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60.日本のクリスチャン偉人「内村鑑三:イエスと日本のために―内村鑑三が語った「二つのJ」」

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前回から聖書・キリスト教の出会いが人生の転機となって偉業を成した日本人を紹介してしますが、
今回は「内村鑑三」という人物について、2つ目の記事を書きます。

内村鑑三の思想を語るうえで欠かせないキーワードが「二つのJ(Jesus and Japan)」です。この言葉には、彼がキリスト教信仰を深める中で、日本という国をいかに愛し、同時にイエス・キリストを最も大切にしていたかが凝縮されています。この記事では、この「二つのJ」に込められた彼の人生哲学と、それが私たち現代人にどのような意味を持つのかを探っていきます。


<「二つのJ」の背景――信仰と愛国心の両立>

内村鑑三が「二つのJ」という言葉を提唱した背景には、当時の日本が置かれた特殊な状況があります。明治時代、日本は欧米列強に追いつこうと近代化を進めていましたが、その中でキリスト教が「外来の宗教」として疑いの目を向けられることが少なくありませんでした。特に、天皇を神とする国家神道が形成されつつあった中で、「外国の神を信じる」ことは「非国民」と見なされることもあったのです。

そんな時代にあって、内村鑑三は「イエスを第一に、日本を第二に」という信条を掲げました。この言葉は、彼がイエス・キリストを信仰の中心に据えると同時に、愛する祖国・日本を大切に思っていたことを示しています。彼にとって、信仰と愛国心は矛盾するものではなく、むしろ信仰を通じて日本をより良い国にしたいという強い願いが込められていました。

<「不敬事件」との向き合い>

「二つのJ」が試された象徴的な出来事として、「不敬事件」が挙げられます。これは、内村鑑三が第一高等中学校(現在の東京大学教養学部)の教員をしていた時に起こった事件です。彼が天皇への忠誠を示す「教育勅語」に頭を下げなかったことが問題視され、激しい非難を浴びました。

この事件は、内村にとって非常に苦しいものでした。しかし、彼は信仰の立場から「神以外のものに頭を下げることはできない」として、自分の行動を一貫して正当化しました。この決断は、当時の社会から孤立するきっかけにもなりましたが、彼自身の信仰の深さと「二つのJ」の実践を象徴するエピソードでもあります。

ここで重要なのは、内村が天皇を批判したわけではないという点です。むしろ彼は、天皇や日本を心から敬愛していました。しかし、彼にとっては、「神に従うこと」が最優先事項だったのです。この姿勢が彼の生き方全体に表れており、「二つのJ」は単なる言葉ではなく、内村の信仰と人生そのものでした。

<無教会主義と「二つのJ」>

内村鑑三の思想を語るうえで欠かせないもう一つのテーマが「無教会主義」です。彼は、当時の日本に広がりつつあった西洋型のキリスト教会に疑問を抱きました。教会の組織や形式に縛られるのではなく、個人が直接聖書を読み、神と向き合うべきだと考えたのです。

無教会主義の根底にも「二つのJ」の精神が流れています。イエス・キリストの教えを第一に考えつつ、それを日本の文化や社会に合った形で生きる――この思想が、多くの人々の共感を呼びました。内村の信仰のあり方は、当時の日本におけるキリスト教の受容を大きく広げることにつながったのです。

また、内村は雑誌『聖書之研究』を創刊し、信仰の重要性や聖書の教えを発信しました。この雑誌は多くの読者に影響を与え、内村の無教会主義は一つのムーブメントとなりました。ここでも「二つのJ」の精神が貫かれており、信仰と愛国心の両立が実践されていたのです。

<「二つのJ」が現代に伝えるメッセージ>

内村鑑三の「二つのJ」は、現代を生きる私たちにも多くの示唆を与えます。特に、以下の3つのポイントが挙げられるでしょう。
1. 信仰の優先順位を考える
内村鑑三は、「神を第一にする」という信仰の優先順位を決して揺るがせませんでした。現代の私たちも、多忙な日々の中で「何が本当に大切なのか」を見極める必要があります。内村の生き方は、その指針となるでしょう。
2. 愛国心とは何かを問い直す
内村は、日本を深く愛しながらも、盲目的な愛国心には陥りませんでした。むしろ、信仰に基づいた批判的な視点を持ち、日本が真に良い国になることを願って行動しました。私たちもまた、自国をどう愛し、どう向き合うべきかを考える必要があります。
3. 個人の信仰を大切にする
無教会主義が示すように、信仰は形式や組織に縛られるものではありません。神と自分自身の関係を深めることが、内村の思想の核心でした。この姿勢は、現代人の「スピリチュアルな探求」にも通じるものがあります。

<聖書の言葉に見る「二つのJ」>

内村鑑三が「二つのJ」を語る中で、彼が大切にしていた聖書の言葉をいくつか紹介します。
• 「まず神の国と神の義とを求めなさい。」(マタイによる福音書6:33)
この言葉は、内村の信仰の中心となるものです。彼は常に「神を第一に」という考えを実践しようとしました。
• 「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マタイによる福音書22:39)
内村は、この愛の教えを日本社会においても実践し、他者に仕えることを重視しました。

<終わりに>

「二つのJ」は、内村鑑三が生涯を通じて追求した信仰と人生のテーマでした。イエス・キリストへの揺るぎない信仰と、愛する祖国・日本への尽力。この二つを一貫して追い求めた彼の姿勢は、現代においても深い感動を与えてくれます。

次回の記事では、内村鑑三がどのように困難に立ち向かい、信仰を支えにして生き抜いたのか、現代に生きる私たちが学ぶべきポイントを掘り下げていきます。

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