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隙あらばモラハラ
どこもかしこも、目をやればモラハラ三昧。
犬も歩けばモラハラハザード。
現に今、モラハラ被害で苦しんでいる人の心境を慮るに心苦しい。
でもあえて今日はモラハラについて話そうと思う。
モラルハラスメント(仏: harcèlement moral)とは、モラル(道徳・倫理)に反した精神的ハラスメント(嫌がらせ)。モラハラと略される精神的虐待。
モラハラ被害者にならないためには、危険回避に対する意識がなによりも大切。夜の街の暗がりに安易に踏み込まないように、ひとりで怪しいお店に入らないように。
危険な場所があらかじめ予測できるなら、いわれずともだれも近寄らない。だがしかし、家庭や学校や職場など、ごく限られた閉鎖的な空間で逃げ場がない場所の場合は?
モラハラの温床はそうした場所や場面で起きやすい。そもそもモラハラ加害者は、自分の自己愛や変異性を持て余し、他者から奪うことで自分を満たそうとする傾向がある。
つまりモラハラ加害者は、どこであろうともそうしたジメジメした場所を好んで潜み、心の優しい人や立場の弱い人を待ち受けているのである。ともすれば、モラハラ加害者は相手のことなどどうでもよく、ただたんに自分の欠点を補える相手を常に求めているだけなのだ。
一方でモラハラ被害者は、どうしたわけか受けたモラハラに対し『自分のせいではないか』『自分が悪いのかも』と自責の念にかられる傾向があり、どうすればいいかわからず自分一人で思い悩んでいるうちに、学校や会社という被害現場から逃げたり、加害者と距離を置くまでに時間を要する。
加害側からすればこんなに好ましい状況はなく、少しでも獲物を傍に置くため反省の色を示すことで弱い自分を演じるなど、被害者に一層の自責の念を与え逃げ出す隙や気力を奪う。
こうしてモラハラ被害者は、蜘蛛の巣にかかった獲物のように、もがくほどに絡め捕られ容易に逃げ出せなくなるのだ。
モラハラ被害からの脱却
モラハラ被害者でいる限り、到底自分の生き方やありかたを歩めるはずもない。ですから、加害者であるサイコパス的なエナジーバンパイアからは一刻も早く離れなければならない。
そしてもう二度と、モラハラ気質の人々や家庭や学校や職場や地域に近づかないことである。
うすうすモラハラではないかと感づきながら孤独になるのを恐れ気づかないふりをしていないだろうか?
自分可愛さのあまり誰にだってか弱い自分を演じることで、周りから優しくされて特別感を味わいたいときがある。でも注意しなければならない、その瞬間をこそモラハラバンパイアは狙っているのだ。
彼らは一体どういうわけか、心が弱った人間を嗅ぎわけることができるようなのだ。世のあらゆる場所に潜み、あたかも普通の人間のように振舞う。
職業アドバイザー、セラピスト、心理カウンセラー、占い師、宗教家、中小企業の社長、どこにでも存在しえるのだ。
モラハラかも? と思い相談にいったら、そこにまたモラハラ加害者が、というように………。
被害者になりがちな人々にとって、この世は地獄のように感じられるだろう。ですがそれでも、自分らしく生きたいのであれば、自分で気づくしかないのです。
助けを求めるにしろ、はじめの一歩はどうしても自力で歩む必要があるのです。無責任に聞こえるでしょうが、気づいたうえで力強く一歩を踏み出さねばならないのです。
ある意味で、モラルハザードとは、停滞した自分の人生に起こる必然なのかもしれません。モラハラにかかわらず、自分に不都合な出来事が起こった時、一度冷静にそのことを思い返す時間を自分に与えてあげてほしい。
結局は自分次第なんて、今を思い悩んでいる人にかける言葉じゃない、いっそこの文章がモラハラだろう。それでもあえて言いたい、自分で決めさえすれば、自分らしく生きられるし、幸せにだってなれる。
モラハラを乗り越えられたからこそ、強く生きられる。
だから最後まで自分をあきらめないでほしい。
心からそう思う。そう願う。
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