日記帳や手帳を毎年半分も埋められない私の3年日記(1年目)
つまり私は熱しやすく飽きっぽいのだ。毎年年末になると、かわいい手帳や日記帳を買っては「さて今年こそ使い倒すぞ」と意気込んでみるものの、半年も続いた試しがない。年末の雰囲気に浮かされて、来年こそは!なんて思っても、次第に手帳は持ち歩かなくなり、日記は隅に埋もれていく。購入時は一応やる気があるので、過去の反省を活かしてさてどんなものを買えば続けられるかと考え、大きくて薄いものや細長くて分厚いもの、マンスリーだけのもの、ウィークリーの欄を日記帳がわりにできるもの、様々試した。大人っぽい革装丁のものや、好きなディズニーキャラクターのときもあった。しかしどれも続かない。最近はスケジュール管理できる優秀なアプリが出てきたので、去年からはとうとう手帳を買うことをやめた。
そうしてあの手この手で自分の飽き性に振り回されてきた私が、3年日記なんて持て余しそうなものをわざわざ買うに至ったのは、「2020年」という年に特別な思いを抱いたからである。
昨年末、私は不妊治療の最終ステップである体外受精に足を踏み入れていた。体外受精というのはつまり、体の外で受精させた卵を体の中に戻すという治療で、卵を戻すのは年明けに決まっていた。長くなるので割愛するが、これがまた色々大変で、その記録を文字で残しておきたいと思ったのが1つ。それをわざわざ3年日記にしたのは、2年目3年目を書く頃私のところには赤ちゃんがいて「あの時は大変だったな…」としみじみ思い返したりして!と妄想したかったから。あとはまあオリンピックもあるし、2020年というキリのいい数字でもあるし、そんなこと考えてたら本屋さんで好みの装丁の3年日記を見つけたりして、ええいままよ!と購入してしまった。
さて、わざわざnoteに書いたということは、進捗がまあまあ良いということだ。まだ1年目ではあるけど、今のところ1日も欠かさず記録をつけている。いや、「欠かさず」というには数日空けてしまい慌てて埋めたりすることが日常茶飯事だし、書くこともやることもなさすぎて「ずっと寝てた」みたいな日もあるけど。それでも全部埋まってるし、書き足りないときはメモ欄を使ったりしている。飽き性の私からすれば大進歩だ。過去の私にドヤ顔で見せびらかしたい。たまにページをめくってすごいすごいと悦に入っている。
なんならオリンピックは延期になったし、未知のウイルスで日々不安だし、そのせいで不妊治療まで延期だし、父親は大病するし、イベントには事欠かない。日記を書いていてよかったと思う。思い出の音楽と一緒で、当時の言葉をなぞるとその時の気持ちが思い出せるから。きっと来年、再来年、気が向けばもっと先も日記を続けていければ、私の気持ちは文字と一緒に降り積もっていくのかもしれない。忘れたくない2020年の私。とりあえず、今年は分岐点になるなあと感じた気持ちは、間違ってなかったのかも。