私のこころの故郷、百道浜 博多ぶらぶら第4回目
私が福岡に来てまずはじめに行ったことは、市内を自転車で見て回ることでした。理由(ラーメン)はありません、ただそうしたかったからです。
そして市内探検の最後にももち浜地区を通りかかった際、ある不思議な感覚に見舞われたのです。その感覚については、うまく言えないのですがとにかく心地よかったのです。
そして現在、私はそのエリアに住んでいるのです、これは偶然なのでしょうか?
今回で私のご案内する博多ぶらぶらも4回目となりました、本日はこれまで以上にゆっくりご案内したいと思います。
それではまいりましょう、福岡ももち浜へようこそ。
百道浜エリア
百道浜地区は1980年頃より「シーサイドタウン計画」の一環としてさまざまな開発が盛んにおこなわれ、1989年にはその一画で「アジア太平洋博覧会」が開催されたことでも有名です。
その後も開発はすすめられ、現在の形となりました。
よかトピア会場跡地は住宅地や商業地、公園などとして整備され、現在の福岡PayPayドームも駐車場跡地に建設された。
サザエさん通り
ももち浜は1992年(平成4年)漫画家として初めて国民栄誉賞を受賞された長谷川町子さんゆかりの地でもあります。「サザエさん」の作者である長谷川町子さんは、幼少期を福岡で過ごしました。
長谷川町子さんは、幼年時代にももちの海岸を散歩しながら、「サザエさん」の登場人物サザエ、カツオ、ワカメなどの名前を発案したそうです。
おでかけももち、よりみちごこち
百の道の真の意味とは、人間の心の仕組みが50個の音とその力動50個の計100個であることを表しており、言霊学の教えです。
日本人なら誰でも知っている、お正月の鏡餅(鏡餅)の風習として今に伝わっているものです。つまり鏡開きとは、自らの心を開きこうしたことに気づくこと、これは天岩戸開きと同じ意味です。
昨年このことに気づいた私は、魂が打ち震えるのがわかりました。
何故理由もなくこの地に惹かれ今住み暮らしているのか、移住してより十数年経った今、その理由が明らかになったのです。
私がこうしてこのようなことにたどり着けたのもすべては、ご先祖様たちによって神社やあらゆる風習の中にそれらのヒントをたくさんの思いを込めて継承し続けてくださったお陰です。
私の場合はたまたま古事記であり、何故こんなにも日本中に神社がたくさんあるのか、そういった点からこのことに気づけました。
人は誰しも何かしらに心惹かれるものです、そしてそれに触れることでどんどん本来の自分へと近づいていけるようになっているものなのです。
だからこそ本当の自分へと巡り合える場所、誰しもいつかはそこに辿り着けるのです。
これがまさに、自らが真に惹かれることをし続けることが大切な理由です。
おわりに
これで私の博多ぶらぶらは終了となります。
いかがでしたでしょうか、ご覧いただけた皆様の心に何か少しでもインスパイアの種が残せたのであれば喜ばしく思います。
私の拙いガイドに最後までお付き合いくださったこと、心よりお礼申し上げます。
この度は「博多ぶらぶら」へのご参加、誠にありがとうございました。
(追記)コメントより大変貴重なご案内を受け、後日幾つかの写真などを追加いたしました。
Akira Nagakawaさん、ありがとうございました。
執筆後、追記
福岡市のすぐ隣に糸島市があります。
私は密かに決めているのです、糸島の海と山の間に住むと。
数年前、糸島の伊都菜彩をいくつもの幸運の後に訪れた際のことでした。
私は伊都菜彩の広い敷地の中に並ぶ地元で採れた、あるいは近隣から集まってきた食材たちの素晴らしさに感動しました。
場内で買い物を楽しむ人々の顔は皆晴れやかであり、その手に持つカゴはあふれんばかりでした。その量といえば、おおよそ一家庭で消費できる量ではないので、ご近所にお裾分けするのであろうことは明白でした。
更に私の感動をより確かなものとする出来事が至る所で起こりました。
広大な市場内の各コーナーをよく見てみると、それぞれお名前や写真が添えられており、つまりは各ブースをどなたが設営しているかがわかるようになっていたのです。
近隣の農家の皆様が直接自分のブースを管理していたのです。
その日は物凄い数のお客さんで溢れかえっており、人気の新鮮な野菜などはあっという間に空になってしまっていました。
そうした状況の中、コーナーの主が自ら空になったカゴの中へと次々野菜などを補充していたのです。
当然その様子を周りの人々は見ているわけですので、追加された商品の周りに人だかりができ、手に取りながら直接農家の方にお礼を言う機会を得ることとなります。
農家の方に話しかけている皆様は本当に嬉しげであり、お礼を言われている農家の皆様も恥ずかしがりながらも心から嬉しそうでした。
私はその情景と人と人の距離の近さに感動したのでした。
そして本来の私たちの営みとはこのようなものであると確信できたのです。
私は帰り際、その場所のあまりの心地よさに建物の柱へしがみつく思いでこの場所に住みたいと思ったのです。それは福岡に来てすぐの頃、はじめてももち浜エリアを訪れた感覚と同じでした。
だからもうこれは確定事項なのです、数年後、糸島の良さを伝えるための案内の記事を書いている私の姿が容易に想像できるのです。
おわり
この度こちらの記事が、note公式マガジン「#この街がすき 記事まとめ」へ仲間入りを果たしました。
たくさんのご愛読、本当にありがとうございます。
これまでの「博多ぶらぶら」の記事は以下となります、是非ご覧ください。
著者プロフィール
私、那須ノの簡単な自己紹介となります。
惹かれたら是非ご覧ください。
いつも本当にありがとう。 これからも書くね。