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陰陽道&数秘術から冬至以降の過ごし方
22日の冬至にあたって、しあわせ講座
で学んだ二十四節気を基に来年に向けての目標を改めて決めるのですが
今年は何かと学ぶ機会や場を与えられる事が多いのですが、ほぼほぼ心についての内容が多く、知らない事は素直に受け入れようという事でここ1年は特に自分を問う、見つめなおす、あり方を決める
という内容が多かったのが、今まで軽視していたのとこれから必要になってくるのだというお導きと思うようにしております。という事で学びの内容もどんどんこれから出していきたいと。
岸先生から教えて頂いたのは2018年は 「戊戌年」(つちのえ)
陰陽五行でいうと、戊と戌は、ともに『陽土』に分類
同じものがふたつ重なることを比和といい比和の年は、徹底的に幸せ、または不幸せになりやすく、大改革の年ともいわれています。これまでのルールや慣習などを捨て、新しいことを行う年
そして、冬至のタイミングは「一陽来復」といい、これからどんどん良いことがある運気上昇の日ともいわれこれから太陽が昇る時間が増えていく節目の日
かなえたい夢や目標を確認する
冬至の日は太陽が、再スタートをする日
太陽と一緒に、自分の夢や目標を再確認して、自身もスタートを切ってみる
逆に避けた方がいいのは愚痴、悪口
太陽がこれから強くなる、力の強い影響力のある日に言葉にチカラが宿るのがマイナスな言葉だともったいない。
昔、冬至はその昔「死に最も近い日」といわれ
陰陽思想で言えば「陰」が極大、「陰極而陽生(陰極まって陽生ず)」
つまり、陰が極大化すると、一転して陽となる。
だから冬至の別名が、「一陽来復(いちようらいふく)」と言われているみたいです。
これから太陽がどんどん主体になっていく季節になるので今までは内側(自己の内面)を見ていたものを外側に出す時がきた!という事で太陽が出てくる時に合わせて魔女もユールの祭典の時期にあたります。。(笑)
要約するとキリスト教伝来以前のゲルマン民族の祭りでミトラ太陽神のミトラ教だったような。詳しくはこちらにて
いろんな教義や説に依存する訳ではないのですが、何故かお会いする方、集まる場がそういう事に興味を持った方が多く、1つに固執せずいろんな角度から物事、世の中を楽しく見て引き出しネタが多くなれたのは良かったです。
知識というより、知る事でより生活を充実し、仕事お金人間関係といろいろある悩み事に対して、少し違う角度からアプローチできる事によって1コでもしあわせ、楽しいそんなつながりに持っていければと
特にその辺りは釈老師との日々のやり取りにおいて学ばせて頂きました。
老師の強い思いの中には下記の様な現実に起こっている事に対しての宗教家の体たらくぶりを嘆く事が多く
本来、釈尊が行い続けた講話、対話を続けていこうと、そして残りの人生の活動を絞って展開したい!と熱い想いを語って頂いたのがきっかけで今に至るのですが
●政治家の不正、腐敗
●グローバル企業や各国利権企業の搾取、支配、業界関係先への取引圧力
●宗教家の堕落や腐敗
●社会活動家や人権活動家の机上の空論(難民、福祉問題の解決に至らない)
現実にこれらの現状がある中、実利と心を経験し学んだ人間こそが草の根的に活動していこうという想いで活動しております。加持祈祷だけではどうしようも解決出来ないこともあり、現実の悩みに対して宗教家の言葉で本当に助けに至らない事もたくさんある。
だからこそ、今悩みを抱えている所に少しでも光を指し示す事が大切と。
今年、老師の活動の代表に任じられた事も大きな出来事の1つなのですが、肩書きの前に少し大きなマクロの視点で物事を見ていく事が、仕事の中でも作業とお金、サービス:対価の領域から
業界ってどうなの?AIがきたあとはどうなの?そんな業界をどうするか、ライフスタイルはどうなるか=2年後、3年後うちの会社はどうなるかの話になる機会が多くなりました。
+深く考えさせられる事も多く
いつも、学びはやはり実生活や仕事で活かせるか否かの視点が重要だと思っているのですが
現代では物質的な、金銭的な幸せを求めなければ生活がなりたたないのと比べて古代人にとっての幸せは「創造」子孫繁栄していくこと
古代の日本は八百万の神で朝起きればお天道様に手を合わせごはんのときにも手を合わせ、生きていくためには、自然と一体になって共存していかなければいけなかった(自然の神様に生かされてるんだって感謝を捧げるために)
を説いていくと、古代から伝わる教えの中に金銭的価値、金銭的な幸せは無かった。
その価値の部分を現世でのしあわせ感に照らし合わせて解釈し、仲介出来る役割が求められる所であり自分自身が目指すべきところでもあります。
+α思風先生もよく取り上げるベルクソンも近しき事を言っているのですが
神秘主義の極致は、生が顕わにしている創造的努力と触れ合うこと
神秘家こそが、ともすれば創造を拒みがちな人間社会にあって、「神の働き」を感知し、それを発展させる触媒のような存在
フランス革命以降の進歩主義者が信奉する自由や平等の追求は、個に立脚するばかりで人間の宿命的社会性を軽んじる”革新性”でベルクソンの生命の定義は「無際限に続く進展の連続」これを
エラン・ヴィタールという用語で「生命進化の根源となるもの」のコンセプトを提唱
「生命の躍動」、「生の飛躍」、「生命の弾み」
↓
生命はその起源から、唯一の同じ弾み(elan)が連続しているもので、この弾み(elan)は分岐する進化の複数の線に分かたれた。(『創造的進化』P80)
万物の根源を宇宙的な生の飛躍(elan vital)としてとらえ、世界を不断の創造的進化の過程としてとらえた。(小林道憲『複雑系の哲学』P69)
生成する世界は絶え間なく新たなものを生み出し変化し続ける。そこには生命の躍動(elan vital)があり、予見不可能な創造性と不確定性があり、そこに自由がある。
世界は創造的進化の過程であり、生命の躍動(elan vital)の軌跡である。(『複雑系の哲学』p205)
いろいろと書いてみましたが、感性論からベルクソンにつながり、ベルクソンの思想からケンウィルバーにつながってトランスパーソナル心理学になり、ディーパックチョプラにつながり、ウィッパサダー瞑想になり、数秘術につながるという何かつながりがつながりを生んで
自分を見つめなおすだけでもいろんな学問に触れる機会があったことが有難く、それを受身で聞いて満足から実践して実証して体験にする(=財産にする)を自らが行って、周りの方々の財産にもつなげていく
そんな事を考えていた今年の冬至でした。