首里の馬/破局、芥川賞の作品を読んで~芥川賞にもドラマがあります
「首里の馬」高山羽根子
受賞のことば、がとてもよかった。
「この困難な社会情勢の中で、
自分ごときがなにを、という思いは強くあります。
できることは、今までも、これからも変わらずとても小さなことです。
自分の小説の中に書かれている人はいつも、
大きなことをしでかしているようでもあり、
なんの役にも立たないことをしているようでもあります・・・」
自分ごときが、といういきなりの表現が今の世情を表していると思った。
自分ごときが、と思っている人は多いと思う。しかし、受賞のことば、は こう続く。
「でも、この大変な、たいていの場合においてひどく厳しい世界は、
それでも、生き続けるに値する程度には、ささやかな驚異に溢れていると思うのです。
ときにはびっくりするくらい美しかったり、
胸が締め付けられるくらい愛おしかったり、
思い出していつまでも笑ってしまうくらいこっけいだったりします」
とある。
最初の自分ごときが、という表現には、やや現実に辟易しているように感じたのですが、そうではない、厳しい世界のなかにも美しいこと、愛おしいこと、おもしろいこともあったりと、やや肯定的になっている。
「首里の馬」を読む前に、この受賞のことばを読むことで、なにかしら親近感がでで、読み進めた。
とても読みやすい文章で、複雑さはなく集中して読めた。
集中して読まないといけない事情もあった。
なかなか気分転換がてきなかった時期があり、
この作品を読むことで、また読むことに集中することで、
仕事のことを忘れられたし、首里の馬に没頭できた。
主人公の未名子は、なにかしら集団生活にとけこめず、といった感じ。
これも現代、今らしいと感じた。
そんな自分でもとけこめる、馴染めるところがないかと、たどり着いたのが「沖縄及島嶼資料館」だ。
おもな舞台はこの資料館とカンベ主任が責任者をする職場、そして自宅である。資料館での彼女の仕事は、とても単調。
明日に続く。