いまさらすぎて周りにオススメしずらい私的神アニメ5選!!
個人的にレビュー的な記事は書かない。
………のですが、実はもっとも得意とする内容はコラムやレビューだったりするのだが、それだけに内容に熱がこもり冗長になりがち、ですから意図的に書かないようにしている。
けれど、本日は最近のアニメの隆盛に感化され、いまさらながら個人的に影響を受けた作品について、最近実際に観た作品の中よりいくつか書いてみようと思う。(紹介順に意図はなくランキングなどではありませんので、その点をご了承いただけると幸いです)
それではさっそく始めましょう。
※私はアニメについての見識は浅く疎いので、その点について気になることがあればご教授いただければ幸いです。また、その他オススメのアニメ作品などもあれば、のちに拝見してまた別の機会に所感を述べる機会を設けたいと思いますので気軽に書いて下さると嬉しいです。
1.『負けヒロインが多すぎる!』(A-1 Pictures2024年07月)
原作は雨森たきび氏による、第15回小学館ライトノベル大賞ガガガ賞受賞作品『俺はひょっとして、最終話で負けヒロインの横にいるポッと出のモブキャラなのだろうか』。
初見時、正直『かぐや様は告らせたい』と同様の衝撃を受けた。
A-1 Picturesを中心とした制作人たちによるアニメのクオリテの高さは今更言うまでもなく、第一話でいきなり繰り出される負けヒロインぷりに一気に引き込まれ、最終十二話まで一気に観てしまった。
突然だが、私は『氷菓(京都アニメーション2012年4月)』『リトルバスターズ!(J.C.STAFF2012年10月)』などの無限に見られるような世界観の作品が好みだ。
………さて、『負けヒロインが多すぎる!』(以後、マケインと評する)については、どうだろう。
作中に登場するヒロインたちの胸中を察するに、とてもじゃないが何度も観返したいとは思えないかもしれない。しかし、ある日不意に観たくなる、そのような感慨を深く身にまとう作品であり続けるように思うのだ。
その感慨を浮き彫りにしているのは、作中繰り返しある意味執拗に描かれる三角にも四角にも美しく織りなされる人間模様に他ならない。
ここ最近のアニメ作品における特に共感できる演出傾向として、限られたクール中の冒頭の部分で主人公たちの欠点や特徴を上手に描こうとする手法。
原作者の『こう思う』を余すところなく、実際の動きとして表現しきるために恐れず先に欠点を描こうとする努力である。
これはあくまでも個人的な所感ではあるが、『マケイン』ではその表現方法が遺憾なく発揮されている代表作品だといっても過言なく思う。
私が『マケイン』をはじめに紹介するに至ったのは、自分のパートナーが典型的な負けヒロインだったからだ。学生時代は男子からは容姿のせいでイジメられ、女子からは絵なんか描いてキモイとハブられ続けていた。
そんな彼女は言う、「アニメに真の意味での負け組なんて居ない、アニメーターの画力によって描き出されるヒロインは皆可愛く美しいから………」と。
「でも現実世界では、どんなに美しい人であれ、どんなに賢い人であれ、どんなに大金持ちな人であれ、誰もが何かしらの負け要素を持って生まれるもの」だと。
………なるほど、彼女の言い分には深く頷かされる。
ともすれば、アニメのヒロインに自己を投影したり、共感できるのにも納得できるのだ。
さて、話を『マケイン』に戻したい。
必ずしも多いとはいえないであろう登場人物、しかし個々に光る個性が奥行きのある世界観を描き出す。
ある種、狂気的なまでの個性、しかしそれにより彼らのもつれる群像劇が一層の魅力を際立たせる。失恋などを通じ、恋やそもそも普通って何だろうと今更考えさせられる。
これまでのお決まりの恋愛アニメでは垣間見ることのできなかった、思春期特有の若者の情景をより深く表現することに成功している。きっとその効果は、観た人々のかつての情景に重なりあって、何かしらの意味を持たせるのだろう。
誰もがこの大きな世界の枠組みの中で、時代のうねりやストーリーのようなものの中で生かされている。
確かにそこには負けヒロインがいて、だがしかし、少なくとも『マケイン』のヒロインたちは、ストーリーにだけは負けないヒロインたちであり、その姿はこれからも観たものの心を揺さぶり続けるのだろう。
時は2024年、ここにきて、よもやハルヒ級の衝撃を懐古することになるとは思いもよらなかったのでした。
