「何が響くかわからない」・・・震えと連想
前回ご紹介したクライアントCさんとのセッションで、もう一つ印象的なシーンがありました。今回はそのセッションでの出来事についてお話ししたいと思います。
よくカウンセラーがやることですが、身体反応をつかまえたセラピストから「今どんな感じがしますか?」とクライアントに聞くというやり方です。しかし、クライアントが、身体感覚に伴う自分の感情を言語化することが難しいことも少なくありません。
そうしたときには、身体反応から連想する言葉を10程度、短時間に連想して、リストアップしてもらうと効果的な場合があります。リストアップした感情の言葉の中から、もっとも身体反応にぴったり合うものを選ぶのです。抑圧された感情は特有の身体反応を起こすのですが、その感情が認識されると、身体反応は消えていきます。
しかし、それでも感情の言葉を思い浮かべることができないクライアントもいます。そうした場合、セラピストも連想に加わることもあります。クライアントとセラピストで交互にクライアントの身体反応から思い浮かぶ言葉を述べ合うのです。
解離性同一性障害のクライアントCさんは、前回お伝えしたように、交代人格がその当時時確認できた限りでは30人程度の交代人格がおりました。そして、主人格は、小学校から中学校卒業あたりまでの記憶をほとんど思い出すことができませんでした。
彼女とは、その頃までに、途中中断も含めて3年、原則週1回のセッションを行ってきて、なんとか自殺に向かう衝動は抑えるなどの危機回避をすることはできていたのですが、人格の統合に進むことがなかなか困難な状況でした。ただ、どの交代人格も、セッション中に表に出てくれば、私と話をしてくれました。
主人格は、常ににこにこ笑みを浮かべているのですが、少しでも辛い記憶を思い起こさせるような話題になると、別の人格に代わってしまうのです。交代人格それぞれには、担当する感情がありました。絶望的になり自殺願望のある人格や、怒りを外に向ける暴力的な人格や、恐怖で凍りついたような子どもの人格や、無邪気で好奇心旺盛な子どものような人格や、自由奔放なアーティストのような人格などがありました。
そうした交代人格同士の記憶の共有は基本的にありませんでしたが、たたひとり(交代人格)だけ、それぞれの人格を眺めているけれど、決して表に出てこない交代人格がいました。その人格はトレースと呼ばれていました。トレースは、それぞれの人格について、その特徴と考え方や行動の傾向を記すノートを作っていました。そのノートがあるので、知ろうと思えば、それぞれの人格が何をしていたのかがわかるようになっていました。そのノートを参考にして話し合うセッションを続けたところ、主人格は、次第にいろいろな人格に興味を持つようになっていきました。
ある日のセッションのとき、Cさんの主人格が、断片的な中学時代の記憶を語り始めました。ストーリー性もなく、ストップモーションのような記憶で、その記憶内容そのものからの情報はほとんどありませんでした。しかし、その話をしているとき、クライアント(主人格)の左の指先が、ほんの僅かですが小刻みに震えていたのです。セラピストが、指の震えについて「左手の指がかすかに震えていますね」と伝えたところ、指先の震えが大きくなり、それは手を激しく振る動作になっていきました。Cさんは、「なにこれ?面白い~」と笑っています。
「この手は、何を訴えようとしているのでしょう?」と、Cさんに問いかけるのですが、Cさんの答は、「わかりません〜」でした。
そこで僕は、連想する感情の言葉を交互に言い合うことを提案しました。クライアントがどうしても連想する言葉を思い浮かべられなかったので、最初の言葉は僕が発することにしました。最初の私の言葉は、「怯え」という言葉でした。その言葉に触発されたのか、クライアントもすかさず別の言葉を言い始めました。そして、何回かのやりとりのあと、「怒り」という言葉がクライアントから出てきたとき、手の震えに変化が起きました。さらに激しく手が震えだしたのです。でも、クライアントによれば、「『怒り』は、なんか違う」のです。次に発した僕の言葉は、「敵意」です。
そのとき、Cさんの激しい手の動きがピタッと止まりました。Cさんによれば、手の先から胸の方に、黒い泥流のような嫌な感覚が流れてきたと言います。
Cさんは、「敵意」という言葉は知っていましたが、「敵意」とはどのような感覚なのか理解できていなかったのです。でも、この「黒い泥流のような嫌な感覚」が「敵意」という感覚なのだということを、Cさんは、その時理解したのでしょう。
そのセッションの1週間後、Cさんに劇的な変化が起こりました。次のセッションまでの間に、主人格は、小学校から中学校卒業までの記憶をほぼ取り戻したのです。これは、10人近い交代人格が主人格に統合したことを意味しました。主人格の中に、「敵意」に関連する感覚を担当していた交代人格が、すべて統合したのです。
その後も、Cさんとのセッションは続けたのですが、このセッションの1年後には、人格をひとりに統合することができました。最初のセッションから4年が経っていました。