人間離れ浮世離れ夢想する未来
この世界で自分を認識するためには、同じ三次元から観測することはできたいため、もう一つ上の次元から俯瞰しなければならない。
つまり自分を観測している存在は必ず高次元にいるということである。
その存在こそが、自分の正体、つまり魂である。
ある日、魂は思ったのだ。
「自分とは何なのか」と。
そうして作り出した、自分と対となる存在、自分以外を。
自分という主体、そして自分以外という客体。
こうして舞台は整った、魂は作り出した依り代とそれ以外とを観測し体験し、己の何たるかを知るシミュレーションをはじめた。
それがこの世界だ。
すなわち、世界とは魂そのもののこと。
自分を知るための旅がこの世界の正体。
この世界の創造主は自分なのだ。
信じるも信じないも、ただそこに静かな宇宙が漂い佇む。
こんなの何も特別なことじゃないし、とりたてて騒ぎ立てる必要もない。
はるか昔から、どこかの偉い哲学者やお釈迦様、あらゆる時代にすでにいわれてきたことだ。
なのに魂とかいうと、どういうわけか多くの人たちが、バイバイする。
でもこの先を読みたいと思ったあなたに向けて続きを書こうと思う。
それ以外の人たちは、サヨウナラ。
選ばれし者たち
その他大勢の担い手として、高次元の存在より選ばれし1%の者たち。
ある日そのことに気づいた彼らは、チープな優生思想などではなく、純粋無垢な思いによってそれまでは思いもよらなかった言動へと誘われる。
そうして己の中の声を聴いたとき悟る、これは天啓だと。そのことを周りに言えば変人扱い。それでもなお、彼らは高次元の声に逆らわない。
なぜなら有無を言わさぬ完璧なタイミングで、あたかもはじめからそう決まっていたかのように自然に啓示がやってくるからだ。
自分が選ばれたことへの確信をもって、周りの騒音に動じず心の声に耳を傾け、抗おうとするよりもむしろそれに素直に従う。
周りに同調せず、振り回されず、いつも自分らしく生きる彼ら。つまり、心の準備が整った者のもとにしか声は届かないということだ。
本来は天啓などと特別な言葉としてありがたがらずとも、自分の心の声なのだから、その声に従うのなんて当たり前。
であればこそ、彼らは信じれらないような情熱で寝食を忘れ声の実現に没頭する。その結果、歴史に綴られるようなにわかには信じがたい発明や事業や事件などが起こる。
こうして天啓に素直に従う者たちのことを天才と呼ぶようになる。しかし彼らはたまたまわかりやすく命運に巡り合い、シンプルに自分らしく生きられたからそうなれただけなのだ。
そんな彼らを羨み、尊敬し憧れる自分を普通だと思い込んでいる人たち。
特別な自分を受け入れられず、心に蓋をして声を閉じ込める人たち。
見た目や出自による劣等感、学校や会社での成績で他者と比較されたからか、自分以外を素直に受け入れられず好きになれない人たち。
他人を嫌うのは自分が生み出した存在を忌み嫌うようなもの、自分と自分以外のお蔭さまの関係性を理解しきれていないから。境遇や今の環境に不満があるのだって、自業自得の結果なのをわかってない。
人は誰もが特別で優劣などは存在せず、世界を変えるような偉業も山で一人静かに暮らすのも、本来さしたる違いはないのだ。
あくまでも富や名声が世界の価値基準だなんて、あまりにも矮小な価値観が作り出した枠組みにすぎない。
たった一度だけでいいので想像してみてほしい、自分の正体が魂で、つまり世界とは自分自身であると。そして決してその気づきがゴールなのではなく、はじまりにすぎないと。
世界そのものの自分、本当の自分が今この瞬間求めていることは何なのか。そう思いを馳せてみてほしい、たった一度でいいので。
そうなったつもりで、疑似的な人生をシミュレートしてみて、どう感じるかを体験してみてほしい。
イエスや孔子やソクラテスやブッダを師事するのではなく、あたかも自分がソクラテスであるかのように想定し、可能であれば実際になりきってみる。
本人そのものの人生を生きてみるということだ。
これまでや、今現在の自分がどうであろうが、そんなの関係ないことに気づけただろうか。ひょっとして、まだ自分の人生はスタートすらしていなかったのではないかと、思い立たないだろうか。
そう気づいた瞬間、99%側だった自分が、同時に1%側の存在であったと思い出すのだ。
すべては自分の意識次第、心がけ次第なのだ。
そろそろ未来人は手をあげればいい
オカルトだのスピリチュアルだの区別していた時代はもう終わる。
何が正しいとか、そんなダサイの関係ない。これからもっと当たり前が広がって、目の前がすっきり美しく見えるようになる。
未来人や地底人や宇宙人なんていて当たり前だし、幽霊だっている、超能力や異能力もある。次元だっていくつもあるし、並行世界は無限にある。
エビデンス? とか言ってる間に世界は進んでいく。
時代のうねりの中でどうありたいかが常に問われ続ける。
特別になりたいだなんて、今の自分を否定するようなことは今すぐやめて、はなから自分は特別だって思い出せばいい。
歴史に名が刻まれるなんてこちらから願い下げ、自分の価値は自分だけのもの。好きなものは自分でわかってるし、なんでも自分で決められる。
年齢も人種も性別も、家柄や資産や学歴や職歴やらどうでもいい。
かつて自分で創造したこの世界で、ただ精一杯、一生懸命、いやのんびり生きられればもう十分だから。
本当の自由を謳歌するのに早いも遅いもないから。
とにかく今この瞬間を大切に生きるのだ。
ある日ふと気づく、自分ですら今この瞬間という未来に立っている不思議に。ただ何となく生きてきたようでいて、それなりに自分らしくいられていたことに。今こそが最も思いもよらない瞬間であることに。