嘘も方便、暗喩(メタファー)だからこそ、やってみなけりゃ、わからない
ある日不意に思う。この世に真実の記録は存在するのだろうか、と。
そこで思い至る、古来より聖書や仏教などの教義が読まれ続けるのは、この世界の理、つまり答えが書いてあるからだ。もしそうであるなら、この世にはすでに多くの答えが説き開かれているということ。
かつての賢者たちによって語り継がれ、書物に残され知識として残される。また、教義や経典に限らず、あらゆる歴史書や哲学書が翻訳され、時代背景、書き記す人間それぞれの価値観によって語り継がれる。
それはある意味、賢者の書であり、悟りの書。
悟りの書は気づきの書、自分の教科書、自分マニュアル。だがしかし、マニュアルはしょせんマニュアル、人生における真骨頂、醍醐味こそは、知識のみならず実践である。
実践すればこそ、体得しすべてを悟るのだ。
そのための失敗を恐れない勇気。
むしろ失敗するほどの気概。
なればこそ、挑戦するだけで素晴らしい。
上手にできる必要もない。
周りの口だけの誹謗中傷がいかに無意味かが伺えよう。
ではそれをいつやるのか、今に他ならない。
思い立ったその日にやればいい。
誰からの賞賛も喝采も不要、自分だけはわかっているから。
いつだって人生はシンプルだ、やるかやらないか。そのことを知っている必要すらなく、ただ自分の心に従い生きるのみ。
知識のみならず実践し、智慧をもって自分らしく生きたいと心から願う。そして思う、一体どうしてこんな簡単なことを忘れてしまっていたのか。それはきっと、『自分の冒険の書』が消えてしまっていたからに違いない。
だから、また今日から自分だけの冒険を始めよう。偉大な先人たちが残した知識を武器に、智慧の旅に出かけるのだ。
仮に孤独な冒険となったとて、自分だけは味方につけて、自分を信じ最高の人生にしよう。
やがて冒険の終わりに気づくだろう、自分こそがみんなを未来へと導く賢者であったことに。