前、書いたように、僕の長年の愛読書は華厳経の英訳です。
英訳にチャレンジする前にも、現代語訳を探したけど古本が見つからなかったり、国訳大蔵経という、漢文原文に日本語で訓読と送り仮名を付して加工したもの(つまり漢文書き下し文)を購入してみて読んでみたり(詳しく覚えてませんが4巻中3巻だけ買えたけど古本屋で20000円以上した記憶があります)しました。
漢文書き下し文で良い感じに読めるお経ももちろんあります。『般若心経・金剛般若経 (岩波文庫)』とか、『浄土三部経 上: 無量寿経 (岩波文庫)』、『浄土三部経 下: 観無量寿経・阿弥陀経 (岩波文庫) 』とか。
華厳経の前は、上記三冊の書き下し文箇所を繰り返し音読してました。
悩みごとや心配ごとが良い感じにほぐれるので、これは良いと思い、もっと大部のお経を読みたいと思って選んだのが華厳経でした。
しかし、華厳経の書き下し文に関しては、20ページも読めませんでした。とにかく眠い。集中力が続かない。理由は、岩波文庫のときのようにうっすらとでも内容が取れていなかったためかと思います。
そういった経緯で、華厳経に関しては英訳で読むことにしました。前回書いたように、その英訳が抜群に良くて、結果、10年近く経った今でも愛読書です。
ふと、華厳経の漢文で読み取れていなかったのは、どういった内容かなあと気になり、以下のようなメモを書いて、華厳経の全39章の目次とその英訳を和訳したものとを並べて検討したことがあります。左側が原文、"-"(ハイフン)後の右側が日本語訳です。
僕が英訳で読んでいるときは、おおよそ右側に書いた和訳のように読めています。
品は「章」とか「巻」の意味。ざっと見てみると、普段使っている漢字なのに、このような意味があるなんて知らなかったというものがずいぶんたくさんあります。とりわけ日常語っぽいのに、現代日本語では全然違う意味が結構混じっているのが泣きどころです。
日本には、日本人が漢文で書いた思想書や公的文書などがたくさんあります。英語訳を通して、空海とか、鎌倉時代の僧侶が漢文で書いた思想書などを読んだこともありますが、普通にすごい。
こういった書籍に原文でアクセスできるに至らず、一生を終えるかもしれないと思うと、かなり残念に思っています。