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擬態する感情

時に我々は感情に支配される、パブロフの犬のように、無意識に誰もがそう振る舞うが如く。感情からすれば、日々の我々の感情こそが存在意義に他ならぬのだから、それを押し殺されては堪らない。

だがしかし、感情がどんなに意気込もうとも、感情は感情以外にはなりえない。スマホの中にある沢山のアプリ一つが、どんなに頑張っても結局アプリに過ぎぬように。

しょせん感情など自分にとってただのファッションに過ぎない、感情があたかも自分を形成する大事な要素であるかのように誤解しがちだが決してそうではない。

どんなに日々感情に一喜一憂させられたとしても感情はただの感情なのだ。旬を過ぎ着なくなった洋服のように、早めに手放すに限る。

そういえば物を大切にすることと、自分の感情を後生大事にするのはなんだか似ている。いずれも執着に属しているからだろう。

物や人、過去や感情という執着を自ら手放せたとき、ようやく偽らざる自由を手にできるのではないだろうか。

自身の尊厳やアイデンティティがどこにあるのか、今一度心落ち着けて考えてみたい。

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なすの
ここまで読んでくれたことに感謝。 これからも書くね。