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書評『ディエゴ・マラドーナの真実〔追悼・増補版〕』ー神が遣わしたのは神の子か悪魔か。

本書は、「マラドーナ」という現象を社会的、政治的、宗教的に分析しようというノンフィクションである。初版が出版されたのは、1996年。あのアメリカW杯におけるマラドーナのドーピング検査失格の直後である。

私は、中学生であった。なぜスポーツ選手が「筋肉増強罪」等のパフォーマンを向上させる薬ではなく、「コカイン」で大会を追われるのか、当時疑問に思った記憶がある。先日、医療関係者と喋っていたら、「コカイン」は、当時、「鎮痛剤」として使われていたことを知った。

議論を先取りするが、本書によれば、マラドーナは「やせる」ため、トレーナーから「薬」を与えられ、その中にいわゆる「コカイン」と同じ成分が入っていたという話である。大会前の1か月で90キロから77キロまで、13キロのダイエットに成功した。

さて、本書を読むのに我々が最も頭に入れておかなければならないのは、当時の「国際情勢」である。マラドーナが活躍した時代は、まさに「冷戦崩壊」の直前と直後である。

「冷戦崩壊」を経済学の観点からみると、資本主義が一気にいわゆる「東側」に広がったとまとめられる。東側に「サッカー」という巨大なマーケットが西側に開かれたのである。ここに、「神の子マラドーナ」というイメージが売られたのである。

世界的スーパースターが誕生した。そして、これは世界のサッカー界が望んでいたことである。しかし、マラドーナの方は、このことに対して無自覚であった。現代のスポーツ選手は、自分が何を売っているか、明確に自覚している。イメージである。SNS等をうまく活用していることからも分かるであろう。

マラドーナは、このことに早く気付くべきであった。しかしもう既に「クスリ漬け」で手の施しようがなかった。意外に思われるかもしれないが、マラドーナほど早くそのマネージメント会社が作られた選手はいなかった。

アルゼンチンから、スペインのバルセロナへの、当時最高の移籍金700万ドルは、彼の親友であった代理人ホルヘ・チテルスピラーが成し遂げたものであった。そして、チテルスピラーは「マラドーナ・プロ」というマネージメント会社作り、そこでコカ・コーラを始めとする世界的な会社とスポンサー契約をする。

一見、順調なように見えた「マラドーナ・プロ」であったが、マラドーナの浪費が始まると資金繰りに困ることになる。そして、いよいよ「コカイン」がマラドーナを襲い始めるようになる。

バルセロナでの苦い思いの果て、移籍したのは、まだマフィアが街を取り仕切っていたイタリア・ナポリである。ここで、マラドーナはマフィアの手の内に落ちてしまう。

マフィアから自らの望むものを何でも手にできるようになった、マラドーナは、「マラドーナ・プロ」とその取り巻きを捨て、新たなマネージャー兼何でも係を雇い、新しい会社を作ることになる。

この時点で、もうマラドーナは完全に「コカイン」に体を乗っ取られ、試合後から水曜日の朝まで「パーティー」三昧の日々を送ることになる。練習といえば、日曜日の試合までにコカインを体から抜くことであった。

その中、マラドーナは伝説の1986年メキシコW杯を迎えることになる。かの有名な「神の手」と「5人抜きゴール」が生まれた「イングランド戦」である。私は、当時の記憶がないので初めて知ったのであるが、「神の手」と「5人抜きゴール」は同じ試合で起こった。

この好対照なゴールは、もちろん当時物議を醸した。しかし、あまりにも対照的なゴールのため、私のような後からの世代からすると、歴史としては切り離されて語り継がれていったのだと感じられる。

結局、マラドーナはこのW杯を優勝することになるが、「コカイン」とは手を切れず、自堕落な生活を続けた。そして、「冷戦の崩壊」である。このとき、サッカー界は新しいマーケットであるアメリカと東側諸国に売る「アイコン」を探していた。

もちろん、白羽の矢が立てられたのは、スーパー・スター「マラドーナ」である。しかし、彼の体はもうボロボロで、私生活も完全に破綻していた。それでも、イタリアW杯決勝戦まで進んだのであるが、イタリア国民はもうマラドーナのスキャンダルには飽き飽きとしていた。

地元ナポリで行われた決勝戦では、ブーイングされ、マラドーナのイタリアでの地位は地に落ちた。さらに、W杯後、麻薬の使用・売買の容疑で、訴追される。司法取引をし、収監されることはなかったが、イタリアサッカー界からは、15か月の出場停止を受け、イタリアではプレーできなくなった。

長くなったが、いよいよ1994年のW杯に至る。そして、上記したように、「コカイン」によって大会から放逐される。その後、FIFAからも15か月の出場停止を受け、国際舞台でもプレーできなくなる。

以上は、マラドーナの「クスリ」問題の歴史であるが、この他に「女性関係」の問題、そして「私生児」の問題が、同時進行で起こっている。

これだけの問題を抱え、それでもW杯優勝までしたディエゴ・マラドーナという選手をどのような尺度で評価すればいいのか、は全く分からない。彼は、本当に「神の子」だったのかもしれない。

ギリシア神話のゼウスも完全なる存在ではない。逆に、完全なる存在ゆえ、浮気もするし、他の神々に悪事を働いたりする。そして完全なるゆえ許されるのである。マラドーナは、このような意味での「神の子」であったのかもしれない。

以上、おおざっぱに本書をまとめてみたが、興味があったら読んでほしい。


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