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私はnoteで種を蒔いていた、ソースは高次元の人々

私は記事を書く最中、
『余計なお世話なことを言っているかもしれない』
そう薄ボンヤリと思いながら書いている。

私は仕組みが好き、ですからついつい文章が説明的になる。人間はときとして、結果を重視しがち。でも私は昔からその過程であったり、根源的な部分に惹かれるのです。

意見の押し付けにはならないだろうか?
かえって混乱の種を蒔いているだけなのでは?

そうした思いの中で気づいたのです、そもそもこの記事にたどり着いた時点で、その結果自体には意味がないことだって。つまりは、読んだ方がどのように思うかは無意味だということ。

この人はこのようなこと信じているのだろうか? 可笑しな人だとか。

この人はすごい!わかっている! とか。

書いてある内容の一つもわからないとか。

そもそも文章が下手すぎて読む気にもならないとか。

読んでくれた人の数だけ何かしらの種が生まれるということ。

もうそれだけで十分だったのです。

そもそもnoteをはじめた際には本当に何も考えずに書きたいことを書きたいときに書いていました。

何の意味もないことだったのです。

やがて、読んでくださった方からレスポンスがいただけるうち、ようやく色々な実感が湧いてきたのです。

noteで書き続けていたからこそ気づけたのです。
どうやら私は、これまでただ種を蒔いていたのだということに。

エササニのバシャール

私が種蒔きの人であったと気づいたとき、高次元の存在であるという人々の言っていることが腑に落ちたのだ。

にわかに信じがたいことですが、この世界には地球人とのハイブリッド(50:50のDNA混合種)であるというエササニ星人という存在がいるそうなのです。

そのエササニ星人の中にバシャールと呼ばれている存在がいます。
正確にはチャネラーと呼ばれる人間を介してメッセージを送る存在です。

そのバシャールは30年以上も前から同じことを世界に発信し続けています。
これは途方もない労力であり、耳を傾ける私たちにとってはありがたいこと。その行為はあきらかな無条件の愛です。

彼らはなぜこんなにも長い間、根気強く語り続けていたのか。彼らは変えられないことを知っているからこそ、ただ語り掛けているのです。

それらのメッセージは、いつも彼らが言っている通り、わかる人だけが分かればいい、わかる人向けであるということ。そうしてようやく近頃彼らの言っていることを理解できる人が増えてきたということなのです。

いよいよ彼らの蒔いた種が芽吹き始めているのです。

その彼らから得られたインスパイアを、私のような人間が更に身近な人間にシェアしている。おそらく意識の閉じた人々は高次元とか地球外生命体とかの時点で頭から何も話を聞かなくなります。

正確には何を言っているのかさへ理解できない、もしくは文字通りに耳に入らない。でも真偽はもはやどうでもよくて、受け取り側である自分がどう感じどう思うのかだからです。

その上で自身がどうしたいかが重要なのです。

2500年前の答え合わせ

バシャールにしてもエイブラハムにしてもその他大勢の高次元の存在の言うことはいつも一貫しています。

それらの内容とは、仏教などの教義とほぼ同じ内容です。
2500年前、お釈迦様はすでに世界の仕組みや人間の仕組みを余すところなく説いてくださっていました。

お釈迦様の究極の教えとは、即身成仏であるといいます。
即身成仏、私たちは肉体を持ったままこの世界の真理を完全に理解したうえで人生を送るという意味です。

これはバシャールが言っている「エナニカ」のことです。

お釈迦様のその教えは脈々と現代へと伝わってきました。
2500年、途方もない歳月です、でも待ってください。

そんな遥か昔にすでに私たちにとっての答えが出ているのにもかかわらず、私たち人間は何をしているのでしょう?

つまり現代の人間の大半は未だに2500年前のことすら理解できるレベルに辿り着いていない。むしろ意図的にそのような在り方を多くの人間が選択しているとも言えます。

もちろんすべての情報は受け取る側の状態でいかようにも変容します。どのような真理であっても、ある人にとってはお金儲けのエンタメだとか陰謀的だとか洗脳的だとか先導的だとか新手のカルトだ宗教だとかなるわけです。

そもそも情報とは、その真偽や内容などは何の意味もないものなのです。
受け取る側が、自ら都合の良いように解釈すればよいだけだから。

どのような情報にもはじめから意味などは存在していないのです。結局は己の意識レベルに応じた理解の仕方しかできないのだということです。

そもそも世界に意味がないか、世界も答えを探している最中

でもここまで書いてきてふと思ったのです。

今私が書いているような現実を私自身が作り出しているのだとしたら?

この世界がまるで無駄に年月を重ねているように思えるのは、私自身がそのように心の奥深くで思っているからなのでは?

目の前の現実は、私の属している周波数帯によって見え方が変わります。
ということは、自分の認識している世界の正体とは、あくまでも自分が見たいと思っている世界に過ぎないのだということです。

そのことに気づいたとき、私はなぜこの一年間、noteでこのような記事を書き続けていたのかに気づいたのだ。

すべては必要な時に必要なことが起こる、これもバシャールの言葉。

すべては今ここに存在しているのに、私自身の周波数がそれらを認識できていないだけ。それはまるで自分の心の中のエレベーターの階層をその時の気分で行き来しているかのような感覚です。

自分の外に無限に広がっていると思っていた世界は実は自分の中へとフラクタル(入れ子の原理)に内へ内へと広がっているのだということ。

つまり私たちは、世界に代わってありもしない答えを探しているのであり、終わりなきシミュレーションの最中なのかもしれません。

本当にこの世界は面白いなぁ。

私が生ある限り、この世界への興味が尽きることは無いでしょう。

今日も素晴らしい一日のはじまりです。
よい一日をお過ごしください。


タイトルイラスト

ia19200102さんよりお借りしています。
ありがとうございます。

著者プロフィール

私、ナスノの簡単な自己紹介となります。
惹かれたら是非ご覧ください。

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なすの
いつも本当にありがとう。 これからも書くね。

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