。それは自分の発している言葉に責任を持つということだ。今更ながら私は自分の仕事に対してもっと誇りと自信と責任、そして人を魅了するワクワク感が必要だと思ったのだ。

それから無人店舗以外にも様々なサービスをリリースした。まだまだ収益化はこれからだがどれも魅力的なサービスだ。

11.まとめ

とても長くなってしまったがこれが34才まで歩んできた私の人生だ。

さらに今はセキュアという会社で取締役 執行役員 CBDOという立場で仕事をしているから人生とは本当に面白いものである。

34年で感じていることは月並みなことかもしれないが「自分の人生は他の誰かが歩んではくれない」ということだ。毎日の自分の行動や成果が今日や明日の自分を作るし、大げさに言えば何年後かの自分を作る。

若い時と比べて変わった価値観としては今日の幸せと未来の幸せは努力の仕方が違うということだ。

今日の幸せは仲の良い仲間とお酒を飲んでパーっとすれば手に入るが未来の幸せは毎日の積み重ねで直ぐには結果は出ない。自分自身を信じて自分の未来を信じれるかはかなり大きい。

私自身はスーパーで働いているときは目の前の上司が自分の将来と考えていたが今は自分の未来は自分で作れると考えられるようになった。

それには「行動」が必要となるが、明日からスティーブ・ジョブスになる必要はない、毎日少しでも成長することを意識すればいいのだと思う。

そして毎日できる領域を広げてできそうだと思える領域も広げていけばいいのだと思う。

最後に一番大事なのは「自分を信じる」ことだと思う。

できる!と思うことを自分自身が本当に信じていなければ目標など絶対に達成できないと思う。

先ずは自分を信じて目標を達成するためのプロセスを自分なりに考えてみることが大事だと思う。失敗することもあるだろうがそんなことは気にしてはいけない。失敗こそが自己成長の最も重量なタイミングであるからです。

34年間生きてきて私が大事にしている価値観は「自分を信じる」「行動する」「最後までやりきる」だ。毎日学習するのは当たり前だし、いろんな人に会って自分の感性を鍛えるのも当たり前だが、自分との約束を守れるかが一番大事だと思う。

そんな考えを持った私がこれからいろいろな視点で投稿をしていきたいと思う。

同じ悩みや悩んでいる方の支えになれば幸いです。人生は自分次第でどうとでもなるということをお伝えできればと思う。

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