2.『ラーメン赤猫』(E&H production2024年07月)
2024年、私的に一番驚いた作品、原作は漫画『ラーメン赤猫』
きっと何気なく猫のアニメか………と軽い気持ちで視聴したそのほとんどの人々の期待を良い意味で裏切ったアニメだろう。
………かくいう私もその一人だ。
ちょっとした隙間時間に日清シーフードヌードルを食べながら観ようと思ってその面白さに衝撃を受けたのを昨日のことのように思い出す。
前項『マケイン』でも述べたが、私は無限に観られる世界観の作品が好きだ。『ラーメン赤猫』はまさにそのひな形ともいえる作品で、何気ない合間に思い出しふと観たくなるのだ。
ラーメン店経営を通して描かれる緻密な設定。
猫特有のこだわりなど、なるほど(苦笑)と頷かずにはいられないこだわりの内容。
私は学生時代に実家で10数年間、猫と共に暮らしたことがある。
猫という存在のすばらしさを知る一人であると自負があり、簡単に猫が好きだとはいえないほどに理解があるつもりだ。猫は甘えることはっても媚びない、作中にはそうした演出がしばしば散見される。
猫カフェであれば、猫が好きな人々が愛くるしい猫たちに会いに来店する展開となるのは明白、しかし『ラーメン赤猫』はれっきとした正真正銘の料理屋さんなのだ。
私は調理学校を卒業し厨房経験での実務も10数年あり、プライベートにおいても、若い頃よりラーメンの食べ歩きを趣味としていたこともあるのだが、この作品のこだわりはちょっと凄い。
細かい経営理念、店舗経営の姿勢、細かい調理内容、接客へのこだわり等々。魅力的な赤猫従業員、来店するお客さんとの絡み、それぞれ錯綜する人間模様。話数がすすむほどに熟成するスープのように濃密になってゆく。
各話ことごとく細やかな演出が施され丁寧に描かれる各パート。
なによりももちろん、猫可愛がりという表現がピッタリな赤猫で働く猫たちの愛らしさ。
本作は3Dアニメだと思うのだが、もはやその違和感を感じられないほどのアニメーションクオリティ。
いつまでも観ていたい、また少ししたら観返したくなる。
個人的にそんな三ツ星の作品。
………そうだ、今日のお昼は『うまかっちゃん』にしよう、うんそうしよう。
3.『逃げ上手の若君』(CloverWorks2024年07月)
原作は、松井優征氏による『逃げ上手の若君(週刊少年ジャンプ)』いわずと知られた北条時行の物語。
鎌倉時代の武家といえばなんだかちょっとお堅い感じになりそうなものであるが、本作ではむしろポップな感じで描かれている。なんならエンディングでは、ラップな感じなのである。
アニメの本筋といえば、鎌倉末期の時代がわかりやすく解説されながら、長寿丸(時行)と郎党たちとの群像劇が描かれる。
北条方のみならず、登場人物のすべてが何かしらの狂気を抱え生きているのを随所かつ細やかでいて大胆に描こうとするアニメーターたちの作画に狂気を感じてしまうほどで、『マケイン』の項でも述べたが文字通り筆舌に尽くしがたく、その表現力はさながら鎌倉武士の剛力のように感じられるのだ。
小気味よく展開し続ける各話、日本史や歴史小説などが好きでなくとも観れば観るほど引き込まれ心躍り始めるのだ。
時行の最後については、近代の誰もが知るところではある、がそれでも彼ら逃若党の行く末をいつまでも見守っていたいとそう願ってやまないのだ。
4.『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(CloverWorks2011年04月)
急に十数年前の名作アニメの名前が出てきたことによる諸兄たちの、「は?」というお顔もごもっともである。
私自身、一体どうしてこの作品を今の今まで観ることもなく、当たり前の日常を生きてきたのかと後悔の真っ最中なのである。
もはやにわかで疑いのないことが白日の下に明白となった私は、恥を忍ばずもう言ってしまおうと思う。
『サマータイムレンダ』での反省を全く生かすこともなく、アホ面で今日まで生きてしまいました! 本当に申し訳ありませんでした!
勝手に新海誠作品的な存在だと決めつけていました! 私の勝手な思い込みでした、すみません!(誤解を招かぬよう捕捉します、新海誠監督作品が私は大好きだ、展示会に何度も通うほどに)
私はここに誓う、もう二度と諸兄たちの声に耳を塞がず素直に拝聴することを!
