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大好きなすかいらーくを退職しました

昨日2020年3月31日が最終勤務日でした。

このご時世ですから送別会は無し、でもたくさんの方に見送ってもらいました。みんなの言葉を受け止めながらポジティブタイプな僕は「あ~、自分は本当に良い仕事をしたんだなぁ」と自己陶酔しつつも実は実感がありません。15年の年月はあまりに長く、一晩で切り替えができるような時間でもありません。

なぜ退職をするのか

辞める決断に一番驚いているのは自分かもしれません。能動的に転職活動をしたことはなく、15年間で受けた他社の採用面接は1社だけです。年に1回ほど人材紹介のエージェントに会って自分の市場価値をほんのり確認する程度。

好きな仕事があります。新しい事を始めて仕組み化、収益化をすること。新規出店、新規事業、新規ブランド、新しい取り組み、新しいマーケティング手法・・・すかいらーくで体験できた「新しい」チャレンジがクセになりました。ゼロイチの仕事を色々な環境でやってみたい、あえていうならそれが退職の理由です。

すかいらーくで体験できた3つのステージ

ひとえに15年といっても実はやっていた仕事は様々。3社目の中途入社でしたが、最初は店舗勤務から始まります。お客様のことを知らずして他のどの業務もできない、という思想はすごく正しいと思っています。

初任地は宮城県の古川市(現大崎市)のバーミヤン。アシスタントマネジャーとして接客、調理のオペレーションや店舗経営を学びます。経営だのアルバイトスタッフとのコミュニケーション術だの、クレーム対応の手法だの随分勉強した記憶があります。15年間で最もインプットした時期だった気がします(笑)

店長職は学びの宝庫でした。従業員35人の中で正社員は自分だけ。ほかの34人はパート・アルバイトです。マネジャーの仕事は教育と決断と言われますがまさにそれ。自分ひとりでは何もできないので、業務を分配してトレーニングをして組織化し、自分と同じ基準で判断できる人を増やすのがお店作りの鍵でした。楽しかったです。高校入学して間もなくアルバイトを始めて社会常識も知らなかった子が2年経つと立派に後輩たちに指示を飛ばせるようになる。学生アルバイトを成長させてあげるのは小売店の地域貢献の一つだとも思ってます。
飲食店の良いところは目の前にお客様がいるところ。料理やサービスをどんな表情で体験しているかが目に見えてわかるのです。お客様をよく見て過ごした事、人件費とオペレーションの関係を熟知できた事がのちのマーケティングで活きたのは間違いありません。

その後本部に異動し初めての東京暮らし。インストアメディアという新規事業をやりました。店舗内をメディア化して販売しており、広告媒体を売るお仕事です。50分の滞在時間を活かしてテーブル周辺でアプローチができるのは価値がありますよね。しかも子供連れも多いファミレスです。テレアポして訪問して提案して・・・というBtoB営業をすかいらーくで体験できるとは。


そこからマーケティング本部に異動し今に至ります。ここでの仕事が人生を変えたわけですが、自分がこだわってきたポイントが2つあります。

食事の場以外の価値を伝えたい

テーブルが広くてでドリンクが飲み放題でWi-Fiがあって、全国各地に「場所」を持っているって実はすごい事だなぁと。ご飯を食べるだけでなくて色んな動機を作ることで多くの来店機会を作ろうと。ゲームしたり、好きなアーティストのグッズを集めに来たり、赤ちゃんの外出デビューの場になりたいなと。

↑↑店舗にビーコン設置して店内でのみオリジナルキャラクターをゲットできるスマホゲームタイアップ。
↑↑撮影でご本人たちに会えたし、とにかくモノノフのみなさんが良い方々で感動したキャンペーンでした。

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↑↑サバンナ高橋さんとワイプで共演。のちにご本人との対面も果たしました。
↑↑赤ちゃんは泣いてもいいんだよ。それをプロモーションではストレートに言いにくいので、どう伝えるかは永遠の課題かな。

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↑チームメンバーのRさんが仕込んだPUBGのeスポーツタイアップ。当たり前ですが暴力テーマは絶対NG。「いえ、死という概念はありません。白い箱になって味方の役に立ちます」みたいな説明を社内で3回くらいしたのが良い思い出です。

脳内シェアを増やしたい

一方で主役はもちろん料理です。バーミヤンのプロモーション担当だった時のこと。数ある施策の中でもクーポン施策は効果も明確だったので「たくさんクーポンを使ってもらう方法」を考えていた折、社内試食会でラーメンを食べた時に大きな思想転換が起きたのです。

こんな美味しいラーメン・・・値引き以外の方法で売りたい!

年間4億人に使ってもらっていて認知度はとても高い。一方で日常的過ぎるので目的的に利用されにくい悩みもありました。選ばれるために必要なのは脳内シェアを高めて思い出してもらうこと。ビッグニュースが無くたって、新商品がなくたって「こんにちは」と声をかければ思い出してもらえるはず。その手段としてSNSを選びました。

企業公式のSNSアカウントを作ったのは2017年夏。本格的にマーケティング施策として取り組むべきとアピールして11月にSNSを中心にコンテンツをマネージメントするチームが新設。新しいチャレンジがクセになる・・・まさしくそんな体験でした。

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↑↑ツイッターはモーメントとリアルタイムこそ重要だと、当時の社長と丸1日キャンペーン告知の行脚をしました。
↑↑公式ツイッターの活用が僕の今後の人生を大きく動かします。広告とは異なる毎日の切り口、双方向のコミュニケーション、時には想像を超える奇跡のような事も起こりました。
↑↑テレビでもずいぶん取り上げられて、放映直前に慌てて上司に顛末を説明しにいったものです。

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↑↑外食って日に3回、週に21回もチャンスがある。競わずに手を取って外で食べる楽しさを伝えていこうぜ!的なことが5人の共通認識。


自分ひとりでは何もできない

15年を振り返るとやっぱりそこにたどり着きます。延べ500人以上のクルーさんと働いた店長時代。これ一緒にやりません?とざっくりな提案にも乗ってくれた他社の公式アカウント中の人たち。ツイッターの基本を教えてくれていつも伴走してくれたガーブーやTwitter Japanのみなさん。あれやりたいこれやりたいにも後押ししてくれた職場の上司、いつも一緒に戦ってくれたチームメンバー。同じマーケティングを生業としているのに、仕事の話もせずに食べたり飲んだりラグビー観たり、サバゲーしたり、リレーマラソンしたり、サウナでトトノったり、トランポリンで跳ねたりしてくれた他社のお友達各位。

人に恵まれた15年間でした。
ありがとうございました。

もしみなさんが困った時は次は僕が助ける番になりたいです。

↑↑静止画よりも動画の方がエンゲージが圧倒的で出会えてよかったです。
↑↑ツールの導入きっかけで出会って、そこからもっと深くて楽しいことが始まりました。

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↑アオハル的な思い出。ツイッターのアレコレを一緒にやったみんなでたすきを繋いだリレーマラソンに出たり。

退職を決断できたのは心配なく引き継げる人がいるからこそ。公式アカウントの立ち上げからずっと一緒にやってきたRさんはきっと僕ができなかったこともちゃんとやってくれます。寂しいけど、何も心配してないよ。ありがとう。

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↑ツイッターを始められたり、続けられたのはこの方々のおかげです、ほんとに。そしてここにはいないけど最後の上司だったTじもとさん。

これから

少しの間はニート生活。自宅にこもってドラゴンボールと北の国からと幽遊白書とタッチ全部みて、落ち着いたら次の仕事のことをお伝えします。
おわり。

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