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追悼 ピート・ローズ4256本安打の男ー書評 Sokolove,Michael,”Hustle”,SIMON & SCHUSTER,2005年

はじめに


2024年9月30日、現役生活24年間でMLB前人未踏の4,256本の安打を打ったピート・ローズ氏が83歳で亡くなった。謹んで哀悼の意を示したい。

はるか昔に思えるが、「水原一平氏の事件」のときに本書を読んだ。今回、改めてざっくりと読み直してみた。ローズは本書ではじめて、野球賭博をし「自らの試合」にも賭けていたことを告白した。スポーツ界の掟では最も重い罪である。

本書は、多くのローズの追悼記事にも引用されている、スポーツ・ノンフィクションの傑作である。もし、「MLBが未だアメリカ国民の最大の娯楽であった時代」の空気を知りたければ本書を読むことをお薦めする。

その後のプロ・スポーツの人気ランキングを挙げると、MLBはマイケル・ジョーダンの登場でNBAに抜かれ、NBAはやがてNFLに抜かれることになる(賛否両論があるが、私はNFLが優秀なコミッショナーを雇ったことが大きいと考えている。)

そのため、MLBがアメリカのスポーツ・ニュースに取り上げられるのは、残念ながら10月から11月までのプレーオフ期間に限られるようになってしまった。

本書のさわり

さて、私はローズの現役時代には生まれておらず、そのプレーもYou Tubeでしか観たことはない。また、殿堂入りに関しての問題があることは知っていたが、ローズがこれほど長く伝道入りにこだわっていたことは知らなかった。そして、ローズに「罪の認める」機会がいかにたくさん与えられてきたかを本書で知った。

これを裏返すと、ローズを取り巻くアメリカのスポーツ言説が、数十年をかけていかに変わってきたかが分かり、その点で大変参考になる本である。

今、大谷翔平選手が前人未踏の記録を達成し、MLBも盛り上がりを見せているが、MLBで前人未踏の記録と言えば、カル・リプケンJ.R.の連続試合出場記録2,632試合と、このローズの通算安打数4,256本の記録がよく挙げられる(大谷選手を巡る言説は本物である。かつてのようにベーブ・ルース等に例える、ジャーナリストやキャスター、アンカーはもういない。MLB史上唯一無二の存在である。)

ローズという人間

以下、短くではあるがローズという人間を紹介したい。

まず、確認しなければならないのは彼がアメリカの最も暗い時代ベトナム戦争に突入していく1960年代にMLBデビューを飾っているということだ(ケネディ大統領暗殺の前年にデビューしている。)人々は楽しいニュースを求めていた。

ローズは観ているだけでも楽しい選手であった。彼は常に全力でプレーした。特に彼の魅力は「ハッスル・プレー」で、ヘッドスライディングがその代名詞であった。また、かなり弁が立ちが冗談や名言を残し、鬱々とするニュースであふれたメディアの中、アメリカ国民を明るくしてくれる存在だった。

また、彼を「現代スポーツ」における「スター」の走りであったという論者もいる。この後、様々なスポーツ界に登場する、自らのブランド価値を高め、巨額な副収入を得る選手である。例にもれず彼は様々なCMに出た。彼は、必要がなくともわざわざヘッドスライディングをした。しかも、ユニフォームを汚すため、お腹からすべったのである。

もちろん、彼のパフォーマンスは最高であった(1年間で平均180本近くの安打。)しかし、その裏では、彼は既にギャンブル中毒になっていた。「野球でうまく沈んだときに、ギャンブルが気持ちを持ち上げてくれた」というのが、彼の言葉である。しかし、1970年代初頭には、既にMLBの知るところとなっていた(この時点では野球にはかけていないとされている。)

野球界からの追放

そして、1986年に彼は通算安打数4,256本という記録を残し引退し、翌年すぐに監督となった。その監督時代に彼は「野球界」より永久追放されることになる。その嫌疑は、監督として自らが指揮するチームにかけたということである。彼の現役時代の成績は、オールスター17回出場、ワールドシリーズ3回優勝、打撃タイトル3回獲得であった。

この記録を見ると、彼がいかに人気があったかが分かるであろう。人々は彼の野球への情熱に魅せられていたのである。彼のプレーは人びとを高揚させ、一時的に日常から逃れさせてくれたのである。ベトナム戦争は、1970年代には終わるが、次にアメリカの社会はベトナム帰還兵の問題に直面する。

しかし、フィールドでは情熱的だった彼も、ロッカールームでは人を寄せ付けないところがあった。野球界で友人関係を結ばず、結局は自分に都合の良い取り巻きだけとしか付き合わかった。そのため、責任感にかけ、トラブルはトラブル処理係に任された。その内、彼は何をしても許されると思うようになった。

このことが、後年の「殿堂入り問題」につながった。彼には告解の機会が多く与えられたのだが、いずれの機会にも否認した。MLBのコミッショナーが、永久追放を見直そうとしたとき、彼はその会合後、すぐに競馬(ギャンブル)に出かけ、メディアに撮られている。何をしても許されるという自分の世界に閉じこもったままであった。

私見

ここからは、私見だがサッカー界のマラドーナと比べてみたい。両者とも「スター」の走りである。共通するのは、「父権の不在」である。ローズは幼い頃に父親を喪っている。マラドーナの場合は、10代の頃から稼ぎ頭として家を支えてきた、家長である。マラドーナを考えるとき、私はいつも良い監督に出会っていたらな、と残念に思う。

MLBの場合も、良い監督がいても私生活には干渉しない。誰かが早々に彼を律してあげれば、人生が変わっていたかもしれない。また、私生活の模範となる選手がいればよかったとも思う。

アメリカには伝統的に「偉大なる力は無垢なる者に宿る」という「イノセンティズム」の思想がある。例えば、映画『スター・ウォーズ』で「フォース」が宿るのは、ジェダイが無垢があるゆえである。

その意味では、無垢なるがゆえにローズに「フォース」が宿ったと思い込んでいたアメリカ人がローズを一時許せなかったのも理解できる。

また「水原一平氏の事件」で大谷選手の周りで起こった議論も、この「イノセンティズム」の思想が影響していると私は考えている。この「イノセンティズム」の思想と「偉大な選手」という主題は、アメリカのスポーツ言説では様々な事象として、表れてくる。一度、徹底的に考察したいと思っている。





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