『あの日』を観ろ、というその声に。
もしこの文章を読んでいる人の中で、『あの日』を観ていない人がいるならば、かつて私に『あの日』を薦めてくれた諸兄たちと同様の熱意をもって伝えたい………「観ろ」と!!
いったい何がそんなに凄いんだと、聞きたくなるのはわかる。だがしかし、そう聞かれても困るのだ、推していうならば、「そらもう、ホラ、全部よ」と答えるしかない。
我々が遠くの昔に忘れてきた全部が、そこにあるのだ………。
にわかな私が筆舌することも叶わぬほどの神アニメ、あのラストシーンで誰も涙を流さぬようであれば、もうこの世はもう終わりでいいと思うほどに。
繰り返す、私はもう二度と神アニメを見逃さない、とそう自分の心に誓うに至らしめた作品、それが『あの日』である。
5.『ダンダダン』(サイエンスSARU2024年10月)
原作は龍幸伸氏による、少年ジャンプ+連載漫画。
「ただの人間には興味ありません。この中に、宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。(涼宮ハルヒ)」
このいわずと知れたハルヒの言霊と全く同じ見識を持つ私は、誰が何と言おうとも断固『ダンダダン』が大好きだし、近年稀な『呪術廻戦』と同等以上の衝撃を私に与えたのは云うまでもない。
都市伝説にしろ、オカルトにしろ、なんでも仕分けたがる連中は、右だの左だの、善悪というスカスカのカテゴライズにご執心でモノの本質を見ようともしない。
この世界とは、我々人類が簡単に理解できるようにはできていない。すなわち、ああだこうだと論ずるが易し、体現する難しである。
それゆえこの世界を一言で断ずるなら、混沌。
宇宙人、UFO、幽霊、妖怪、超能力者、未来人、ごちゃ混ぜで存在していいのだ。
藤子不二雄の漫画や仮面ライダーや円谷プロ的世界観では、しばしば別の作品のキャラが出てきたりするが、それで何ら問題ないのである。ともすれば、手塚治虫作品にもトキワ莊時代の漫画家たちのキャラがちらっと出てきたりするというのはよく聞く話で。
Zガンダムにアムロやシ〇アが出てきても、ファンは喜びはすれども、違和感など抱きようもない。むしろユニコーンでチラっと登場しただけで、そのシーンを繰り返し観ちゃうのだ。
そんなこの世界では、なんなら隣の次元から能力やテクノロジーを借りて使っていいのである。そもそも我々のインスピレーション(閃き)こそ、その最たる例であろう。
自分でも度し難い閃きは、目に見えない世界からある日突然降ってわいてくる、だから天啓とか呼ばざるをえず、自分でも持て余すのだ。現にいま、私にこの文章を書かせている力こそが、そうに他ならない。
さて、少し話がそれた。
私が『ダンダダン』に惹かれる理由は勿論この世の不思議が好きだからというのもあるが、最も特筆すべき点、それは個性豊かな登場人物たちが織り成す混沌である。
作中では常に相手を否定するでもなく、勢いよく時に穏やかに個々の個性がぶつかり合う。その演出は、かつての古き良きガイナックスアニメ『カレカノ』『フリクリ』のようで、懐古的人間模様の描かれ方を彷彿とさせる。
最高品質のアニメーションによるアクションシーンや登場人物たちの心理描写を映し出すようなカメラワークが凄まじい。
まだまだこの作品の魅力を語るには項が足らぬようだが、ここいらが潮時と捉え興の覚めぬ間に終えたいと思う。
おまけでその他の作品
『かげきしょうじょ!!』『ブルーロック』『葬送のフリーレン』『烏は主を選ばない』『忘却バッテリー』『リコリス・リコイル』
特に『葬送のフリーレン』『忘却バッテリー』『リコリス・リコイル』の完成度は素晴らしい。
以上、他にもまだまだ沢山ありますが、私がここ最近で個人的に神アニメだと思った作品をいくつかご紹介させていただきました。もし仮にまだ観たことない作品の名前があったという方は、是非ご覧になってみてください。
ここまでお読みいただいた通り、私はにわかファンなので、もしよろしければおすすめアニメが他にあればご教授願えれば幸いです。
それでは最後までお付き合いいただきありがとうございました。
本日はこのあたりで失礼いたします。