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書評:『ナポリのマラドーナ イタリアにおける「南」とは何か』、北村暁夫著、山川出版社、2005年

本書は、マラドーナを前菜にして「イタリアの移民史」を描いたものだ。出版社が山川出版社であるであることから分かる通り、「歴史の本」である。

私はこの点を見過ごして、マラドーナがメインの本だと思って購入した。しかし、この本は、ナポリ(イタリア)の側から見たマラドーナで、マラドーナ側から見たナポリでなかった。若干ではあるが、マラドーナのことにも触れられているので、その部分を紹介したい。

1986年メキシコW杯(「神の手」「5人抜きゴール」)、1994年アメリカW杯(「ドーピング失格」)の印象的な大会に挟まれて、1990年イタリアW杯はマラドーナを語る上で、私は重要なものだとは思っていなかった。

しかし、本書はナポリという「イタリア南部」を語る上で非常に重要な大会であった、と言う。本書は、1990年イタリアW杯準決勝「イタリア×アルゼンチン」を取り巻いていた言説に、当時のイタリアの政治・社会的情勢を読み込み、イタリアにとってのマラドーナを表象しようとしている。

その議論は、少々強引であり「本当にそうか」と疑問を挟んでしまうが、とりあえずはその議論に付き合ってみよう。

当時のイタリアは、政治的問題を抱えていた。いわゆる「南部問題」である。大雑把に言えば、北のミラノと南のナポリである。そして「ロンバルディア同盟」という極右政党が台頭していた。この政党の主張は、北のロンバルディア州の独立と「移民排斥」であった。

1990年は、「冷戦崩壊」の翌年である。まず、ヨーロッパの西側の国々は東側からの移民の流入に対処しなければならなかった。この「移民問題」は、様々な社会的緊張を生み出した。

例えば、サッカー界では、当時最強を誇ったACミランのフリットやライカールトに対して、サポーターから人種差別的ヤジが飛んだ。補足をしておくが、当時セリエAこそがヨーロッパで一番のリーグであった。もちろん、マラドーナも人種差別的な扱いを受けた。

更に、マラドーナに対してはもう一重レッテルが貼られた「南部ナポリ」である。「南部問題」とは、極右政党が言いがちな「南のナポリが北の経済成長の足枷となっている。それ故、北は南を切り捨てなければならない」との主張である。

1990年イタリアW杯準決勝「イタリア×アルゼンチン」は、このような緊張の下に行われたとするのが、本書である。そして、この試合が行われたのがまさにナポリであった。メディアの言説では、「ナポリの人々がアルゼンチンを応援するのではないか」との疑念があったと言う。

結局、アルゼンチンがPK戦の末イタリアを敗るのであるが、上記した二つの問題が顕在化したのが、決勝戦西ドイツ×アルゼンチンであった。アルゼンチンは国歌斉唱中にブーイングを受け、試合中もマラドーナがボールを触るたびにヤジが飛んだという。

試合後、マラドーナは号泣していたという。この試合こそが彼がイタリアから離れたくなった最大の理由となった。その後、マラドーナとクラブ会長の間で摩擦が起き始める。ナポリを出ていきたいマラドーナと自らの保身のためにマラドーナをナポリに置いておきたい、クラブ会長。

すったもんだの末、マラドーナがコカイン所持と密売の容疑で逮捕されることによって、皮肉にもマラドーナは移民先のイタリアから母国アルゼンチンに帰れたのである。

以上が、本書のマラドーナに関するところのみの要旨である。これから、日本も移民を受け入れざるを得なくことは確実である。そのときには、確実に「移民排斥」を主張する勢力が現れる。そして、日本は「東京一極集中」という問題をもう既に抱えてしまっている。この本は何らかの学びになるかも知れない。

冒頭で述べたように、本書はマラドーナを前菜にして、移民史を語ったものである。筆者は、かなりアクロバットな議論を展開しており、私は本書をどのように読めばいいか、分からなかった。正直、読むのに1週間かかった。







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